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結婚式を自粛して100万円飛んでいった話

ああ疲れた。とても疲れた。本当は誰かと朝まで飲んで全部一緒に吐いてしまいたいけど、そうもいかない状況なのでこの場を代わりに使わせてください。

本格的に式の準備を始めたのは半年前。僕はイベントごとが結構好きなので、カスタマイズできる自由度の高い式場を選んだ。いろんな企画を考えるのはとても楽しくて、思わず動画を4本も作った。これはやりすぎたと思う。

2ヶ月前。中国が大変なことになっているというニュースを見ながら、腹筋とスクワットに励んでいた。糖質制限も始めて、大好物のビールを我慢してハイボールに切り替えた。体重はみるみる減っていって、当日までには理想の体型になれそうだ。

1ヶ月半前。日本での感染事例が少しずつ報告されて、これはまずいと思い始めた。念の為に式場との契約書を確認してみると、日程変更もキャンセルと同じ扱いと書いてある。嘘だろと目を疑ったけど、よく思い出したらちゃんと説明を受けたしバッチリ署名していた。
不測の事態にキャンセル料を負担してくれる「ブライダル保険」という保険の存在も知って、急いで申しこもうとしたら式の45日前までが期限だった。その日は惜しくも43日前。自分の守備力の低さを呪った。
式場に問い合わせると、今のところ他ではキャンセルも日程変更も出てないらしい。何度も話し合い、もう少し状況を見守るという結論に至った。

1ヶ月前。事態は悪化していた。向こう2週間が山場ということで、学校の一斉休校が発表されて、会社もリモートワークに切り替わった。登壇予定だったイベントは全て中止になって、旅行の計画も潰れた。ただ不安を感じつつもどこか他人事な部分も確かにあって、リモートで飲み会やって盛り上がって、こっちの方が楽しいじゃんなんて言いながらハイボールを口に運んだ。式場との打ち合わせでは感染対策について議論し、内容を変えつつもまだ実施するつもりでいた。

3週間前。その頃になると、毎日かじりつくように情報収集をしていた。ニュースを見ては引用元を探し、論文を読んで難しそうな顔をしてみせた。それでも状況が良くなっているのかすら分からなくて、結局は専門家を信じるしかないと悟った。
キャンセルという言葉がじわじわと現実味を帯びてきて、改めて式場と話し合った。契約書には、キャンセル料が発生するのは「ご契約者様のご都合でキャンセルした場合」と書いてある。ここに罠があった。

自粛:自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと。

辞書を額面通りに受け取ると、自粛とはあくまで自分から進んで行なう行為のこと。つまり自己都合、「ご契約者様のご都合」なのだ。国から禁止が出ているわけでもない中、開催の判断は個々人に委ねられている。自粛するということは、つまり責任をとって開催をやめるということなのである。そしてその責任がキャンセル料となって跳ね返ってくる。
これはこの式場が特別悪質とかそういうわけではなくて(もちろん例外扱いしてくれるところもあるだろうが)、結局入れなかったブライダル保険も同じ解釈だった。ブライダル保険において補償が行われるのは、主催者自身が感染した場合のみとのことである。

キャンセル料は目玉の飛び出る金額だった。僕の生涯で一番高い買い物が、キャンセル料になる可能性がある。考えただけで暗澹たる気持ちになって、ただ事態が収束することを願った。

2週間前。山場だったはずの期間を超えても改善する様子はなく、特に海外からの報道が盛んになった。僕は唯一の趣味は海外旅行で、世界中の国境が封鎖されていくのを見るのはとても哀しい。外務省の渡航危険情報のページは10年以上眺めているけど、「全世界」という文字を見る日が来るなんて思ってなかった。欧米では全面的な外出禁止令が出て、都市はロックダウンされ、人々は家に閉じこめられた。

世界が、切断されていく。

リモート飲み会が新鮮だったのは最初だけで、すぐに画面越しの乾杯に飽きて、こっそり近所の居酒屋で飲んだりした。闇飲み会だとかいって、切断されゆく世界に抗うみたいに。
高円寺に気象神社という場所があって、気分転換に式当日の晴天祈願に行ったりもした。本当は天気なんてどうでもよくて、どんな形でも開催さえできればよかったのに。
とにかく何か動いていないと、重圧に押し潰されそうだった。

10日前。結婚式ができるのか、もう分からなかった。実現しないかもしれない式のために準備を重ねるのは、賽の河原で石を積むような徒労感があった。
決行された様々なイベントへの批判を見るたびに、まるで自分が名指しにされてるみたいに感じた。本当にこの結婚式は望まれているのか、なんのためにやるのだろうか。ただ招待した友人たちが気遣ってくれたのが唯一の救いで、そういう声には本当に助けられた。

そのうち情報を集めるのが苦しくなってきて、Twitterのアプリを消去してスマホも見なくなった。トイレットペーパーが買い占められたとかそういう話も、ニュースを遠ざけていたのでよく知らなかった。
旅行記を書くのが僕の日課の一つでもあるけど、とてもそんな気分にはなれなくて、旅への興味も自然と薄れていった。毎日がモノクロみたいに味気なくて、かろうじて仕事をして寝るだけの毎日だった。家での口数も減っていって、社会への耳を塞いだ僕は、切断されゆく世界と同じだった。

