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インドを見る視座 ③インドとの選択的関係性 


(以下は、2023年末に投稿した内容をNoteにまとめたものである。連投という形でXには投稿したが、やはり文章としてまとまっていたほうが読みやすいので、こちらに投稿。)

今回は、インドを見る視座として、次の三つの中から、③インドとの選択的関係性に関する章の投稿である。
① 国ではなく「地域」として捉えるインド
②印僑とインド民
③インドとの選択的関係性

インドは確実にこの先の2020年代に渡って世界経済や政治の台風の目である。一方で、個人や個社としてインドに積極的に関わるかどうかは、それぞれ答えが異なる。仮に関わるとしても一つ目の視座で提示したように、単一のインドという国があると思わないほうがよい。具体的にインドのどの地域の、どのような集団と付き合うのかによって、難しさも注意すべき点も異なる。さらに、二つ目の視座で述べたように、印僑とインド民の間でも隔たりがあるので、インド民と直接付き合うような関わり合いを目指すのか、印僑を媒介にしながら、間接的に付き合うのかによって違いがあるつまり、我々とインドとの関係は、「選択的」であるという点が、三つ目の視座である。単一のインドも、単一のインド人もそこにはいない。

インドに駐在し、ビジネスを広げようとしている自分が言うのもおかしいかもしれないが、様々な選択がある中で、敢えてインドと関わらないことも選択の一つとして持っておかなければならない。特にインド民との応対は我々日本人にとって非常にストレスが多く、往々にして不快な思いをすることは間違いない。これは何万人もの過去のインド駐在員が経験してきたことであり、ダイバーシティなどという最近出てきた言葉では覆うことのできない実感と歴史であり、否定しようがない事実である。インド民は我々の常識や先進国の常識とは全く異なるロジックで動いている。私もインドの経験を通して何百人もの日本人と接してきたが、インドという社会、インド民の特性を、「見習おう」、「素晴らしい」、「心地いい」、と思っている人よりもネガティブな感情を持っている割合のほうが圧倒的に多い。インドで生活している外国人が10人いれば9人はインド民の行動様式にネガティブな感情を持っているくらいの肌感である。大都市でホワイトカラーの仕事を行っていて、自家用車を保有できるほどに裕福で洗練された層と接しても、彼らに対する不信感や不安感は変わりない。これがさらにローカルなインド民になった場合はどんなものか想像に難くない。単純に生活するだけでも、首都のデリーやムンバイやコルカタなどの大都市であっても、実際にここで外国人が生活をするのは、住環境、医療環境、衛生状態、大気汚染、食料の調達、どれを考えても不安は尽きない。ほとんどの日本人や日本企業にとっては、インドと関係を持つことのハードルとコストは極めて高いと言わざるを得ないのである。
それでもなお、インドが持つ巨大なポテンシャルに魅了される者もいるだろう。ただ、それはインドの中の、どの部分のことを指しているのだろうか。視座の一つ目にも関係するが、インドを地域として捉えると、インドに進出することで巨大な市場にアクセスできると思ったら全く違う。デリーならばデリー、チェンナイならばチェンナイ近郊の個別の市場が存在するだけであって、インドのどこかに事務所や工場を構えたからと言って、魅力的な超巨大市場に一遍にアクセスできたわけではないのである。もちろんインドは一つの州といえども広大だ。だが、最大の経済都市ムンバイがあるマハーシュトラ州の人口は1.1億人でほぼ日本と同程度、東京都のGDPだけでもこの州の2倍ある。東京で勝利するのと、マハーシュトラ州で勝利するのとどちらが難しいだろうか。この数字とインドを相手にする幾多の困難を勘案したときに、それでも彼らと関係を持つだけ魅力的に映るのかどうかは、個人や企業が目指すべきところとその体力によるだろう。この点からも本当の市場の魅力というのは捉え直す必要がある。

完全にインドには目をつぶるというのも一つの戦略であるが、もちろん部分的な関係を持つこともできる。これも選択的関係の一つである。ビジネスを例に取れば、モノやサービスをインド市場に販売するが、自身は絶対にインドの地を踏まない、支店や工場は作らないと、割り切る関わり方だってあるはずだ。デリー近郊でコカ・コーラを買って裏を見ると、製造者はインドのボトリング会社であり、コカ・コーラ社は現地で製造や流通を行っていないことが分かる。単に原液をこれらのボトリング会社に売っているだけで、後工程は現地に任せている。わざわざアトランタからインドに駐在員を送って苦労させたり、煩雑なインド国内の流通網を自分で整えて管理するようなやりかたを選択していない。最近はアップルもインドの製造拠点を拡大する方針を打ち出したが、もちろんこれまでアップルがやってきた通り、インドは、「決まったものを作るだけ」、であり、デザインや開発などのコア機能を現地に置いたりする気は全くない。さらに言えばその製造はインド企業に任せず、インドに進出している中華系企業に任せるやり方だ。これとは全く反対のアプローチをとっているのはスズキ自動車である。彼らは何百人もの大量の日本人駐在員を現地に送り込み、インドに根付いた製品の開発やマーケティングを自前で行っている。日本人駐在員はインド民を直接管理・指導しており、その日々の苦労や心労は近くで見ていても大変なものである。その努力の成果として外国メーカーにもかかわらず今やインドで一番のシェアを誇るまでになったが、個人レベルで見れば肉体的・精神的に大きな人生の対価を払っている。

