2020年代 オタクは「推し」から「バトル」の時代へ……

 私は2020年代以降のオタクの「バトル化」が進むのではないかと考えました。今回はその理由と分析を書こうと思います。

・カード!カード!カード!
 私が「バトル」に気づいたきっかけは、今年の冬に大阪日本橋と名古屋駅裏のオタク街に行った事でした。そこではトレーディングカードショップが林立して驚きました。そしてそれからしばらく経って、オタクが「バトル」の時代になった事を再確認する事がありました。
 
 私は三重県の田舎に住んでいます。この間の休みに車で出かける用事があって、その途中に周囲に住宅地と田んぼしかないようなロードサイドの書店に入ったんです。すると店内の4分の1ぐらいがTCGショップになっていて、40人ぐらいの子供から青年までがぎっしり集まって一心不乱にカードでデュエルをしていたんです。私はそれを見た時、ああこんな田舎でこんな大勢の人がTCGをやっているなんて、このブームは本物なんだなと感じました。書店スペースや雑貨スペース(昔はレンタルDVDコーナー)は人がぽつぽつとしかいなかったのに、カード売り場だけ人が密集していたんです。

 これだけではありません。田舎にはロードサイドで古本・古着・中古ゲーム・中古ブランド品を売っている謎のリサイクルショップがあります。私は別の日にとあるそういうリサイクルショップに行ったのですが、そこでは中古マンガコーナーが大幅縮小されエロゲー・エロ漫画コーナーが消滅し、かわりにトレカが店内の一等地に大量に並べられていたんです。大都市だけでなく地方にまでTCGの波が来ています。私が店頭を見た所、昔はトレカといえば遊戯王カードでしたが最近はポケモンカードや漫画「ワンピース」のカードが人気のようでした。安直なネットニュースで恐縮ですが、「ポケモンのカードゲームが高騰。転売屋が横行。」というネットニュースも見ますし、TCGは大きなブームになっているようです。
(なお、私は学生時代に遊戯王をやった事があります。今ブームのTCGにはカムバックしていません。)

 ゲームの世界に目を転じると、既にオンライン対戦型ゲームはゲームジャンルの主流にして中心ジャンルとして定着した趣があります。ひと昔前には「e-sports」「プロゲーマー」みたいな言葉に、これはゲームを生業にしている方には申し訳ないのですが、少し失笑のニュアンスがありました。しかし現在ではe-sportsもオリンピックへの採用が検討され、プロゲーマーも完全に1つの職業としてJリーガー等と並んで子供たちが憧れる名誉ある職業になりました。格闘ゲームも人気が再燃しています。
 もっとも、2023年は「ホグワーツ・レガシー」「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」「スーパーマリオブラザーズ ワンダー」等が人気だったようで、ここ暫くは一人用ゲームが復権しているような趣もあります。ひょっとするとAPEXやスプラトゥーン3のようなオンライン対戦ゲームは若干飽きられてる傾向も無くはないんですが、そういう傾向もありつつゲーム界にも「バトル」の概念が定着しているという事と、定着しているからこそ飽きも生じていると言えるでしょう。補足として最近は「雀魂」という麻雀対戦スマホアプリも流行しているようです。

 もう一つ、私が注目している事が「萌え」「推し」の退潮です。「萌え」という言葉自体は10年以上前に古臭い言葉になっていますが、美少女自体は80年代から今に至るまで連綿とオタクに愛される物でした。が、それに異変が起きています。2024年春アニメでは「ブルーアーカイブ」と「アイドルマスター シャイニーカラーズ」が放送されています。前者は今一番勢いがあるソーシャルゲーム。後者は腐っても劇場公開されたアニメのTV編集版で腐っても天下のアイマスシリーズです。いわばこの2作は「萌え」や「推し」カルチャーを代表するような有力作です。しかし、どちらもそれほど人気が盛り上がっていないのです。

