2023年の振り返り
こんばんは。じゃがいも改めかなしのです。
そうです。名前が変わりました(今年の2月に)。2023年のデカめのできごとの、一つ目。詳しいことはあとで書こうかな。
そんな感じで、作品や個人的なできごとなどを振り返っていく記事です。ほぼほぼ自己満足の記事ですが、興味を持っていただける方はお付き合いいただけると幸いです。振り返りnoteももう4年目になり、自分の中ですっかり恒例になってきました。
2023年、みなさんはどんな一年でしたか?
僕はというと、まあまあ色々なことをやった一年間だったような気がします。あくまで例年比。少なくとも、振り返り記事に書く類のできごとは色々ありました。
ちなみに日常生活は例年通り、一言も喋らずにインターネットを眺めて終わる日が大半でした。どちらかというと、特筆すべきできごとがなくても日常が充実している生活の方が"幸せ"には近い気がするな……。
まずはドット絵関連のトピックを、1月から順に振り返っていきます。
ドット絵関連
1月1日に上げた絵です。タイトルは「January」。
この絵から始まって、今年の1月から12月までの12ヶ月間、「64px×64pxの風景ドットを1ヶ月に1枚投稿する」ということをやりました。すべて2022年の11月ごろにまとめて描いたものなので、厳密には今年の活動でもないんですが。
12枚のドット絵は、Twitterに上げただけではなく、カレンダーとして現物を作り、コミティアで売ったりもしています。
このカレンダーに関してはすこし経緯がややこしくて、「本来は2023年1月~同12月のカレンダーを作る予定だったが、入稿データがバグっていたせいで22年11月開催のコミティアに間に合わなくなり、年内に売ることができなくなる→仕方がないので2023年4月~2024年3月のカレンダーとして再発注し、23年2月のコミティアで頒布する」という流れがあります。そのため、Twitterに上がっているカレンダーは2023年1月~同12月のものなのですが、現物のカレンダーは2023年4月~2024年3月のものになっています。すみません。
これはお気に入り10分ドット。なんか既視感があるなと思ったら、色味がややSPY×FAMILY。
これは2月の絵。かなり気に入っている作品です。
3月。
旅館の絵。本当は一人旅に行きたかったけど面倒で諦め、かわりに絵を描くことで旅欲を満たそうとしました。
僕の思う"旅館"のイメージを詰め込んでいます。このカーペットの感じとか。こだわりポイントです。
ミクの日に描いたミク。僕ってこんなにがっつり人物を描けたんだ……という気付きがありました。
『心に雨』のMVのために描いた絵。曲については後述します。
4月。色がいいですね。
桜の絵。僕のドット絵の中でいちばんTwitterのいいねをいただいている作品です。僕の風景ドットの中では人物がデカめ。
髪のなびきをかなり頑張っています。YouTubeで「髪 なびき アニメーション」と検索し、出てきた動画をコマ送りで再生して参考にしながら描いたりなどしました。
お気に入り30分ドット。構図がいいね。
5月。室内から外を見たときの"明るさ"がいい感じに出せてる気がします。
ananの挿画を描きました。「ananの挿画を描きました」!?!!?!??!?
6月。
沼ハマに出演しました。「沼ハマに出演しました」!?!???!?!?!
テレビですよ。テレビ。そんなことってあるんですね。
「ピクセルアート沼」という特集で、メインで出演していたのはジゼル愛華さん、中里さんのお二人です。僕は中里さんのドット絵仲間としての出演。中里さんと写真を撮りながら散歩したり、リポーターの方にドット絵を教えさせていただいたり、ジゼルさん、中里さんと3人でMVを作ったりしました。
ちなみに僕がメインの出演でない理由は「エピソードがテレビ映えしないから」です。テレビ映えしない人生を送ってきました。
ちょっと僕がメインで取り上げられた世界線の沼ハマを考えてみるか。
「Twitterのタイムラインに流れてきた10分ドット(※10分でドット絵を描く企画)を見て、『自分でも描けそう』と思いドット絵を始めたかなしのくん。特に賞などは受賞していませんが、『勉強がしたくない』という消極的な理由で美大に進学します。現在は、実家も大学も東京にあるのになぜか一人暮らしを始め、大学では映像制作や電子工作など特に絵とは関係ないことを色々やっています。課題制作ではアイデアが浮かばないことが多く、よくネタ枠に逃げているそうです」
映えないな~。
ところで、僕は「沼にハマった」という表現が当てはまるほど楽しくドット絵を描いているわけではない。投稿頻度も少ないし、どちらかというと義務感で描いている。ただし、この義務感というのは外発的なものではなく、「描かないと自分のアイデンティティがなくなってしまう……」というような義務感。まあ、それはそれである意味沼にハマっているとは言えるのかもしれないな。
と、思いました。
↑強風オールバック?