人との関わり合いについても、選択が重要になってくる。インドのビジネスは現地・現物が命である。先にあげたインド民の特性と、政府や法律、社会の特性が相まって、この国では、自分の目と耳を使って現地で確認したこと以外は信じられることはない。何かを確実に実行しようと思ったら自らが現地に行って文字通り手を動かさないと要求水準を満たすものは作れない。ちょうど2023年はバンガロールに日本人が経営していている有名なピザチェーンがオープンした。その日本人経営者はインド進出にあたり、自身の家族もインドに移住し、自分が陣頭指揮を執って立ち上げをおこなった。インドでの事業経験がない者として、この地の本質に早期に気付き、覚悟を持って現地にトップ自ら飛び込んだことは、非常にインドの特性を解したやり方だと思って見ていた。
しかしながら、インドの環境やそこに住むネイティブなインド民の組織を作り、仕事をさせることは、我々外国人にとって非常に負荷が大きい。いくら現地・現物が重要といっても、何十年にも渡って彼らをコントロールすることが果たして現実的かという疑問がある。ここにおいて、インド民を直接統治するのか、印僑のような者を媒介として統治するのかという選択が出てくる。この論点は非常に古典的かつ既に18世紀、19世紀に一定のテストが行われた論点であり、欧米は既に彼らなりの経験と答えを持っている。中でも英国は、「ミドルクラス」と呼ばれる、英語を話せて、場合によっては英国に留学経験もあるようなインド人を通して統治を行った。ヨーロッパの文化への理解があり、教養や倫理感も彼らと対話できるレベルまで洗練された限られた一部のインド人を通して間接支配したのである。結局は、ネルー首相やガンジーなど革命の闘士がこの中から生まれてしまったのであるが、「ミドルクラス」を使った間接統治は、彼らの一つの解であった。佐藤正哲他著の、『ムガル帝国から英領インドへ』の中にも、当時英国が行った教育の目的が記載されおり、それは、「肌の色はインド人、しかしものの感じ方や考え方はイギリス人であるようなインド人を養成することであった」と解説されていて、当時のイギリス露骨な意図が垣間見える。

現在ではどうか?欧米のインド統治の基本スタイル「現地のことは現地に任せる」というやり方は変わっていない。欧米は旧来の帝国主義の時代からインドと深い関りがあったにも関わらず、実は、日本や韓国企業と比べてあまり多くの駐在員を派遣しておらず、欧米の会社の駐在は驚くほどデリーの街で遭遇することは少ない。この背景には印僑の存在が大きく、アメリカに5百万人、英国にも2百万人ほどの印僑がおり、これらの国で教育を受けて現在インドに住んでいる広義の印僑的な者も含めればその数は十分に多いので、彼らを現代の「ミドルクラス」的に用いることができている。つまり、直接的にインド民を管理するような統治を行わずに済んでいるのである。日本の企業は、英語の不自由さもあり、なかなかそこまで割り切った統治を行うことができずにいるが、例えばソフトバンクの現地ヘッドは当初からインド人経営者に任せており、我々のインド生活に欠かせない電子決済システムPaytmへの投資をはじめとした、その莫大な投資額に比べて、インドにおける日本人駐在員の存在は非常に薄い。(現時点では既に駐在者を出していないかもしれない)。このインド人CEOも例に漏れずキャリアの途中でアメリカにて教育を受けた広義の印僑である。これは他の日本企業が現地トップに日本人を置き、その下に日本人の管理職を据えたりすることでインド民を直接統治しようとするスタイルと好対照である。インド民を直接外国人が統治するスタイルが不可能なわけではないが、それには非常に多くの犠牲と時間がかかる。意図的に印僑という媒介を通して統治を行うやりかたも、インド人とのかかわり方の選択肢の一つである。

そもそもインドと関りを持つ必要があるのか、それが個人や個社として必要なのか。幸せをもたらすのか。もし、その可能性があるのならば、インドのどの地域のどのようなコミュニティとかかわりを持つのか。印僑を媒介してインドとかかわるのか、それとも直にインド民と交わる覚悟を以て接するのか。一つひとつ選択していかねばならない。そして、インドという一つの言葉で語ることが似つかわしくないほど、選択の幅は多様である。2023年はここ数十年で日本のメディアで一番インドが特集された年かもしれない。それだけこの国は注目されていて、期待されている。だからこそ、その波に流されずに冷静にインドとの関わり合いの必要性を選択する視座が必要だと感じる。インドと日本の間の隔たりは大きい。それは欧米や中国や東南アジアや中国の比ではない。興味深い現実として、東京外語大や大阪大学といった一流大学でヒンドゥー語を学んだ日本人がこれまで何百人と輩出されてきたにもかかわらず、インドで働いている彼らを全く見ない。ヒンドゥー語を勉強し、留学までしたにもかかわらず、インドはお腹一杯になり、他に興味を移す学生が多く、結局日本の生活と比較した時に、家族の問題や不便さや非効率さを感じて日本に戻り、インド関連のビジネスを行っていたりする。彼らのようなレベルの人間でさえ容易に継続的な生活を営むことは困難な地がインドである。

 ここまで三つの視座について述べてきた。①国ではなく「地域」として捉えるインド、②印僑とインド民、③インドとの選択的関係性、これらは私の短い駐在員経験を踏まえた視座であるが、気づけばいずれも駐在前にぼんやりと頭にあったことである。それが駐在の経験を経て、解像度があがり、言語化できるようになった。やはり途上国の駐在というものは、ビジネスマンでありつつも冒険者であり、ジャーナリストであり、文化人類学者的なものだと思う。全くの異民族が織りなす社会を観察し、その仕組みを分析し、本国に伝達する。それによって後人に有益な情報と後学を残す。単にその場の仕事をしているだけでは目先の利益にしかならず、さらに遠大な利益をもたらす成果を持って帰られねばならない。


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