見出し画像

飛白Ⅲ

 Ⅱ

 憂き目だ。追放の憂き目に遭うおまえにはいくつかの選択肢がある。
 ひとつ、アメリカ合衆国ミシガン州サギノー市。
 ひとつ、ポルトガル共和国ベイラ・リトラル州レイリア市。
 ひとつ、中国遼寧省丹東市。
 二度と戻ることは許されない。三都のうちのどこかにおまえは流され、その場所で生涯を過ごすことになる。先住民の言葉で「流れ出る」を意味するサギノーは文字通り四つの川が流れ込む湾に面した都市であるし、白壁の街レイリアはリノ川のほとりにある。緑鴨江を挟んで北朝鮮を対岸に配したのが丹東で、おまえは五戒を遵守し、身口意を浄め、そこでひたすらに悔恨の日々を送ることもできる。どの都市も河川に面し、豊富な水資源に支えられている。水は、おまえの心を写し取り、やがて聖なる流れのうちにおまえの罪穢れを大海へ届けるだろう。なるほど、おまえの犯した罪は重い。巡礼者の殺傷は、肉親を手にかけるよりもずっと重い罪過だ。とはいえ、それも永遠に贖えぬ罪というわけではない。火と水のうちの一方に浄められることでいつの日か、おまえとて赦される時が来るだろう。その日は来る。

 Ⅲ

 二人の巡礼者はともに杖を持つ。ひとりは帆立貝をぶら下げ、ひとりは編み笠と白装束に身を包んでおり、しんと冷えた夜気の中を、やがて行き合おうとしていた。
「音漏れがひどい」帆立貝の巡礼が指摘したのは、険しい山道にさしかかった時である。白装束のイヤホンから『一番星ブルース』が、雑然と垂れ流されていた。森閑とした巡礼路には相応しくない。「哀川翔バージョンは邪道だ」
 むっつりとした面付きの白装束がイヤホンを外して、切り返す。
「あなたこそボリュームをお控えになられてはどうか。九〇七g入りバケツのキャラメルポップコーンとはカロリー過多です。長生きはできまい」
「下の庵の納経所で買ったのだよ。一五六〇円也。絶品」
 帆立貝は、抱えたポップコーンの一粒を杉の枝に届くほど高く放り投げると、巧みに口で受け止めた。白装束も負けていない。音量を絞ったのは、はっきりと声を相手に聞かせるためだろうか。顎を突き出して腹中より気を吐いた。
「菅原文太のオリジナルは、いささか色気に欠けよう。剛毅朴訥ではあるが」
 一口いかがかな、と勧められるのを挑戦と受け取った白装束は、同じくポップコーンを放り投げるが、それは前歯に跳ね除けられてしまう。帆立貝は豪快に笑う。
「わたしは行くよ。その道《エル・カミーノ》をサンティアゴ・デ・コンポステーラへ」
「逆打ちですか。まもなくお遍路転がしです。下りも険しいうえに、夜露で滑りやすくなっておりますれば、よくよくお気をつけて」
「星の河を辿っていくのだよ。歓喜の丘を越えて、聖ヤコブの墓へ詣る。一人旅にも飽いたろう。ねえ、一緒に行かないかい?」鬱蒼とした葉群を透かして碧眼に星屑が映じられた。
「あいにくひとりではありません」俯いた編み笠には〝同行二人〟との筆墨がある。「どうか旅のご無事をお祈りしています。三千世界に満ち満ちる衆生が幸福でありますように」
「ああ、わたしも同じ願いを携えることにしよう。旅の果てにまで」
 巡礼たちは、帆立貝を鳴らし、小さくお辞儀をし、袖を触れ合わせることもなく、柔和な笑みを互いへ託した。儚げな二つの背中の距離はしだいに大きくなり、細長い楕円軌道を巡る彗星同士のように遠く隔たっていく。ポップコーンの一粒だけが、そこに残った。

