志村が死んだ。
志村けんがいなくなった。
子供の頃からいるのが当たり前に思っていた、
志村けんがいなくなってしまった。
本当に悲しい。おばあちゃんが死んだ時と、
同じくらい、いや、それ以上かもしれない。
おばあちゃんはおばあちゃんなので、
いつかいなくなると、心のどこかで知っていたから、やはりそれ以上だ。
ワニ君みたいに100日後に死ぬんだな、
と分かっていれば心の準備ができているけど、
志村けんは違った。
なんで会ったこともない、芸能人の死でこんなに心がかき乱されるのか、全く初めての事で困っている。
でも、今、日本中の人が悲しんでいる。
いや、日本だけではない。
きっと、世界中にいる志村けんという存在を知っている人達が、悲しんでいる。
これほどたくさんの人に愛された人は、
そんなにいないと思う。
志村は、(私の中ではあくまでも志村なので、さんは付けない) 本当に特別な存在なのだ。
何故だろう?
きっと志村は、たくさんの人の、
幸せだった時の記憶と、深く結びついているのだと思う。
志村の笑いは、言葉なんか必要としないので、
誰もがその動きと表情で笑えてしまう。
以前何かのテレビで見た、日本に来たばかりの
外国人がそう言っていた。
笑いというのは、幸せそのものだ。
どんなに辛い時でも、笑うことができれば、
大丈夫なのである。
その幸せが、いきなり、しかも世界中を襲っている新型コロナウイルスで奪われてしまった。
志村けんがいるという安心が、突然、
志村けんが死んでしまったという絶望に、
変わってしまったのである。
だいじょぶだぁと言ってくれる人が
こんなに呆気なく、死んでしまったのだ。
だいじょぶじゃないのだ。
これはこの現代に生きている人のほとんどが、
初めて経験する未曾有の大ピンチなのだ。
世界中で知恵を出し合い、助け合うしか方法は無いと思う。どこかの国のせいにしている場合ではないのだ。
志村けんがいない今、
みんなやれる事をやって、踏ん張ろう。
いつの日かもう一度笑える日が来るまで。
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