 それに対して今のアニメ界を見るとひたすら少年ジャンプ系アニメの天下が続いています。「SPY&FAMILY」に引き続き最近では「マッシュル」というアニメのOP曲が大ブームのようです。
 少年ジャンプのアニメが子供たちと女性ファンから熱い支持を浴びる一方、男性オタクの嗜好には何だかじわじわと"黄昏"を感じるようになりました。例えば、「葬送のフリーレン」です。このアニメは少年サンデー掲載ですが「終活マンガ」「介護されたいオタクを引っかける釣り針」「高齢独身層の願望」という指摘も浴びています。他に「ダンジョン飯」は良作だけど2014年に連載が始まった地味な題材の作品にも関わらずSNSで人気です。「うる星やつら」は4クールも放送されています。果てはこれは人気がある訳ではないですが、「じいさんばあさん若返る」というアニメが放送されていて、ここまで露骨に高齢者向けのアニメを作るんだと思って驚きました。最近のアニメ界を見るに男性向けオタク産業は老化傾向が見受けられます。もはやオタクの好きな物は、ブルアカやアイマスの美少女よりも異世界ファンタジーとブリンバンバンボンなのです。

 美少女キャラにぶつける男性オタクのリビドーは、80年代からずっとオタク文化の原動力でした。しかし、ついにそのパワーが切れ始めたのかもしれません。別の見方をすると「アニメ」と「美少女」が切断されたのかもしれません。ソシャゲやVTuber界隈を見ると、まだそれらの美少女にリビドーをぶつける男性オタクは多いです。アニメはあまりにも市民権を得すぎたので、炎上リスクもありますし、もはや男性オタクに迎合して美少女を出す必要が無くなったのかもしれません。ソシャゲもウマ娘が3周年を過ぎ、ブルーアーカイブに暗雲が立ち初め、原神や崩壊スターレイルのような中国製ソシャゲは世界人気は高いがオタク界には普及せず、アイドル物ははっきり言って飽きられてる。VTuberもゲーム配信者とすっかり同義語になりました。「萌え」も「推し」も若干の停滞感が立ち込めています。

 「推し」概念は女性オタクの間では私が名古屋のオタク街で見たように力強く流行しています。しかし、ジャニー喜多川のレイプ事件等の「推し」にまつわる数々のスキャンダルが報道されたり、メンズ地下アイドルやホストに大金を貢ぎ体まで売る女性が続出したりしています。2024年現在に推し活の薔薇色の面だけを主張する人は、相当商業サイドの人間だなと疑われてしまうでしょう。男性オタクの人で弱者男性的な人は推し概念にミソジニー的な反発心を抱くかもしれません。

 そうして「萌え」概念も「推し」概念もある程度陳腐化している一方で、男性オタクはどこに行ったのか。それが私が考える「バトル」概念です。
 私と同年代やより年上のオタクの人たちは、もう色々取り返しがつかない年齢です。だから「萌え」「推し」「異世界」を逃避先として楽しんでいる部分も感じます。しかし、最近の若い人というのはしっかりしています。だから「赤の他人に貢ぐなんて馬鹿がやる事だ。アニメの美少女に逃げるより、まだ若いから彼女も親友もきっと見つかる。自分を鍛えて、アタマ使って、相手に勝ってのし上がらなければダメだ。」と考えているのではないでしょうか。だから、仲間作りの一貫としてオンライン対戦ゲームやカードゲームに熱中し「俺は強いぜ!」とアピールしているのではないかと推測します。
 そうした背景として、2024年現在の日本は貧困化と円安が進み、世の中の殺伐さが増しています。そうした世の中で「大事なのは勝つ事。勝つ奴は偉い。勝てる奴は大金が貰える。」という考え方が世を覆うようになり、オタク界に「バトル」という風潮が浸透したのではないでしょうか。もちろん、ゲーム機のオンライン対戦機能の充実で、オンライン対戦が極めて安価な娯楽・暇つぶしになったと言うのもありますが、金銭的には安くとも練習に費やす精神的疲労は莫大です。

 また、そうした中でカードゲームが人気なのは、オンライン対戦ゲームでは自分の実力がシビアに判定されますが、カードゲームは麻雀のように「まぎれ」で勝つこともありますし、生身の対戦なのでマッチングの精神的ストレスも無いですし、反射神経が要らず、資金力と知識力が重要なので社会人でも楽しめる事が挙げられるでしょう。また、今の若者は小学生の頃からオンライン対戦が当たり前に存在していたので、子供の頃から勝利の際に飛び散る脳内麻薬の虜になっているのかもしれません。

