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否定や批判ばかりの人は、自分に得がないこと以外は全て反対する

あなたの周りにも、何を言っても否定や批判ばかりの人って、一人くらいはいるのではないでしょうか?

それは友人かもしれないし、
恋人かもしれません。
あるいは、会社の上司かもしれません。

友人であれば、まぁ距離を置けば良いだけかもしれません。でもその相手が、会社の上司だったり、結婚した相手、家族だったりすると、ちょっとつらいですよね。

「旦那が何を言っても否定(批判)ばかり…」という悩みを抱えている人って、実は多いのではないでしょうか。

原因としては、あなたがなめられているということだと思います。

相手になめられている

とくに、恋人や夫婦の場合ですと、
このケースは多いと思います。

  • 相手の方が学歴が高い

  • 相手の方が収入が多い

  • 相手の方が社会的な地位が高い

人はなぜか、何か一つでも秀でていると、他の何かでも秀でていると判断しがちだし、本人自身もそう考えます。

オリンピックでメダルをとった選手がニュースのコメンテーターになってたり、経営者が社会問題を斬りまくったりしていますよね。

でも考えてみれば、特定の何かに秀でていることは、別の何かでも秀でているとイコールではありません。
でも現実的には、高学歴の旦那が奥さんを馬鹿にしていたり、収入の多い旦那が、「自分がいなければお前は生きていけない」などと言ったりするのです。
もちろん、妻が夫に対してという、
逆のケースもあります。

仮に無意識下であっても、相手よりも自分の方が優れていると思っている場合には、意見が分かれた場合には、自分よりも劣っている相手は、「間違っているはずだ」と考えてしまうのが人間です。

とくに男の場合、「自分は自分の判断でここまで来た」みたいなプライドの高い人も多いので、中々自分が折れるということができません。
結果として、モラハラの関係性になってしまうわけですが、結局のところ、相手になめられているというのが、根本的な原因ではないでしょうか。

相手に依存しないようにする

ではどうすれば、相手になめられないようになるのか?
どうすれば否定や批判ばかりの相手を黙らせることができるのか?

それは、相手に依存しないこと、相手よりもあなたの方がすごいと思わせることです。

相手に依存している状態や、媚を売っている関係性では、相手の態度はエスカレートしていってしまいます。
なので、例えば収入を増やして相手の収入を越えるとか、勉強して資格をとって、相手よりも頭が良いことを証明するとか、相手が拠り所としている何かで、こちらの方が優れているということを証明することです。

他にも、例えば、「何か習い事を始めたい」と相談した時に、「どうせ無理だろ」と言われても、勝手に始めて、それを楽しんだり、結果を出しましょう。

そうすれば、別の何かで否定された時でも、「あの習い事やって良かったし、あなたの言ったこと間違ってたじゃない」と言えるようになります。

否定や批判ばかりの人は、「自分は正しい」と思っているので、もしも相手の言うことを聞いて「私には無理か…」と折れてしまうと、「言った通りだ」となってしまいます。要は相手の矛盾点を作りたいわけなので、否定意見が正しくないということを証明すれば良いわけです。

否定や批判ばかりの人とは関わらない

夫婦や親、上司の場合には難しいかもしれませんが、そもそも話、否定や批判ばかりの人とは関わらないのが一番です。

もちろん、否定や批判の中には、有意義なものもあります。自己啓発本では、否定や批判ばかりの人たちのことをドリームキラーと呼んでいて、「無視しよう、近づくな」と言っています。

私はそういうふうに、全ての意見を無視するのが正しいとは思えません。迷惑系YouTuberには批判の声が絶えませんが、彼らはそれらを無視しているわけで、そういう人たちと一緒にされるのは嫌ですもんね。

ただ、世の中には、理由もなく否定や批判ばかりの人たちがたくさんいます。XやYouTube、Yahoo!ニュースなんかを見ると、否定コメントしかしていない人たちっていますよね。
私はある時、そういうアカウントの過去投稿を辿ってみたのですが、そういうアカウントって、投稿内容がネガティブな言葉ばかりです。

その時ふと、こういう人たちは、自分に得がないこと以外は、全て否定するのだなと思いました。

誰が総理大臣になろうと「この人じゃダメだ」と否定する。
どんな法律が制定されようが「意味がない」と否定する。
株価が上がろうが下がろうが否定する。

「あなたに100万円あげます」という以外の話は、全て否定する。でもたぶんそういう人たちは、反射的に否定意見を言ってしまうので、そういう話でさえも、「いや、いりません」と言ってしまうのだと思います 笑

批判は難しいもの

相手を否定するのは簡単ですが、
批判は本来難しいものです。

批判とは、物事を検討した上で、客観的な事実を踏まえ、評価することを指すようです。
対して否定は、検討や客観的事実を含まず、主観的な解釈による評価のことを指すようです。

言ってみれば、批判は検討価値があり、否定はやや検討価値が薄いということです。
全ての意見に対して批判や否定をする人たちが、ちゃんと客観的な事実を根拠としているか、検討の時間をとっているか、そこが問題なわけですが、例えば、「起業したい」「転職したい」と言った時に、間髪をいれずに「無理だよ」と言う人たちは、批判よりも咄嗟の否定をしたと考えるのが妥当でしょう。

本当に相手のことを思って引き止めたいのなら、なぜ無理だと思うのかについて、少なくとも一晩くらいは調べてみるのではないでしょうか。

主観から導き出される否定意見に信頼性が全くないわけではないですが、あらゆることに否定する人が、その対象全てに知見があるとは思えません。

政治の否定をするのなら、政治についての経験や知識が必要だし、法律や経済も然りです。「この習い事したい」と相談した際に、「無理だよ」と、主観で判断するのであれば、その習い事を経験したことがあるとか、主観的な判断ができる何かが必要です。

世の中のあらゆることに対して、主観的な事実のみで判断できる人間など存在するのでしょうか?

そんな人間存在しないので、仮に相手の反対意見を、とりあえずは批判的意見と捉えるとします。その場合に必要なのは、客観的な根拠です。
客観的な根拠が必要になるのですが、それを用意するのって、ちょっと面倒だし、時間がかかりますよね。

例えば、「日銀がマイナス金利を解除」といった経済ニュースが話題になりましたが、これに対して反対意見を述べるためには、金利を引き上げることによるネガティブな影響を過去に遡って調べたり、日本の今の経済状態を調べたり、色々と調べることが多いです。

色々と調べた上で、客観的な根拠をもとに反対意見を述べる必要があります。「そう思うから」というのは、客観的な根拠とはなりません。
これってかなり面倒だし、頭が良くないと無理じゃないですか?

批判って、ある程度の頭の良さと、客観的な根拠を探す労力が必要なのです。めっちゃ大変なんですよ。というわけで、批判意見を述べる人たちは尊敬できるし、逆に、口を開けばすぐに否定みたいな人たちは、仮に頭の良さはあったとしても、調べる手間は省いた、天邪鬼のような野郎だってことを理解しておくことです。

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