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地域リーグからB1へ

大学4年生の僕は悩んでいた。小さい頃からの夢はプロバスケットボール選手。でもそんな僕は日本代表はおろか関西選抜にも入っていない。どこの大学にもいるそこそこの選手。でもバスケが大好きで、プロ選手になる夢を諦められずにいた。
そんな中周りはみんな就職活動をはじめていく。『僕も何かしないと。』と思いプロバスケ選手への未練タラタラで就職活動をはじめた。書類で落とされたり、グループワークや面接で他の就活生との差を感じ、バスケしかしてこなかった僕の無力さを感じた。毎日届くお祈りメール。数十社落ち、なんとか主に繊維を扱う商社から内定を貰った。

でもプロバスケットボール選手になる夢を諦められない。春の大会で活躍し、オファーを待った。音沙汰なし。大学のコーチや先輩方を通してチーム関係者に試合の映像やスタッツを送った。良い返事が返ってくることはなかった。もう就職すべきか。悩んでいる僕に兄は言った。

『お前が死ぬ時あの時プロへ挑戦すればよかったと思わないか?プロになれなかったとしても、100回トライアウトに落ちたとしても挑戦した方が後悔がないと思わないか?俺は100回トライアウトに落ちた人は挑戦しなかった人よりも魅力的だと思う。』

心は決まっていた。ただ背中を押して欲しかった。兄は強烈に押してくれた。

内定を辞退し、様々なトライアウトを受けた。落ちた。お前は通用しないと言われているような気がした。でも挑戦し続けた。そんな時にバイトの休憩室でスマホのメール見た。Bリーグ参入、そして最短でのB1昇格を目指す佐賀バルーナーズというチームができる。迷わずトライアウトを受けた。合格した。夢の第一歩は地域リーグから始まった。

まだこの頃は佐賀の人々にはほとんど認知されていない。

地域リーグではクラブチームや企業チームに負けた。応援席には自分たちの家族と会社の方が数名。次のシーズンからのB3加盟が決定した時も自分たちと数少ない応援してくださる方たちで喜んだ。なんとか勝ち上がった天皇杯でB1の琉球ゴールデンキングスと試合をする機会を手に入れた。結果は110対51だった。歯が立たなかった。でも楽しかった。夢にみる舞台、B1を初めて肌で感じた。ディフェンスの強度、ゴール下での高さ、シュート力、遂行力。全部のレベルが違った。この経験を何ヶ月も しがんで、そのレベルに勝つことを想像しながら練習した。

ディフェンスのプレッシャーが怖くてウイングで前を向けなかった。

そしてB3にあがり、プロとしてのあり方を先輩たちから学んだ。人がまばらな諸富体育館だったけど、毎試合来てくれる方の励ましや 日に日に一体感をます応援が嬉しかった。
B2では何度も悔しい思いをした。思うように試合に出れない日々。高校大学時代の先輩に負けて発足当初からの目標であったB1への最短昇格を果たせなかったこと。怪我人が相次いでベストな状態で戦えなかったこと。その全ての経験を力に変えてきた。
周りの人にも恵まれ続けた。尊敬できるチームメイトから毎日多くのことを学んで、負けないように成長してきた。チームが成長していくスピードに負けないように、振り落とされないように練習し続けた。悲願を達成した。B1昇格。嬉しかった。同時に『やっとスタートラインに立てる。ここからはもっと険しい道なんだろうな。』と思った。でもそんなことを思えるところまで来れたのもやっぱり嬉しかった。

バイトより少ないお金だけどバスケで稼げたことが嬉しかった。地域の方がくれた玉ねぎばかり食べていたから身体から玉ねぎの匂いがした。笑
B3時代。人がまばらな諸富体育館。
B2初年度の開幕時は胸スポンサーがいなかった。
最終戦は7500人のSAGAアリーナでその瞬間を
分かち合った。


そして僕は明日、B1の舞台で闘う。相手はあの時と同じ琉球ゴールデンキングス。

あの時『地域リーグから一歩ずつ昇格を目指して行くなんて諒汰らしいじゃん。なんも心配いらないよ。』と言ってくれた父。どんな時も1番のファンで、僕の心の支えである母。背中を押してくれた兄。強い生き様で夢を追う人の背中を見せてくれた姉。そして尊敬する佐賀のチームメイト。一緒に闘ってくれるブースター。そんな家族のために僕は闘う。夢だった舞台で。

#FightForFamily

2023.10.4

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