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OTAHENアンセムの歌詞が気になったので買って聴いてみたら見事に死んだ

ようみんな、久しぶりだなはじめまして!限界noteの時間だよ!

今日は夢見りあむのソロ曲OTAHENアンセムで感情をボロボロにしたので、無理になっていこうと思います。
(本記事はアイマス畑の外の人間によるものなので、タヒんでくれおねシンセルフパロ等の話は多分あんまりしません。好きなiDOLはインベルです。)

さて、まずはぼくの夢見りあむ知識から説明しておきますが、正直なところぼくのりあむ観は『ほぼ100%Twitter』から来ています。なので、ぼくが感じている夢見りあむが本当に正しいものなのかはよくわかりません。というわけで、これは「ぼくの思う夢見りあむ」からスタートする、他人に見せるにはあまりにもあんまりな話になります。「おや?時間の無駄かな?」と思ったら、悪いこた言わんからページのタブを閉じようね。

ぼくの中で形成されている『夢見りあむ』像

じゃあおめーの知ってる夢見りあむってなんだよ、というと。

生まれはゆとり、SNS育ちの炎上体質。
人生に失敗したと悲観する自己否定アイドルオタク。
社会からはドロップアウト気味、救われるのはオタ活をしている時間だけ。
登場したばかり、まだ何もしていないのに神聖視するアイドルたちをよそに総選挙第3位。当時のコメントは感謝や喜びではなく、戸惑いによるもの。

まず表面的にはこう。めちゃくちゃ話題になるので、直接触れなくてもそれなりに目にするんだよな……。

で、このあたりから彼女についてどう受け取ったかというと、

『ザコメンタルを自称するが、絶望を知ってなお生き続けられる、言い換えれば絶望を抱えながら生きることができてしまう、タフで可哀想な女』

こんな感じ。
恐ろしくないですか?自己肯定感を全く持たない人間が、唯一の心の拠り所で聖域でもある部分に自ら土足で乗り上げるの。そしてそこで何の苦労もなく、憧れてきた人たちを押し退けて、自分が栄華に輝くシンデレラストーリー。
発狂するでしょそんなの。
おもちゃみたいに扱われて、その結果自分の大切なものが自分の存在で汚れていく。世界観次第では魔王になるよ。

そんな境遇にありながら、文句を垂れながらも自我とアイドル業を保っている、めちゃくちゃすごくて、めちゃくちゃ可哀想な人。
夢見りあむです。

そんでそいつの曲を聴いてどうなったのよ

それだから、昨晩Twitterで歌詞を見かけて悲鳴を上げたんですよね。
なんかめちゃくちゃ過激なセルフパロあるけど???
すげえ重たい雰囲気する~

今日買いました。聴きました。
めちゃくちゃ泣いた。どばどば泣いた。

この曲には淀んだ絶望の気配がする。
これは、夢見りあむもりあむ担も救われない、共に絶望を歩くための曲だ。

なーに言ってんだこいつ

なんかね、最近駄目なんですよ。
どうにもこう、誰かを『推す』という行為が少しずつぼくの生活にも食い込んできていましてね。奇しくも、この限界noteはそうやって誰かを推した時にエントリが増えていたわけなんですけれども。
近頃はというと、推し武道のアニメを観てみたり、虹ヶ咲スクールアイドル同好会の過去番組再配信を観てみたり、『推す』という行為について考えてたんですね。

そして得たぼくの持論が、「『推す』対象の距離が近いほど健康によくない」です。または、「ノンフィクションの人間をコンテンツにするな」、こんな感じ。よくないんですよ。健康に。劇薬。
距離が近いほど、自分がワーキャーした影響が推した相手にフィードバックする。それはもう、ただの人間関係なんですよね。
推した相手が夢に向かって一喜一憂する様を共有するということは、大げさな話、その分人間ひとりの人生を外付けするに等しいんですよ。下手したら家庭を持つのとそう変わらんぞ。
だからね、健康によくないと思うんです。
自分が過去誰かを推したことに後悔はないけれど、事実として、絶対に健康にはよくない。
そこいくと、二次元は結構ちょうどいいなって思うんです。相手へのフィードバックは大きくない。自分の愛が傷を残さない。コンテンツの先に人間がいることと、人間そのものがコンテンツであることには大きな隔たりがあります。(中の人も推し始めるとそのへんの境界が曖昧になってくるから気をつけよう!おにいさんとの約束だよ)


「なるほど!わかったよおにいさん!
つまり夢見りあむはまさしくちょうどいいコンテンツ生物ということだね!
うりゃおい!うりゃおい!うりゃおい!うりゃおい!」


違う!!そう!!違う!!!


