都知事選二人出馬は、民主主義のゲームチェンジャーとなりうるか 前編 ―前回都知事選で負けた理由―

山本太郎の出馬について

れいわ新撰組の山本太郎氏の出馬表明がありました。

当人による表明以前から、野党や野党支持者の中において大きな波紋を投げかけていたのはご存じのとおりです。

本題に入る前に、私の立場についてあらかじめ明言しておきます。私はいかなる意味においても当事者ではありえないため、どちらの候補を推すという立場でもありません。ただ、もし私が都民だったら、さんざん悩んだ末に、宇都宮氏に投票した可能性は高いとは思います。

でも、誰にでも立候補する権利は存在します。結果として都政与党を利することになったとしても、その権利は基本的人権の一部として、最大限に尊重されるべきだというのが大原則だと私は考えます。

とは言っても、ごく常識的に考えれば、山本太郎と宇都宮けんじとの間で票が割れる可能性が高いでしょう。だから、山本太郎の立候補について割り切れないものを抱える人がいることも、個人的に理解はできます。

ところが、山本氏出馬表明の言葉に耳を傾け、また直後の宇都宮氏の「堂々と討論したい」という発言を読んで「あれ、これはちょっと従来とは異なるシナリオが創造されつつあるかも?」という気がだんだんしてきました。

そのことを明確に意識できたのは、ゲームクリエイターのラショウさんの次のツイートがきっかけでした。


もしそうだとしたら、山本氏の戦術眼はまさに非凡としか言い様がないものです。結論を先取りすれば、これは日本の選挙戦における「ゲームチェンジャー」の端緒となる可能性が高い。そのあたりのことを、これからちょっと解説していきます。

もし私の深読みが外れて、山本太郎にここまでの考えがなかったとしたら、それはそれで良いです。私が書いていることを読んで理解して、その上で戦術を採用していただけることを心から期待しています。

なので、両選対の方、ぜひぜひ読んでください。

人気投票からのゲームチェンジ

みなさん、嫌というほど体験しているかと思いますが、日本の選挙戦術は非常に型にはまったものです。選挙カーによる連呼、ビールケース上での街頭演説での涙の訴え、握手と電話かけと最後のお願い。こういう体験に、心底うんざりした経験のない有権者は、非常に少ないと思います

もちろんこれは、候補者や選対の問題というより、ばかばかしいほど細かく定められた日本の公職選挙法の問題です。(そのことを知っている有権者は意外なほど少ないですが。)

こういう経験において、有権者がどう感じるかをもうちょっと書きます。

有権者のみなさんは、ありとあらゆる候補の関係者から、はがきやら電話やら職場やらでいろいろと「お願い」されるわけです。で、みなさん、「どいつもこいつも選挙のときだけ、みんなに良い顔しやがって・・・」と、眉に唾を塗りながら聞いてるわけです。だから、どの候補者が何を言っても、有権者は話半分にしか聞いてないわけです。

じゃあ、選挙に行く人は、個々人の選挙公約を真剣に考えずに、どうやって候補の名前を投票用紙に書けるのか。はっきり言ってしまえば、

「投票所行くまでちゃんと考えてなかったけど、なーんとなく、覚えている名前を書いちゃった。なんだか印象がよさそうだし。」

マーケティングの世界で言えば、単純接触効果ってやつです。

はっきり言って、たったそれだけの人気投票が、国政や地方自治体で行われている選挙なるものの実態です。

前回の都知事選でどうしてリベラル陣営が負けたのか

私は「情報リテラシーの低い有権者」を批判するつもりは全くありません。むしろここでの力点は、「有権者は政治家というものを基本的に信用していないから、結果として人気投票になってしまう」という逆説なのです。

「AIだからです」と言って豊洲移転の説明責任を果たさないような都知事が何の政治的ダメージもないのは、彼女に投票した有権者すら、小池百合子をそもそも信頼していないからです。

もう一度、前回の公約を見てください。

画像1

ここで彼女が有権者に伝えているのは、「こういう公約を実現します」ってことではなく、「私は公約なんて守るつもりは一切ありませんよ」ってことです。無意識にそう言ってしまっているというより、むしろそういうメッセージを意図的に有権者に伝えようとしているとしか思えません。

それでも彼女が当選したことの意味を、私たちはよくよく考えるべきです。

野党側も都知事選ではこの「人気投票」というクソゲームの土俵上で戦ってきたわけです。だから、都政にかんする政策をまったく考えていない鳥越俊太郎氏を、平気で候補者に担ぎ上げたのです。当初高かった支持率があっというまに落ちたのは、当然のことだと私は思います。

余談になりますが、いきなり祭り上げられた鳥越俊太郎氏が、何の政策も語れないのは当たり前です。それでもなおかつ、知名度のある鳥越氏でないと勝てないからと言って統一候補にし、宇都宮さんを引きずり下ろしたのなら、政党でも市民団体でも、彼を持ち上げた側が政策パッケージを提示し、政策協定を結ぶべきだった。

なのに、野党側も鳥越氏も、政策に真剣に向かい合ってこなかった。政策が都民のためのものである限り、それは都民に向き合ってこなかったということと同じです。

実現する気のない政策を掲げた小池百合子同様、政策もないのに鳥越俊太郎や彼を推した野党も、その不誠実な態度で同じぐらい都民を愚弄したのです。その不誠実さを前提とする土俵で戦っている限り、リベラル側が負けるのは当たり前です。

だって「私は嘘つきですよ、約束守りませんよ」っていうウヨクと、「私は誠実です」という面をしながら何も政策を考えていないリベラルと、どっちがよりまともだと思いますか?(笑)。

もっとも弱い人に向き合う、今回の都知事選

話がだいぶ飛びましたが、今回の選挙では、山本太郎と宇都宮けんじどちらも、前回のような不誠実さの対極にあるように私には思われます。

山本太郎は会見で、立候補する動機について、街にあふれている餓死寸前の人たちを救いたいと明言していました。宇都宮さんもインタビューで、「毎日、地べたで苦しんでいる人に手を差し伸べるのが行政であり、政治だと思います」と言っています(赤旗 6月14日)。

この都民、特にもっとも弱き人々に向き合う姿勢こそ、政治にとって最も大切なものだと思います。

不信用の人気投票から、誠意と信用にもとづく民主主義選挙へ。そのゲームチェンジを可能にする条件は、二人とも十分に備えていると私は今のところ思います。

だいぶ長くなりそうなので、残りは中編・後編に回します。

中編を書きました。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?