沼ハマ、くんづけで呼ばれるのが地味に嬉しかったです。クリエイターとかじゃなく"創作をやっている10代の子供"として扱われる最後の機会。
7月。数年前に描いた絵に加筆したものです。
8月のカレンダーは既存絵をトリミングして上げただけなので新規絵はありません。
のをかさん主催のぼっち・ざ・ろっく!合同誌にお誘いをいただき、伊地知虹夏さんと山田リョウさんの絵を描かせていただきました。合同誌はここから買えます。
雑多がテーマの合同誌ということらしい。キャライラストのプロの方々や、作家性ゴリゴリのつよつよイラストレーターの方々、本職のアニメーターの方々、小林私さんなどに囲まれながら、ただの大学生による風景ドットが2枚載っております。小林私さんがいるの、面白すぎる(これは小林私さんを一方的にインターネット・存在として認知している一般人による言及です)。
それはそうとして、この絵もかなりお気に入りです。
『水底の街』のMVのために描いたドット絵です。これも曲については後述します。
この風景は、大学の通学路にある坂をなんとなくイメージしていたりする。
夏と天使の絵です。伸びなさすぎてびっくりした。たしかに絵としてはそんなに魅力がないのかもしれないな。題材はとても気に入っているので、リベンジしたいです。
SHIBUYA PIXEL ART2023の一環として行われた「ドットレカ展」にて、僕の絵も展示していただきました。
展示されている人数が多いだけに、当日見に行くとかなり大勢のドッターの方が集まっていた。シブピクの参加作家の集まるアフターイベントにも参加できて、ここ数年でいちばん人と交流した日だったかもしれない。
ちなみに、ドットレカというのはドット絵が名刺大のカードに印刷されているグッズです。前景、中景、後景にわかれていて、他の人の絵と組み替えて遊べるというコンセプト。
これは前景に僕の絵、中景に中里さんの絵、後景にso_soさんの絵を置いた絵です。
そして、これはそこからインスパイアされて描いた絵。
10月にTHE PIXEL STREETに参加しました。最高のイベントでした……。
(レポ的な文章を買おうと思っていたんですが、気づいたらあと15分で年明けでした! 年内に上げたいのであとで加筆します)
ピクストで出した風景ドットまとめ本。
11月。
お気に入り10分ドット。
12月。
以上、今年のドット絵関連の活動でした。僕にしては活発に活動できたのでは!?と思います。来年もペースを落とさずやっていきたいね。
その他創作
今日くもりさんと曲を合作しました。大学のクラスメイトです。編曲が今日くもりさんで、作詞作曲が共同、動画が僕です。いい曲。
ボカコレに合わせて作ったんですが、ちょうど大学が春休みだったため、一度も対面での打ち合わせをせず、LINEでのやりとりのみで作りました。
これが歌詞なんですが、どこが僕の担当かわかるでしょうか。
正解は
ここと、
ここです。「夏」とか「遠くなる日々」とか言ってる部分が僕。そういう歌詞しか書けません。
くもりさんの「あなたに教えてもらったこの歌を あなたに一番近い場所で歌った」という歌詞、絵の状況と合わせてみると「あなた」は天国にいるのかな……?と考察したので、僕も後半の歌詞でちょっと死をほのめかしてみました。「夏に落ちる散花 ただ曇天の中に君の影が消える」のところ。
合作なんだから、考察じゃなくてちゃんと意思疎通しなさいよ。
インターネット温泉さんと曲を合作しました。小中学校のころからの友達です。作編曲がインターネット温泉さんで歌詞と動画が僕。いい曲。
インターネット温泉さんと曲を合作しました。作編曲がインターネット温泉さんで歌詞と動画が僕。ピアノがめちゃめちゃ格好いいよね。ひさびさにドットじゃない絵を描きました。
漫画を投稿したらバズりました。
大学の漫画文化論という授業の課題で描いた漫画です。漫画の描き方とかの授業ではなく、漫画やアニメーションの歴史を追っていく座学の授業なんだけど、最終課題でいきなり「なんでもいいので漫画を描いてください」と言われる。
ダ・ヴィンチ・恐山さんからいいねをいただきました。いちばん好きなインターネットの人なので、本当に嬉しい。
ダ・ヴィンチ・恐山さんにいいねをもらったということ自体よりも、恐山さんにハマるネタを自分が出力できたということの方が嬉しいかもしれないな。自分にはあんまりそういう系統のセンスはないと思っていた。
