見出し画像

権力に対峙できる職業(映画「i-新聞記者ドキュメント-」を観て)

自分の話をする。

僕は、高校生の頃まで新聞記者になりたかった。強い想いがあったわけではない、僕は好奇心があり、フットワークも軽い方だった。それなりに文章も書けたこともあり、新聞記者に適性があるのではないか?と思い込んでいたのだ。

第一志望の大学に落ち、SFCに入学をしたことで将来の展望は変わる。インターネットに出会ったからだ。新聞記者を目指さなくなり、その職業も遠い存在のように感じられるようになっていた。

だけど実際のところ、僕は政治や社会と密接に関わっている。地方行政、国政それぞれにおいて、為政者と直接の繋がりを持てない中で、メディアの役割は貴重だ。「知る権利」を充足してくれる機能を有し、僕の(市民・国民の)代弁者として権力の矛盾を突いてくれる存在だからだ。

*

だが、広く言われている通り、日本の報道に関する環境はかなりの「課題」を抱えている。

日本は「記者が権力監視の役割を十分果たすことが困難だ」として、主要国の中で最下位だし、近隣の韓国や台湾よりも順位が低い。

また「政府に批判的な記者などがSNS上で攻撃されているとしたほか「去年9月に就任した菅総理大臣は報道の自由をめぐる環境の改善に何も取り組んでいない」と評」されているようだ。

それを如実に伝えているのが、森達也さんが監督の、ドキュメンタリー映画「i-新聞記者ドキュメント-」と言える。

東京新聞の望月衣塑子さんを取り上げたドキュメンタリーだ。周知の通り、彼女は菅さんに記者会見で何度もぶつかり、「宿敵」とも呼ばれることがある。(「宿敵」という言葉が相応しいと僕は思わないが)

菅さんを支持している人たちにとっては、何度も、菅さんに質問を繰り返し嘘や矛盾をつこうとする望月さんの存在は面白くないだろう。

この作品を観ると、いかに菅さんが望月さんの質問に対して、不誠実に対応してきたかが分かる。ドキュメンタリーは当然ながらどこかを切り取り、恣意的な編集も可能とは言え(実際のところこの作品では、「菅さんを悪、望月さんを正義」という構造にどうしても見えてしまう)、報道室長に忖度させての質問妨害が露骨であったことが分かる。

(そのことは、たかまつななさんとのインタビューでも書かれているので併せて参考にしてもらいたい)

もともと僕は、現在の与党を支持していない立場なので、多少望月さんに贔屓目な印象を持ってしまうだろうとは思うのだが、それにしても、やはり菅さんの「自分に対して異を唱える者は徹底的に排除する」「メディアは政府の広報のために利用するものだ」という傲慢さには辟易としてしまった。

これがイコール与党の姿だ、とは言えないものの、「なぜ菅さんはリーダーとして不適任なのか」という理由は、本作品を観ると、まあ納得してもらえるのではないだろうか。(「コミュニケーションは下手だが実務能力が高い」というのも眉唾だ。実際に参議院議員選挙のときの応援演説はなかなか自信に溢れており、味方を力強く激励していた様子も撮られている)

*

ダラダラと見苦しい個人の主張を重ねて申し訳なかったが、この作品の本質は別のところにある。

それは、新聞記者の持つべき職業観・倫理観だ。

RKB毎日放送の番組ディレクター、神戸金史さんとの対談の中で、このようなやりとりがされている。

神戸「僕らは地方局とか政治部ってないから、基本的には報道、社会部系なわけですよね。だから率直に聞くっていうのは僕らは普通なんですけど。仮に左翼政権ができたとしても、それでも僕らは同じ仕事をするじゃないですか」
望月「同じですよね」
神戸「この政権が好きだからやってる、嫌いだからやってるんじゃなくて。今ある権力がどうあるかっていうのをみるのが僕らの仕事ですよね。だから活動家だとか、左翼だとかって言われてるのを見ると、記者の仕事が何だと思ってるのかと強く思います」
(映画「i-新聞記者ドキュメント-」より引用、太字は私)

メディアとは、特定団体の広報に寄与する存在ではない。

それはテレビや新聞を問わず、インターネットも含めて「メディア」を名乗る人たちは強く自戒すべき言葉であろうと思う。(オウンドメディアなど、特定団体が自分たちで運営する媒体は除く)

一般の人たちは、権力者に直接アクセスすることはできない。

普通に生活して、困ったことは、幾重もの壁を挟みながら、歪曲された形で政治家に届き、「思てたんと違う」形で法案化されることが少なくない。

政治は数の論理であり、政治家同士の妥協の産物だから、いくらリーダーが「こうしたい!」と思っていても、アウトプットされるのは何らかの妥協が入っているような形で終わってしまうことが多いのだ。(特に自民党のような「保守」が色濃い政党の場合、「リベラル」な意見というのはなかなか反映されづらい。※保守が悪いというわけではない)

なのでもともと政治とは、たくさんの矛盾や妥協を孕んだものであり、そういう性質がある。なのでそこに対して白紙委任すべきではなく「おかしい」というものには声を上げないといけないのだ。その声を上げるための、重要な機能をメディアが担っていて、望月さんはたくさん傷つきながら、その役割を請け負ってきたということだ。それがドキュメンタリーを観て、すごく良く分かった。

これから、秋に衆院選が予定されている。

政治に関するリテラシーは一朝一夕に高めることはできないが、この作品を観て、「ああ、自分ももっと政治のことを知らないとな」と思ってもらえる人が増えたら、このnoteを書いて良かったなあと思う。テレビや新聞をみる目も変わっていくだろう。(監視機能をメディアが果たすよう、僕はメディアに対しても厳しい目を向けなければならないと思っている)

特定の支持政党を持たない僕にとって、リーダーはどの党から選出されても本質的には構わない。政治は綺麗事ではない。だからこそ、言葉をしっかり伝える人にリーダーになってもらいたい。その言葉には幾分のフェイクも含まれていることだろう。しかしそのフェイクも「説明する」という最低限の責任が果たされない限りは、曖昧に霧散してしまう可能性が高い。

せめて最低限。「話が通じる」リーダーを求めたい。

#映画
#映画レビュー
#映画感想文
#新聞記者
#i新聞記者ドキュメント
#新聞記者ドキュメント
#森達也
#望月衣塑子

この記事が参加している募集

#映画感想文

66,651件

記事をお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただくのも嬉しいですが、noteを感想付きでシェアいただけるのも感激してしまいます。