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親友からの感謝状

とかく、私の身近には「死」が多い。親戚付き合いが盛んだからかもしれないけれど、一番は私の母の存在が関係しているのだろう。

母は自らを「おくりびと」と称するほど、たくさんの人の死に立ち会ってきた。姑、大姑、自分の父親……。死に立ち会うということは、彼らの介護をしていたということだ。

美容室を経営し、子育てをし、協力的とは言い難い(娘の目線からだが)夫を持ちながらの介護は、どれほど大変だったろうか。

そんな母は、先日、いちばんの親友を見送った。彼女は私の同級生のお母さんで、いわゆるママ友というやつだ。子ども同士はほぼ関わりがないものの(異性だったので)、母と彼女(Iさん)は相当気があったらしく、家族同然の付き合いをしていた。

Iさんには、私もほんとうによくしていただいた。コワモテだが情に厚く、涙脆い人だった。

ロックなファッションが好きで、趣味はドラムの演奏だった。結婚祝いにIさんからいただいたペアのマグカップは、いまでも大切に使っている。

そんなIさんだったが、1年ほど前に病気が発覚し、あっというまにいってしまった(私がIさんと最期にお会いしたときには、あまりに様子が変わっていて一瞬誰だかわからず、自分を恥じた)。

しかし、Iさんが亡くなるまで、母とIさんはたくさん話をしたそうだ。Iさんが亡くなったあとのことも、いろいろと引き受けたりしているらしい(プライベートなことなので、ここでは割愛する)。

Iさんのお通夜が終わってから母と話したとき、私は泣いてしまったのだけど、母はしずかに落ち着いていた。悲しみも苦しみも、すべて乗り越えたんだろうな、といった感じだった。

生涯の友、というと、私にも幾人か思い浮かぶ。しかし、もしも彼女らがこの世を去ってしまうとしたら……私はどんな気持ちでいるのだろうか。母とIさんの関係を感じて、考えずにはいられなかった。

✏︎✏︎✏︎

Iさんの死からひとつきほど経って、母からこんな話を聞いた。

「昨日、夢にIちゃんが出てきたわー。『〇〇やん(母のニックネーム)、よぉやってくれました!』って感謝状くれたわ!」

想像して、思わず笑ってしまった。なんやそれ。めっちゃいいやん。

いいなぁ、いいなぁ。
「死」って、ただ人と人を分つだけのものではないんだな、それまでの絆をさらに深める場合もあるんだな、と思えた。

「死」に対して、私はどうしても悲しみを感じてしまう。そこに生きていた人が永遠にいなくなる、という事実に打ちのめされてしまうのだ。

でも、母の話を聞いて、「死」というものは、よりよく生きれば絶望ではないのかもしれない、と思った。

もちろんまだまだ生きていたいし、誰とも死別したくないのだけれど、誰しもにやってくる「死」への向き合い方について、少しだけ変化があった気がするのだ。


(Day.7)


▼昨日の記事。希望に溢れた息子の未来。▼

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