これは大学の「フォトグラフィック・プレゼンテーション」という授業で作った作品。大学に入ってからの課題でいちばん「美大(の、情報デザイン学科メディア芸術コース)の課題作品」として求められているものを出力できた気がする。
あれですね。「ドット絵特有の、ループアニメーションで風景が動き続けるやつを実写で再現してみたい」みたいなコンセプトです。
これがかなりいいねをいただけたのちょっと不思議なんだよな。なぜなら、画質が悪すぎて動いてることがあんまわかんないから……。
ねとらぼに載りました。クソデカ林製薬以来だ。
改名
名前が変わりました。
せっかくなので、じゃがいもとかなしの、それぞれの由来の話とかをしてみようかな。今まで端折って書いていた個人的な思い出話を長々とします。ここはそういう場所なので。
じゃがいもを名乗り始めたのは小学6年生のころでした。
いちばん大元は、クラスで流行っていた自作カードゲームのデッキ名です。そのカードゲームは、ひとつのコンセプトを軸にデッキを作っていく仕組みになっていました。じゃがいもデッキなら、モンスターのカードは「ポテトチップス」や「じゃがバター」、城カードは「じゃがいもの畑」という具合。なぜデッキ名がじゃがいもなのかというと、友達のにんじんデッキに便乗するためでした。
その後、友達数人の間で交換ノート(授業中に先生の目を盗んで会話するためのツール)が流行りました。その交換ノートでは本名ではなくハンドルネームを使うことになっていて、そのハンドルネームをつけるときにデッキ名からとった名前がじゃがいもでした。
じゃがいもという名前を気に入った僕は、ゲームの名前などでも毎回じゃがいもを使うようになります。一時期学校のテストにもじゃがいもと記名していました。中学生になってインターネットを始め、Twitterのアカウントを作ったときも名前は当然じゃがいもでした。
ドット絵を描き始めたのが中学3年生のころなのですが、「ドッターになるぞ~」と思ったタイミングが特になく、なし崩し的にツイッタラーとしての主軸がドット絵に移っていったので、じゃがいもという名前もそのまま作家名として使い続けることになります。
そして、だんだん「クリエイター」としての意識が芽生えていくうちにだんだんと名前に対する不満が生まれてきました。
改めて見ると、不満ツイートが多すぎる。主な不満点は「かっこよくない」「普通名詞そのままなので、名前に対して"自分のもの"という感覚を持てない」の2点でした。
そんな感じで、名前を変えたいと思い始めてから4年、じゃがいもを名乗り始めてから7年以上経った今年の2月にとうとう改名に踏み切りました。
どうしてこのタイミングなのかというと、愛着がなくなってきたからな気がします。じゃがいもという名前に対する愛着というよりは、執着の気持ち全般かもしれない。人生でいちばん楽しかった時期である小学校のころの思い出とか、中学生のころ好きな実況者さんに名前を覚えてもらったこととか、Twitterで繋がってはいるけど関りが薄くて改名したら忘れられてしまいそうな相互フォロワーとか、そういうもの全部がわりとどうでもよくなってきてしまった。これが大人になるということなのかもしれません。
かなしのの由来ですが、これは大学用のアカウントのハンドルネームである「悲田」から持ってきて、すこし語感を調整しました。じゃがいもと母音が同じなのがこだわりポイントです。では悲田はなんなのかというと、これは単なる雰囲気です。
要するに、かなしのという名前は100%語感で構成されています。一応
・覚えやすい ・被らない ・検索しやすい ・ダサくない ・エモすぎない ・恰好よすぎない ・かわいすぎない ・いろいろな場面で使いやすい あたりを条件に考えていたりはします。
そんな感じで、名前を変えて1年近くやっているわけですが、今のところそれなりに満足しています。改名後フォロワーが増えたり沼ハマに出たりピクストに参加したりして、わりと印象を塗り替える勢いで活動できているのでは?という感覚。いまだに半分以上の方に「じゃがいもさん」と呼ばれています。まだ7年:1年なので、今後の6年間でじゃがいも時代以上の思い出を作れるように頑張っていきたいですね。
まあ無理なんですけどね。僕の人生は小6をピークに下がる一方なので。
その他個人的な話
・一人暮らしを始めました。全然実家から大学に通えてたのにどうして? A.完全なひとりになってみたかったから……。
大学から徒歩30分ほどの場所にあるのですが、家のある一帯だけ林と坂に囲まれていて、家の前には畑があり、かなりいい感じの雰囲気があります。
