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みんなの子ども時代

子どもの頃の話を聞くのが好きだ。

どんな人にも等しく、子どもだった時代はある。えらそうなおじさんにも、優しいおばあちゃんにも。私にも、あなたにも。

目の前にいるこの人は、どんな子どもだったんだろう?想像するだけでわくわくする。

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私は、幼少期のことをかなり色濃く覚えている。

私と妹はふたつ違いなのだが、妹が生まれた日のことをはっきりと覚えているのだ。黄色いおくるみに包まれた妹は、ほっぺがぷくぷくしていた。

両親から「(妹の)名前はなにがいい?」と聞かれて、保育園でいちばん仲が良かった女の子の顔が浮かんだのも覚えている。

だからその子の名前を言ったら、ほんとうに名前が
決まってしまった。だから、妹の名付け親は私なのである。

もしかしたら、これは大人たちから当時の話を聞いて、私の脳が作り出した偽の記憶なのかもしれない。でも、また別の日の記憶も鮮明に残っている。

何歳くらいだったかは覚えていないのだけど、妹がまだウチの息子くらいの感じだったから、おそらく私は4歳〜5歳くらいだろうか。

ふたりで遊んでいて、ふと「この子は私の『妹』なんだ」と”気づいた”のだ。初めて『自分』と『他者』との違いに思い当たり、そのことが雷に打たれたみたいに衝撃的だった。今でもはっきりと覚えている。

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とまあ、私の場合はこんな感じだったのだが、おそらく誰しも子どもの頃に、その人にしかないビッグ•バンが起こっているはずなのだ。

それは延々と自転車を漕ぎ続けたことかもしれないし、迷子になって泣いたことかもしれないし、こっそりラクガキをしたことかもしれない。

なんでもいいのだけど、子どもの頃のある体験や記憶が、その人の土台を作っている気がして。子ども時代の話を聞くと、相手のいちばん柔らかい、美しい場所にふれられたような気がするのだ。


(Day.3)


▼昨日の記事。怒れるカラダの声に耳をすませて。▼

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