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経営本のスゝメ 3.

稲盛さんは京セラだけでなく80年代半ば、通信事業自由化のタイミングで第二電電(現在のKDDI)を設立されている。

それまで通信事業はNTTの独占状態だったため、国民には高すぎる通信料金(電話料金)以外に選択肢がなかった。その業界に参入することで競争原理を働かせ、それを安価にしようと考えられたのが稲盛さんだった。
「国民のために通信料を引き下げる」という大義のもと第二電電を設立されるのだけれど、それを決心されるまでには半年間も本当に国民のため、世のためなのか、そこに自己顕示欲があるのではないか、と自問自答を繰り返されたらしい。
稲盛さんの思想、哲学になっている「動機善なりや、私心なかりしか」「利他の心」である。本当、神様だな。

時代背景を考えてもいくら京セラとはいえ、当時の超巨大企業NTTに立ち向かうのは無謀な挑戦だった。
このときのエピソードとして述べられているものがある。
稲盛さんは通信事業への参入を猛反対する京セラの役員を説得し、この無謀な事業に1000億円までは注ぎ込むことを決められる。その頃の京セラには1500億円の現預金があったため、もしも失敗しても500億円は残るから京セラ本体は潰れない、ということが決め手だったと書かれていた覚えがある。
これほどまでのリスクを取ってまで通信事業へ参入される理由が「国民のために通信料を引き下げる」なんだから、やっぱり神様だ。

結果、KDDIは周知の通り大企業になった。ただただ頭の下がる思いだし、ぼくらが今、当然のように安い通信料の恩恵を享受できているのは、こういった先人の挑戦と努力による賜物なのである。

このように稲盛さんは、常に健全で正しい競争原理を重要視されていた印象が強い。だから先述のそんなダメ企業放っておけばいいのに、と感じた日本航空の再建を引き受けられたのも、競争原理が失われること=国民の不利益、と稲盛さんは危惧されたのだと思えてならなかった。

また、著書の中でも内部留保を厚くすることの重要性を説いてられる。
当時京セラにあった1500億円の現預金とはまさに内部留保のこと。これが後押しとなったからこそ第二電電設立という思い切った挑戦が可能になり、今のKDDIが存在し安価な通信料金も実現した。

そしてもうお一人、ぼくに内部留保の重要性を教えてくれたのが吉野家の社長、会長を歴任された安部修仁さん。
こちらもかなり昔に読んだ安部さんの著書に書かれていたものなのでうろ覚えで申し訳ないんだけれど。
安部さんが社長をされていたときに想定外のことが起こる。BSE問題である。
米国産牛肉の輸入ができなくなり、吉野家の牛丼販売が休止なるというかつてない危機に陥った。
当然、社員さんたちも不安になる中、安部さんさんは確か全国の店長さんだかを集め、こう宣言をされたことで、みんなを安心させたというエピソードだった。

吉野家は、明日からすべての店舗を休んだとしても1年間(あるいは2年間だったと思う)は潰れませんから安心してください。

確か、こんな内容だったと思う。
この頃の吉野家は無借金経営だったと思うし潤沢な内部留保があったからこそ、こんな絶体絶命と思える危機を乗り越えられたのだと感銘を受けたものだった。

お二人の著書から学んだことは他にもたくさんあるけれど、何かを始めようとするとき、不測の自体が起きたとき、大切なのは内部留保があること。
その重要性は、ぼくにとって忘れ得ぬ教訓となった。

つづく

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