IKEAのサメを吊るしました。
今一人暮らしを始めて10ヶ月弱なんですが、日に日に生活が終わりつつある。今朝布団がカビていることに気づきました。
・あと今年の個人的な話といえば、20歳になったことですね。悲しい。人生経験で言ったらまだ14歳くらいなのに。
・3月に初一人旅をしました。あんまり桜を見られないうちに散ってしまって名残惜しかったので、北の方に向かうべく、長野県の小諸に行ってきました。どうして小諸なのかというと、『青春俳句講座 初桜』という好きな小説の舞台が小諸で、作中でけっこう遅い時期まで桜が咲いていたのが記憶に残っていたからです。懐古園という場所が桜の名所らしい。
旅程は1泊2日。1日目は普通列車で小諸に向かい、小諸(や、道中で電車に乗り遅れ3時間の足止めを食らった小淵沢)で散歩をして終わりました。
これは途中の小淵沢で食べたお蕎麦。旅行といえば蕎麦ですね。
古民家がお店になっていてかなりよかった。
こういうことがありました。ちなみにこの駅というのは小諸駅ではなく隣の小さな無人駅です(小諸駅の近くの宿が取れなかった)。この「一駅分くらいまあ気にしなくていいでしょ……」という感覚がこの後の悲劇を生むことになります。
2日目は宿の近くの景色のいい温泉に浸かったあと、電車で小諸まで戻り、懐古園に向かいました。懐古園ではたまたま桜祭りをやっていて、花見の客で賑わっていて、「桜を見る」という目標が予想以上にしっかり達成されました。
刀剣乱舞と思わしきキャラのコスプレ撮影をしている女性の一行がいてよかったです。
これは、併設されている小さな動物園にいたペンギン。
桜を見るという目標を達成してしまったのでやることがなくなり、その場で検索して出てきた布引観音に向かうことにしました。
山道を歩きながらたどり着いた、崖の上に立っているお堂。めちゃめちゃよかったです。
大声でカメラの話をしているオタクっぽい同年代の男性の集団がいてよかった。旅行先で若いオタクを見つけるのは嬉しいですね。観光地って基本老人と家族連れとカップルしかいないから。
そのあと布引観音の近くの「あぐりの湯 こもろ」という温泉に入ったのですが、これが本当に良かったです。景色が本当に最高だった。眼下に小諸の街を一望できて、西の空に日が沈んでいくのを眺めながらゆっくり温泉に浸かりました。
そしてこれは、車を持っていない人間が旅行先で日が暮れるまで温泉に浸かってしまったことで起こった悲劇。謎の判断ミスにより、小諸ではなく隣の小さな無人駅の方に向かってしまったのが本当に良くなかった。真っ暗な山道で見る星空はかなり綺麗でした。
駅から電車に乗って長野駅に向かい、夜行バスで東京に戻ってきて次の日の授業を受けました。
撮った写真たち。
・初アルバイトを始めました。8連続で面接に落ちた末にようやく受かった、小学生のテストの採点をするバイト。日数が少ないのがいいところなのですが、かわりに1回の労働時間が長い。単純作業を10時間やるの、体感時間が無限です。
・大学生活について。相変わらずサークルには入っておりません。選択授業はひとりで受けていて、必修授業は週1〜週2しかないので、必然週に5日は誰とも喋らず1日を終えています。
必修授業では何度か話し相手が生まれたのですが、タームが終わって別の授業になると一切関わりがなくなってしまう。そして何タームかあとにまた同じ授業になっても、再び以前のように話すことはない。そういう感じの2年間。
・大学、実習系はいいのですが座学の単位を落としまくっています。なぜなら頭が悪いので。今年は進級できると思うけど、3年が本当にあやうい。たすけて……。
・そういえば、いまちょうどグループワークで映像を作っています。大学に入ってから初めての本格的なグループワーク。名前順に分かれた班で、技術面の能力を持っている人のみが集まってしまったため、脚本を書ける人がおらず、僕が主に担当することになってしまった。いちばん向いてないのに。
1月なかばに講評で、そのあとYouTubeとかに上がります。かなしのの方で共有する可能性がなくもない。クレジットで本名を隠してもらえたら共有します。
APO鯖
12月頭に始動して12月23日に終了した、APO先生主催のマイクラクリエイター鯖に参加していました。
APO先生の募集ツイートを見たときは尻込みして応募していなかったのですが、こっそり「参加してもいいのかな……」という逡巡のツイートをしたところ、既にサーバーに参加していたもてとさんからお誘いをいただき、参加することになりました。コミュ障故にあまりしっかりとは参加できなかったのですが、それでも本当に楽しい場所だった……。