 私が「バトル」概念について考えた結果、2つの事に思い当たりました。1つはソーシャルゲームや推し活も実は「バトル」だったのかもしれないという事です。「推し」概念はこれまでキャラへの愛や応援という側面で語られてきました。しかしFate/Grand Order以外のソシャゲにはたいてい対戦要素があります。ゲームの側に対人戦を事実上強制されているのです。そうして、ソーシャルゲームでは「金の力で集めたかきキャラで貧乏なプレイヤーを蹂躙する暗い喜び」を得る事が出来ます。アイドルもそうで、推し活でお金の力で推しメンをセンターにしたりトップオタになるという歪んだ勝利・独占欲の喜びの虜になってしまいます。それはまさに「バトル」なカルチャーです。
 このように「推し」概念の半分は「バトル」概念だったのかもしれません。そして、若いオタクがそこから目を覚ました結果、TCGのような「推し活なきバトル概念」が流行しているのかもしれません。

 もう一つの私が気づいた事が、このオタクの「バトル」概念の流行は、オタクが一般人化したからなのかもしれません。一般人、特に昭和以前の一般人って勝ち負けが付く娯楽が好きじゃないですか。学生時代の運動部活動。麻雀。囲碁将棋。ゴルフ。ゲートボール。草野球。花札等のギャンブル。最近だとフットサル等。それに対して昔のオタクってアニメやSF小説に耽溺したり、電車に乗ったり、勝ち負けの概念が無い自己完結の世界にいる人が典型的なオタク像だったと思うんです。また、何か勝負をつけるとしたら「俺はSF小説を1000冊読んだ」「〇〇という心理学者によるとエヴァンゲリオンの素晴らしさは~」みたいな"知識マウント"勝負で決着をつけるのがオタクの流儀だったと私は記憶しています。

 そしてオタクの中でバトル文化が浸透した結果、「オタク文化の体育会化」が起きるかもしれないと想定しています。まず体育会化の良い面について。学生時代に運動部に入ると、体力だけでなく精神的にもとても成長します。オンライン対戦ゲームも同様に、自己研鑽やセルフコントロール、チームワークとコミュニケーションの大切さなどの学びを得られるでしょう。それはJRPGやギャルゲーでは全く得られないものです。
 負の側面として、性格の粗暴化が起きるでしょう。私も実体験として昔「スプラトゥーン3」をやっていた頃、初心者かつゲームが既にプレイヤー間の腕が上達しきった環境だったので全然対戦で勝てず、最終的にはプレイしていない時にまで苛々が収まらなくなってしまい、慌てて中古に売ったことがありました。石井光太の『ルポ 誰が国語力を殺すのか』でも小学生がオンライン対戦のボイスチャットでとんでもなく粗暴な言葉遣いを身に付けてしまう例が挙げられていました。(書籍が手元に無くて申し訳ないです。また、カードゲーマーの心理については"LWのサイゼリヤ"さんのサイトが参考になるのですが、丁度良い記事が見つかりませんでした。)
 オンライン対戦ゲームをプレイする事で、性格が体育会系になる。その結果、「強い奴はどんな暴言を吐いてもいい」という考えが広まり、オタク文化自体が性格が悪い人や他人に対して攻撃的な人向けの文化になる。その結果、性格が気弱で創作物や一人用ゲームに逃げ込むような人が「お前〇〇の対戦で雑魚じゃん。金も使ってねえし。オメエみたいな奴がよくオタクとかゲーム好きとか言えんな。自分で恥ずかしくないんか。カス野郎。〇ねよ」と暴言を吐かれるような世界になってしまい、オタク界が変貌してしまうかもしれません。もちろん可能性の一つですが……。

 何にせよ、推し概念はまだ女性オタクの中で強く、萌え概念もソシャゲ・VTuber分野である程度強いです。今後のオタク界は「萌え・推し・バトル」の3つの概念が並び立ち、お互いに勢力圏争いが繰り広げられるでしょう。   もちろんオタク文化の中心は海外に移り、地球上の人々すべてが楽しめるようなアニメやオンラインゲームが沢山作られるようになり、ニッチな作品は大量の作品に埋没して無視されるようになるでしょう。