E 

 あの昏睡から眼を覚ました日、読み書きもろくすっぽできなかったエンリケは、能書家となった。強く頭を打ちつけてしまったことで脳の神経接続が変わってしまった、と医師は語ったけれど、じっさいのところはなんだかわからない。運河の夢を見ていた気がする。ご禁制の品や密航者を燃やすための薪が彼岸に高く組んである、そんな夢か。川は行く手を阻む。水は溺れさせる。意識を取り戻した少年は、そんなふうに口にしようとしたが、舌はもつれてうまく喋れなかった。仕方なく書いた。川を道とするには船があればよい、と。眼は口ほどにモノを言うならば、エンリケにとって口ほどに饒舌なのは筆を持つ手だった。全身を覆う包帯とギプスの表面はたちまち文字に埋め尽くされた。楷、草、隷などの東洋の筆法だけでなく、カリグラフィやアラビア書道なども唯一動く左手で習得した。手こそ饒舌になったが、口数はめっきり減って寡黙になり、とうとう後戻りのない沈黙に落ち込んでいった。傷が癒え、四肢のリハビリでさえ運筆をもってしたエンリケは、唐代の古硯と筆を譲られてからというもの、ますます書にのめり込んでいった。やがて西洋の書家として、その名は轟く。
 さて、飛白という書体がある。
 左官職人の箒のひと掃きに霊感を得た後漢の文人蔡邕の考案とされる。筆画のうちにかすれた白が飛動し、それをもって飛白と呼ばれた。筆の代わりに刷毛や竹べらを用いる、この書法を極めた書家は多くないが、西洋人としては、エンリケがただひとりその端緒につくことができた。エンリケは、いまでこそ書家であり先鋭な現代美術家と見なされているものの、そもそもはありふれたグラフティ・アーティストのひとりだった。十年程前のことである。非合法な落書きと、それに伴う何度目のかの逮捕に懲りたエンリケは、スペインの有名な星の巡礼路に足を伸ばすことにした。グラストンベリーの音楽フェスで出会った女の勧めだった。中世の格好で、帆立貝をぶら下げ、どこまでも気ままに歩く。が、美しい天啓もないまま目的地を前に頓挫した。ピレネー山脈にさしかかったあたりの旅籠で足を休めたとき、店を改装中だったレンガ職人の足場が崩れて、エンリケは八十八個のレンガの下敷きになったのだった。

 なるほど、おまえの巡礼殺しには同情すべき点がある。悪い星の巡り合わせが引き起こした小さな事故であり、もとより殺意など微塵もありはしなかった。のみならず、亡くなった巡礼は死病に侵されており、この巡礼中に最期を迎えるつもりだ、と懐より見つかった遺書には綴られていた。つまりおまえは願いを叶えてやったということになる。
 おまえは自分を責めることも赦すこともできる。あらゆる観点から、そのどちらであれ可能だ。しかし最も賢明なのは、ゆだねること。そう感じたからこそ、お筆先の啓示を受け取りに険しい山道を這い上がってきた。焼山寺への道中にあるこの庵は、はじまりのお遍路である衛門三郎が弘法大師と出会ったという場所。三郎同様、悪行を悔いるものは、皆ここへ辿り着く。ただし、おまえは三郎のように――あるいは、おまえが殺した巡礼者のように死に追われているわけではない。おまえとおまえを取り巻く世界には長久の猶予があり、広大な余地がある。三つの都市、そのどれを選ぼうとも、それは名前のない新たな巡礼の旅となろう。ひとつを選べば、忍辱の徳を知るだろう。ひとつを選べば、献身の糧を得るに違いない。克己と発心の機会を望むのであれば、最後の都市へ向かうがいい。
 もし、白壁の街へ行くのならば、同じく白い羊毛の筆を携えて行け。彼の地で出会う最も憐れな者にそれを授けよ。流水のように文字を綴る術を教えてやらねばならない。川は阻む。水は沈める。しかし、それだけではない。
 船があれば、川は道となる。

Ⅲ 

 住職の勧めにしたがって、清涼な水を注ぐと、固く握りしめた赤子の右手は開いた。
 後ろ暗い前世から母の胎内を経て、どこまでも頑なに握り込んでいたのは、なんということもない小さな石であったが、そこには顔真卿も真っ青の破格な小篆で「螢」と彫られていた。玉石を携えて生まれてきた少女は、領主であった河野家に引き取られ、家に繁栄をもたらす玉女として大切に育てられた。ある日、玉女・螢はこう言った。
「この家に托鉢の僧の鉢を叩き割った箒があるはずです。鉢は八つに割れ、河野の家は八人の息子を相次いで失いました。家長の不信心が災いを導き入れたのです」
「探せ」家老が命ずると下男が蔵の奥深くから埃をかぶった竹箒を引っぱり出してきた。
 あの日、蓮華のように開いた螢の手は、いまや白く嫋やかな五指となって箒の柄を掴んでいる。ところも同じ吉野川の支流で、その水もまた同じく冷たく澄んでいる。
「これは夢枕でお大師さまより伝授された筆法です。虚空蔵のご真言、修業中の沙門だったお大師様が気の遠くなるほどに唱えた聖句をこれより水面に書きましょう。この川を守り継ぐ限り、河野家は百年の繁栄を誇ることでしょう」
「箒で文字を書くなどとは聞いたこともない。しかも水に」家臣らの不信をよそに、水面に遊ばせた小舟に玉女は重さを感じさせぬ足取りで、ふわりと降り立った。そして櫂の漕ぎ手もないというのに、流れを遡るようにして舟が動けば、水に浸した箒の先より航跡さながらに文字が現れる。煌々と輝くご真言は、夜ならば蛍の光のごとく映ったであろう。ただし、川面の文字がくっきりと判然とするにしたがって、玉女の姿は透けて薄くなっていくのだった。流麗な梵字がすっかり仕上がったとき、玉女の姿はふっつりと消えて見えなくなった。
 陰ながら玉女に懸想していた村の男が後を追って川に身を投げたが、幾度試みても死に切ることはできなかった。箒は、玉女の墓として、川べりに逆さに突き立てられると、みるみるうちに立派な杉の木となった。天明の失火でこれが焼けるまで、河野家の縁者たちは熱心に花と丸餅とを玉女へ供養したという。