「通話MODが導入されたマイクラ」という場所で人と関わるのって、今の僕の状況で実現できるなかで最大限に理想的な人との関わりな気がして、そこに入り込めた嬉しさと満足に参加できなかった後悔がどちらも本当に大きい。
サーバーには配信者の方が結構参加していたので、Twitchとかにアーカイブが残っており 自分が褒められているシーンやいい感じのコメントを残せたシーン(そもそも口を開くことがめったにないので、しゃべったことを自分で大体覚えている)を探して、繰り返し再生しています ←キモすぎる
思い出話をしようかな。僕がマイクラを始めたのは小学生のころで、ゲームと無縁に生きていた自分が初めて親にねだって買ってもらったゲームでした。インターネットを始めたきっかけもマイクラのゆっくり実況なので、マイクラがなければ自分の人生は本当にまったく違うものになっていたと思います。
マイクラを始めて最初の1年くらいはサバイバルで友達と遊んでいたのですが、中学に進学してから友達が少なくなってきて、だんだんPC版のクリエイティブモードで建築やレッドストーンやコマンドで遊ぶのが主な遊び方になってきました。その一環として参加していたのが「深夜のマイクラ建築60分一本勝負」、略してワンクラでした。よくあるワンドロ系の企画で、1時間でお題に沿った建築を作る企画です。
ある日、ワンクラを通して繋がったとあるフォロワーさんが、TLに1枚の絵を上げていました。付いていたタグは「#10分ドット」。それが僕がドット絵という概念を始めてちゃんと認識した瞬間でした。
当時、DTMやモーショングラフィックス(AviUtlの)などいろいろな創作ジャンルに手を出すという、PCオタクの中学生全員が通る道を通っていた僕は、ドット絵にも興味を持ち、次週の10分ドットに参加することを決めます。タグを辿ると、それはどうやら、とある配信のなかで行われていた企画のようでした。
そして次週、「傘」というお題で10分ドットに参加した僕の絵は、配信のなかでMVPをいただきました。そうしてドット絵に対するモチベーションを得た僕は、その後5年半ドット絵を描き続けることになります。
そして、その配信をやっていたのがAPO先生、ワンクラを通して繋がったフォロワーさんはもてとさんのことです。
人生……。
喋ってくださった方、誘ってくださったもてとさん、そしてAPO先生、本当にありがとうございました……。
新鯖の始動を心待ちにしています。
まとめ
以上、僕の2023年のまとめでした。長くなってしまった。
例年に比べればドット絵を頑張った気がするし、例年に比べれば人との関わりもあった気がして、それなりにいい年だったような気がしています。
あと、フォロワーがたくさん増えました。例年は1年に1000人くらいの増加ペースなんだけど、今年は3000人の方に新しくフォローしていただけました。現在9000人です。
いいことばっかりではない。例年に比べてよくなかったこともあります。刺さる作品が少なかったこととか。これは、年々進行している感受性の低下の結果です。普通に思春期が終わってしまったんだろうな。多分、今後は「心に刺さる作品」ではなく「面白い作品」に触れていくべきなんだとは思う。今年もpanpanya作品とか、サマータイムレンダとか、面白く読める/見られる作品にはいくつか出会えました。
来年の目標を考えるか。
ボカロ曲を出します。今年は1曲も投稿できませんでした。いま、作りかけの曲が4曲あります。平均7割くらいは完成しており、うまくいけば今年度中に全部出せる気がします。
アニメーションMVを作りたい。自分の曲につけます。がっつり動かす場合は個人的にドット絵ではない方がいいかなと思うので、ドットじゃない絵を練習します。
あとなんだろうな。数字で言うと、フォロワー1万人は目標にするまでもなくいける気がする。ドット絵で1万いいねとか。ちょっと難易度が高すぎるな。目標は高いくらいがちょうどいいとはいえ、本当に高い。まあ一応掲げておきます。
そんな感じです。1年間ありがとうございました。
これを書いているのは加筆中であり、とっくに年は越していますが、今年の振り返りという建前は残しておきたいため、よいお年をで締めさせていただきます。
よいお年を〜。
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