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エシカルファッションブランドkowtow #ニュージーランドの湖畔暮らし

長い間、服迷子だった。そんな時に、これならしっくり来る!と思えるものとの出会いは財産だと思う。私にっての救世主の一つはニュージーランドを代表するエシカルファッションブランド、kowtowでした。

創業17年、春夏秋冬の全ての衣類がオーガニックコットン100%で作られている。さらには、ボタンは貝でできている。(ちなみに日本の漁業産業の廃棄物)また、自然素材の服でも糸は人工的になってしまうことが多い中、糸はプラスチック不使用という徹底ぶりだ。

kowtow HPより抜粋 



初めて路面店を訪れた際には、何も知らず、ニットを指しながら「これってウール?」と聞いてしまったほど。店員さんは、とびきりの笑顔で「NO、この店内にあるものは全て綿なの」と誇らしげに答えていた。見渡せば辺りの服にはジッパーやボタンが少ない代わりに、紐を使った服が多かった。



デザインはミニマルでシンプル、そしてビックシルエット。ニュージーランドの価値観や国民性と同じ、「リラックス」に重きを置いている。締め付けず安心感があり、でもチアアップしてくれる要素もあるのも好きなポイントだ。

試着室へ行き、生成り色のカーテンを開けると、鏡に白い文字で「Goodbye Plastic!」と掲げられていた。それも押し付けがましくなく、土臭くなく、おしゃれに、軽やかに。けれど、循環する未来や地球のために挑戦し続ける姿勢が一貫していた。

店舗の試着室

1.オーガニック、2.長く使えるもの、3.リラックスできる着心地であること。サステナブルなブランドとして、この3つを満たすKOWTOWにはスマートさと、骨の強さがあるように思う。3は一見関係ないように見えるけれど、着心地が悪く肩肘張ってしまう服は、いつしか遠ざかり、着ない対象となってしまう。さらには、緊張状態では何事も続かない。リラックスすることと、サテナブルであることは根底で繋がり、相性が良いのだと思う。

そもそも、kowtowを好きになったのは、個人的な思いもある。

以前、今私が営む自給自足的な生活って、どこかお洒落とは無関係だと思っていた。機能性や洗える&動ける服が最優先。メイクは日焼け止めのみで事足りる。

都会で過ごしていた時のような綺麗目な格好はほとんど不要。一方で、都会の生活が煌びやかに、眩しく見えた。田舎で生活する私にとって、都会に住んでいたのは過去のこと。別世界で、どんどんと遠のいていくように感じていた。
自分で決断した現在の暮らしだけれど、喪失感が心に隙間風を吹かした。

ジャージやレギンスばかりの生活に嫌気がさし始め、これからどうなるのだろう、と先細っていきそうな不安に駆られていた。

服迷子と同時に、私は人生にも迷っていた。

田舎暮らしは物足りない?
東京にまた住みたい?
お洒落をしてどこかに行くことが少なくて不満?

都会の生活に戻りたいわけではない。
でも、何かが足りないと感じる。
このジレンマの正体は何なのか。
掘っても掘っても明快な答えに辿り着けずにいた。

そこで出会ったのがkowtowだった。
着心地が良く動きやすい上に、高揚感もある。これなら都会でも、田舎の湖畔で畑仕事をしている自分にもしっくり来る。
「コンポストTシャツ」や「Gardener」がテーマのシーズンもあったりと、生活の中で大切にしているテーマが似ていると思った。ブランドが大切にする思想や哲学が合うと感じたのだ。


kowtowを身に纏うと、自分の中身と外側が一致する感覚だった。さらには、この「一致する」というフィーリングを覚えた時から、自分の中で分裂していたものが調和し始めたように思う。

一つの答えに辿り着いた。
都会が眩しく見えていたのは、都会暮らしや華やかに着飾ることではなかった。

それは、出かける支度に時間をかけ、頭から足先まで、手入れが行き届いている(ように見える)一片だった。自分を整えて慈しんでいるように見え、その丁寧さが美しく映ったのだった。

その時期、私は、人と会うことが極端に減ったこと言い訳に、セルフケアを怠けていた。「誰にも会わないしパジャマで過ごしちゃおう」「すっぴんにジャージでいいや」といった具合に。

自分に対して、「美しくいたい/良くなりたい」という気持ちを失していたことに葛藤があったのだ、と思う。

心の奥に内包していた気持ちが、時折、そこから逃げないでと、迷いや悩みという形で、顔を出していたのである。

自分の手入れをした上で、自分やライフスタイルと統一感のある服を選びたい。そして、できる限り環境に負担の少ない選択肢を取っていけたら。それこそが、美しいと思うから。そんな気持ちをkowtowは引き出してくれ、人生と服、2種類の迷子から一気に抜け出すことができた。そして、今の生活をより愛おしく思えるようになった。

どんな服を着るか、と、どんな風に生きたいか、は同じ問いだと思う。この一連は、身につける物を通して、自分を考える、服と私のジャーニーだったのだ。

服は人生を豊かにする。それは、服そのものがもつ力で高揚感をくれるという意味もあるが、その服にたどり着くまでの過程が血となり骨となるのだ、と感じている。
ブランドステイトメントが「あなたはこう生きたいんじゃないの?」というヒントをくれる。

考え抜いて、「しっくり」「似合う」ものを探し出す。そのプロセスにこそきっと、価値がある。1年に365回(以上)、私たちは服を着替えている。ならば、服の意味はとてつもなく大きい、と思うから。

kowtowの試着室にて。

kowtow https://nz.kowtowclothing.com