 無数のレンガが頭上に降り注いだとき、エンリケは、火葬の薪に埋もれる死者のことを想った。一緒に旅をしていた巡礼は先立った恋人を追うつもりで旅に出たという。死に場所を探しているとも言った。送り火とは、地上の星であり、天の川と呼応する。あれは渦だ、と異国から来た看護人は教えた。渦巻く銀河を横から眺めて、それを乳白色の筋と見ているのだ。もう戻ることのできない故郷にも渦潮がある。魂は、もとより往還しない。時のはじめから渦の中心に抱かれて安らいでいる。君は眠っている間、きっと安らかな回転だったのだろう。不変のコリオリ力。言葉を失ったエンリケは、灰を浴びたような髪色の異国人の言葉に頷くことしかできなかったが、不思議と男の声を聞くだけで落ち着いた。やがて筆と墨が与えられるとエンリケは飛ぶような筆勢で文字を連ねた。飛白体の再現は、柔い獣毛の筆では難しかったから、独自の工夫が必要だった。葦のバスケットをほぐして、自分なりの筆先を拵える。その葦筆のアタッチメントを、ポルノ動画に出てくる電動マッサージ器の先に取りつけると、この世に二つとない奇妙で歪な筆記具となった。蠕動する器具は、筆のタッチに絶妙な揺らぎを生み出す。書の達者は筆を選ばぬという。ならば本来の用途から離れて性的刺激のために使われるこれを筆としても構うまい。
 エンリケは、電マの振動を調節することで、飛白体の変種を作り出した。
 飛白Ⅱは二人称――君、汝、おまえ、などと特定の個人へダイレクトに語りかける文を綴るのに適していた。教会の告解に似て、誰かに後ろめたさを慰めるのにうってつけだ。口の利けぬエンリケだったが、飛白Ⅱの言葉は、階級や民族や性別を越えて作用した。時に優しく、時に厳しく、いずれにしろ乾いた罪人の魂にすら、それは滲み入るのだ。
 飛白Ⅲは物語を語る。小さな寓話。優しい祖母が語る寝物語。井戸端のゴシップ。族長たちの箴言。暇つぶしに交わされる酒場のヨタ話でもいい。それらは水を積み上げたレンガのようなもの。語るそばから崩れ果て、冷たい暗渠より躍り出れば、ついには幼い河川となる。この街の白壁もすべて水でできているのではないかとエンリケは夢想する。リノ川より海へ流れ出て、いつかエンリケはあの看護人の故郷に漂着したいと思った。八十八個のレンガによって途絶した星の巡礼は、サンティアゴ・デ・コンポステーラではなく遠い異国の渦潮の街で終着を見るだろう。

Ⅲ 

 虚空蔵の真言を唱えること百万遍。明けの明星は、箒星のように尾を引いて、名もない沙門の口中へ飛び込んだ。キャラメルポップコーンの味がした。見知らぬ食べ物の味なのに、どうしてそれとわかるのか。沙門は、不思議に思わなかった。天と地とが分たれる前の未生の夢のうちでは過去も未来も――既知も未知も一味平等である。
 五大に皆響きあり。六塵悉く文字なり。若き沙門は決然と立った。
 万物は、振動する筆によって描かれる仮象に相違あるまい。とはいえ、この舌に残る甘さはどうだ。総身を痺れさせて打ち消し難い。これよりのち、沙門の紡ぐ言の葉は、衆生を蟻のように招く甘さを帯びることであろう。命を賭した行を終えて洞穴を出た沙門は、この時、眼前に展開する二物をもって新たな名とすることに決めた。
 すなわち空と海である。
 

 
 
 
 


リロード下さった弾丸は明日へ向かって撃ちます。ぱすぱすっ