一週間前。風呂に浸かりながら、呆然としていた。式で配布するマスクや消毒液が届いたけど、それでもこの状況で開催すべきかどうか、もうどう判断したらいいのか見当もつかない。結婚式は不要不急に該当するのか、延期するとしてもいつになったら収束するのか、どこまでいったら何がどう大丈夫なのか、ああもうわからん。

早く、早く止めてくれ。

一言、「結婚式は中止しろ」と偉い人に言って欲しい。そうすれば僕はすぐにやめるし、お金も返ってくるはずだ。さっさと僕に死刑宣告をくれ。
そんなどうにもならないことをひたすら考えていたら、なんだか意識がぼうっとしてきて、ちょっと風呂に浸かり過ぎたかもしれない。立ち上がった瞬間に身に覚えのないような立ちくらみを覚えて、そこで一旦記憶が途切れた。

「大丈夫!?」と呼びかける声で目が覚めた。僕は風呂場の脱衣所に体育座りしていて、横に立った奥さんが肩を揺らしている。何が心配なのかわからないまま、ああ大丈夫だよと生返事した。ぼうっとした頭で床に落ちたバスタオルを拾うと、端まで真っ赤に染まっていた。

どうやら転倒して、後頭部を洗面台に思い切りぶつけたらしい。不思議と痛みはないが、慌てる奥さんの様子と、殺害現場みたいに広がる血を見るに、ただならぬ事態なんだろう。すぐにタクシーへ乗って救急医療センターに訪れた。

誰もいない深夜の病院は、建物全体が息をひそめていた。研修医らしき先生は僕の傷をみて、ああこりゃ深いねえと感心するような声をあげた。いろんな検査をしてみたけれど今のところ脳に異常はないみたいで、とりあえず消毒して縫うことになった。「たぶん、うーんいやきっと痛いかな。」先生はそんなことを呟きながら消毒液をバシャバシャとかけて、ホッチキスみたいな器具で傷口を留めていった。

バチン。暗い部屋にホッチキス音が響く。バチン。初めての痛みがじんわり広がる。バチン。先生曰く「見事に割れた」皮膚が、針で少しづつ繋ぎ合わされていく。

バチン。その音が鳴るたびに、身体の力がすっと抜けていった。

もし家で独りだったら。意識を失ったまま、体育座りで血を流し続けていたら。

治療室を出て、廊下に響く2人分の足音に感謝した。どういう結末になってもいいんだと、初めて思えた。



3月25日。東京都知事の緊急記者会見が流れた。不要不急の外出の自粛要請だ。がくんとうなだれた一方で、ほっとした気持ちがあったのも事実だった。僕はもう、ここで降りられる。

その夜、式場に延期を申し出た。すぐにWeb会議の場が設けられたけど、結論としてはやはりあくまで「自粛」であることから、費用は発生すると告げられた。
ただより強い形での公式要請が出たと言う事態を踏まえて、担当者の方は親身に相談に乗ってくれたし、本社にも最大限掛け合ってくれた。おそらく全国の式場で、そういう交渉が繰り広げられているんだと思う。無料になったという話も聞くし、あるいは全額負担だったという話も聞く。
僕の場合、規約上は全額負担のはずだったが、式場の配慮により100万円弱に落ち着いた。もう十分だった。もちろん式場も大変だろうし、何よりこの苦しみから逃れられるなら、払おうと思った。

延期を決めてからはあっという間だった。30分でゲストに連絡を終えて、全員が理解を示してくれた。事務手続きもサクサク終わって、家にはお手製のウェルカムボードと、それから6kg痩せて仕上がった身体だけが残った。ここ何週間かの狂騒曲が呆気なく終わって、僕も奥さんもどこかすっきりした気分でいた。



この記事を書いている現時点でも、事態は刻一刻と悪化している。結婚式がどうこうなんて、そんな悩みは牧歌的だったと言われる日も近いかもしれない。けれども。

開催が自己判断に委ねられる限り、きっと同じような状況の人がたくさんいるんだろう。中止であれ延期であれ実施であれ、その決断を下した全ての人にお疲れさまと言いたい。もはや一緒に飲みたい。この際、リモート飲みでもいいよ。お疲れさまでした。

そしてもう一つ。全ての情報を遮断して、外界に耳を塞いで、一切の興味を失って。振り返ると、それは緩やかな腐敗だったと思う。未知への好奇心という僕の根っこを形成している部分が腐っていって、そうして洗面台に頭をぶつけたのだと思う。

たとえ物理的に引きこもっても、淡々と、しかし粘り強く社会に関心を持ち続けていく。この切断されゆく世界で、ホッチキスで傷をとめるみたいに、いびつな接点を探っていく。外へ出られなくても、それが僕の今の旅である。
とりあえずは「いつかに延期になった結婚式をさらにアップデートする」という二番目の趣味が増えたので、これを極めていこうと思っている。もう映画でも作ってやろうかな。

2020年4月4日。結婚式をするはずだったその日は、今のところ晴れの予報である。

晴天祈願は届くのだろうか。

カレンダーの空白の一日が、ただ穏やかに晴れて過ぎますように。


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追記:4月4日の続編があります。

追記2:本になりました。

お知らせ:こちらのnoteが元になった書籍が、2022年8月末に小学館から発売されます。『1歳の君とバナナへ』というタイトルで、結婚式の中止や妊娠中の話から、一年間の育休をとって過ごした日々までを収録。全文が子ども(君)に向けた手紙になっています。予約受付中なので、よければぜひ読んでみてください。


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