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表現者

3月末に家族会議がありました。今後の進路とか今の現状を話すようになってきて、いよいよ進路をはっきりしなくては、、、

私が参加している団体でOffice Hourがありました。
メンターの人は私の憧れの人、そして今浪人生として来年の大学受験のために準備しています。
昨年の夏休み参加したとあるサマースクールで初めて知り合って、実はその方のギターの音色に魅せられて、ギターを始めました。サマースクール自体いつもと違った新しい体験をするので、楽しい時間を過ごすことができたのですが、特に朝夜の仲間との他愛もない出会いや会話が好きでした。今まで接点のなかった人たちがギターに合わせて、みんなで歌う。そんな夜の時間が私はとても好きでした。
そして、秋ごろたまたま興味を持った団体に参加したところその人と再会しました。サマースクールの時は詳しく知らなかったのですが、なかなかやりたいことに巡り合えなかった時に彫刻の師匠に出会い、すぐに彫刻の世界にめり込んだそうです。

自分はまだそのような人やことに出会っていないのですが、そのような未来が待っていることを望んでいます。

今日のOHでは彫刻の魅力を聞かせてくれました。「彫刻をしていると見えない友達と話しているようだ」と。私が授業とかで絵を描いたりしているときに感じてたこの想いに共感できる人がいるのだと初めて知りました。学校では美術の授業中友達と話している人が多くて。一人で作品と向き合っていた私は自然と一人になっていました。けど、作品と対話をしているのか。

ほかにも「音楽はその瞬間を表現するもの、彫刻はその瞬間を重ねるもの」と。
今までいろんな表現者の人について調べたり、したのですが、芸術関係の人って、他の表現方法を探している。イメージがあったんです。
例えば、美大を出てクリエイターとして音楽を作っていらしたり。表現者って自由だな。自分の可能性を常に試している。
私だけかもしれないけれど、音楽も彫刻も芸術すべて作った人、作品を見た/聞いた/感じた人、その作品に関わったすべての人(もの/こと)を含めてその作品だと思います。だから、私はこの言葉に納得できないけれど、真剣に向き合い自分の中から生まれた言葉って素敵だと思います。

私は何かを使いこなす。ことが得意だけど、その「何か」を作ることをしたことがない。1から何かを生み出すのではなく、0から何かを生み出したい。
そのために、1から0にだんだんと近づく練習をしている。
そして、私の0がまた誰かの0を生み出すきっかけになれるといいな。