見出し画像

7/7

 祖父を亡くす。七夕の夜だった。愛していた。
 父は祖父に当たりが強い。反面教師ではないけれど、その現場を見る度に胸が痛んだ。
 嫌いだったと思うが、いざその時が訪れ「自分は馬鹿だった」と悔いを滲ませている姿を目にして考えは変わる。単純だろうか。
 祖父が毎日手記を認めていたのを知ったのは二、三年のこと。「何をしているの?」僕が問うと祖父はその日の天気、お金の回り、出来事を手帳に書き記していると言った。棚には十年分の日記が堆く積み上がっている。それよりも昔から続けていること。僕はただただ関心していた。
 祖父はなんでもしてくれた。嬉しかった。そうめんが好きで、出前を取る時は必ず札幌味噌ラーメンを所望し、ぺろりと平らげる。蕎麦を打つのも得意で年末年始のご馳走だ。
 優しい笑顔。口数が多いわけではなかったが、出かける僕を窓越しにいつも眺めていた。嬉しかったし可愛いなと思っていた。野球を観るのも好き。時代劇を一緒に見たりもした。畑に出ている時の麦わら帽子姿も覚えている。
 直ぐに忘れるのか分からない。声から真っ先に忘れていくと聞く。入院してからは掠れた声しか聞いていないがはっきりと覚えている。これもあとどれくらいしたら忘れるのか。
 まあでも、それも定めというやつなのだろう。時間はかかるかもしれないが、受け入れられるように頑張る。
 「棚ん中の時計、ありゃおめさやる」
 棚の中には例の腕時計がひっそりと置かれている。古めかしい時計だがキラキラと瞬いている。それを悠然と語るように祖父の匂いが染み付いている。
 翌日祖父は亡くなった。七夕の夜のことだった。
 声は真っ先に忘れるらしい。
 でも最後まで残っているのは匂いらしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?