なんかこう……なんかこいつ、違うんだよな!!違う!!
普通、二次元のキャラクターの言動は現実で炎上したりしないんだよ!!
こいつ、なんか地続きなの!!!

夢見りあむ、なんか様々なテクニックを凝らして解像度を高めてくるんですよね。普通キャラクターとしてはありえない、普通の人間にありがちな不完全性を備えていて、そいつが現実の総選挙の結果に不平不満を漏らしたりする。そうしてファンと同時にアンチを増やす。
なんかね、見えてきちゃうんですよ。人間が。なんなの?

そんで結局何がどうなってそんな泣いてるんだ

じゃあそろそろ一番したい話をしますね。
ぼくがOTAHENアンセムを聴いて一番しんどくなったのは、オタクソロからのチョローーーーーーイ!!!です。
りあむへの愛をオタクが叫び、それを受けてりあむが立ち直る、という筋書きのパート。絶対楽しいやつじゃんこれ~。

今ぼくはしんどいという話をしています。

ここ、絶対楽しいんですよね。ぼくも想像したんですよ。
熱気溢れるライブ会場。ぶちあがる空気。
「言いたいことが あるんだよ!!」
さっき知ったんですけど、これまんまドルオタ文化にあるガチ恋口上ってやつらしいですね。不思議な世界だ……。
ともあれ、公式にコールとして用意されているわけです。そんなん当然参加するじゃないですか。ライブに来て、「いや、この子は担当ではないので…」って静かにする奴いないでしょ。いるかもしらんが多くはないよ。
テンション上がる~!フ~!たのし~!ってなりながら、公式から用意された愛を叫ぶんですよ。
それを受けて、りあむが予定調和のチョロイで復活するんですよ。

絶望じゃない?

「自分を心から推す奴なんていない」
「オタクは心変わりするものでいずれここからいなくなる」
そう思っている子が、自分の曲でハリボテの触れ合いをするんですよ。
事実、会場にいる多くの人は、悪意もないままに、娯楽として消費するために心にもないことを言うわけです。

夢見りあむ?
好きだよ、めちゃくちゃで面白いしかわいいよね。おっぱいおっきいし。
あ、担当は別にいるけどね。

これくらいの人たちによって合唱される「世界で一番愛してる」。
こいつメンタルの耐久試験でもされてるの?

そうは言ってもね、本人も楽しくないわけはないと思うんですよ。
ステージの上と下、自分の一番知っている共通言語でファンと交流するひととき。

でも、その後ろに横たわる絶望は、絶対にある。
ぼくの感じてきた夢見りあむであれば、絶対にある。

そして、その会場にはりあむ担がいる

どれくらいの割合になるんでしょうね。門外漢なんで、モバマスのライブ一回に何人くらいアイドルが登場して、1回総選挙3位を取ったアイドルの担当がどれくらいいるのか全然わからないけど、多分、どれだけ多くても2割とかだと思うんですよ。10%切ると言われても「ああまあ、そうだよね」という感じ。後で誰か教えて。
とにかく、会場のどこかに、心からの愛を叫ぶ担当がいるんですよ。夢見りあむを心の支えに日々を生きている、それこそ写し鏡のような人がいるはずです。「やっと見つけたお姫様」と叫ぶズッ推しだいすき侍がいるはずなんですよ。

でも多分、夢見りあむにはまだそれはわからない。それを見つけるには自己肯定感が足りないし、仮に見つけたとして、今推していようが次会う時にはわからない。どうあっても、その声はりあむの絶望を拭えない。

だから、りあむ担は叫び続けるしかないんですよ。
自分の声援がりあむの絶望を浮き彫りにするとしても、嘘でないことを証明するためには、無いかもしれないゴールを信じて叫び続けるしかない。


重すぎる。健康によくない。


ぼくはこんなことを感じているので、単曲リピートしながらオタクソロの度にりあむとりあむ担のことを想って泣いています。
アイドルどころかそのオタクのことを想って泣くのはじめて。なんだこいつ気持ち悪いな。

OTAHENアンセム、すごい曲だよ。
ほんとのところ、ぼくもライブ会場で「うんこーーーーー!!!!!」と叫びたい気持ちは大いにあるけれど、外から見ているだけでこの有様なので、絶対に近寄らないようにしようと思う。


さて、この解釈が的外れで、夢見りあむが素直にこの曲このやり取りを楽しんで受け入れているならば、この記事はただ恥ずかしいだけのファールボールとなります。
その方が世界としては幸せだよ。

夢見りあむ、ならびにりあむ担の人たちがいつか最高のフィナーレを迎えられますように。

勝手に悲観して勝手に感動して勝手に祈る記事でした。

おーわり。

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