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Every dog has his day.⑦

  第7話、
 民家の庭から金木犀の甘い香りが風に乗り、鼻をくすぐる。台風一過、蒼空は高く、赤とんぼが巴波川の川面で群れて飛んでいる。
 江上は自転車のペダルをゆっくり漕ぎながら、取材先に向かっている。旧市街地は古い町並み特有の狭い路地が多く、交通手段に自転車は最適だ。
 事務所は会長、立花の斡旋で大通り沿いの飲食店の空き店舗が借りられた。パソコン、事務机、椅子など事務用品をリースし、ハローワークを通じて事務員として安田を雇い入れた。安田は40代の女性で、笑顔を絶やさず人当たりもいい。事務作業、事務所内の掃除など雑事全般を彼女に全て任せ、江上は早速、歌麿の調査に専念することにした。
 浮世絵コレクター、西園寺義正の自宅は市街地の外れの住宅街の一角にあった。築地塀に囲まれ、瓦葺の木戸門の奥には飛び石が瀟洒な数寄屋造りの家屋に続いていた。
 記者として歌麿の特集記事を書く際、江上は西園寺から取材し、面識を得ていた。
 西園寺は調理専門学校を経営する傍ら、広重、国貞、国芳ら歌川派の浮世絵収集家として知られていた。
 なにより、約40年前、地元での歌麿調査に携わっていた。当時、浮世絵研究家の林美一が何度か栃木市を訪れ、西園寺ら地元有識者の案内で調査した結果、地元に残る肉筆画8点を確認。その調査報告は浮世絵専門誌の季刊浮世絵50号記念(画文堂)で公にされ、反響を呼んだ。西園寺はその直近の本格調査の生き証人だった。
 家人に応接間に通され、間もなく西園寺が姿を見せた。
「よう、いらっしゃい」
 白皙に金縁眼鏡がよく似合い、穏やかな語り口に引き込まれる。米寿を迎えたが、ますます盛んなようだ。
「ご無沙汰しました。電話でお話ししたように、記者を辞め、市の依頼で歌麿調査に専念することになりまして、ご挨拶かたがた取材に上がった次第です」
「そうだってね。これまでの私ら民間主導の活動が実って、やっと行政が重い腰を上げることになり本当に感無量だ。誰かがやってもらわんと思っていたが、記者上りの君が手掛けると聞いて期待しているよ。何でも協力するから、頑張ってほしい」
「市長は歌麿を新たな文化、観光資源にしたいとの意向で、そのためにも歌麿と栃木市を一層確実なものにするために女達磨図に続く肉筆画を見つけるのが至上命題と認識してます。そこで、西園寺さんの関わったあの調査から掘り起こそうと考えまして」
「かれこれ40年経つからね、あれから。世代も変わっただろうが、再度、見つけ出す
には最後のチャンスかもしれんな」
 取材バッグから古本屋で購入した専門誌・季刊浮世絵を取り出し、江上はテーブルの上に置いた。
「そうそう、これなんだ。鐘馗図に相撲図、それに六玉川の6点ね」
 西園寺は専門誌に掲載された肉筆画の写真を捲りながら、当時の様子を振り返っているようだった。
「ところで、この調査では2年前に見つかった女達磨図は確認されなかったんですか」
「情報もなかったし、見つからなかったね」
「それに雪について林さんは、アメリカに流出したと記載していますが」
「そうだね。その当時、地元で雪の情報はなかった。その後になってからじゃないか、いろいろな噂が飛んだのは」
「いわゆる、栃木市内の名士が持っているという噂ですね」
「まあ、雪が最大の秘蔵作品だろうが、確証がなくては名士だし、そう簡単に探るわけにもいかないだろう」
「そうなんです、雪は周辺取材に時間がかかると思うので。そこで、西園寺さんらが見つけた肉筆画をまず追いかけようと思って」
「賢明と思う。それに私ももう一度、目にしたいしね。だが、残念なことに、所蔵家2軒とも既に栃木市から引っ越したと聞いているが」
 西園寺によると、2軒とも旧市内の旧家で、1軒が鐘馗図と相撲図、もう1軒が六玉川6点を所有していた。
「移転先とか関係者とか、何か心当たりはありませんか」
「あの時だけだからな、お会いしたのは」
 西園寺は腕を組み、小さくため息をついた。
 30年以上の世代を超えた時間の壁がやはり大きな障壁となっていた。当時のそれぞれの所蔵家と居住地を取材ノートに書き留め、江上は西園寺宅を後にした。
(足で稼ぐしかない)
 萎える気持ちを奮い起こして、江上は車に乗り込んだ。西園寺の情報を頼りに、六玉川の所蔵先の旧家、堀之内家に向かった。
 堀之内家は旧日光例幣使街道沿いで、裏手には巴波川が流れている。母屋らしい木造二階建ての家屋、川に面して外壁の漆喰が剥がれかかった白壁土蔵二棟が並んでいる。栃木市は江戸時代、日光東照宮の造営を契機に巴波川の舟運を利用した物資の集散地として栄えた。この旧家も回漕業を営んでいたという。
 人気がない。江上は周辺の数軒で聞き込み、西園寺の指摘した通り、既に転居し、相当時間が経過しているようだった。近所に人々は異口同音に「さあ、行先はねえ」と首を傾げる。無理もない。時間の経過に加え、プライバシーの問題もある。新聞記者の名刺ならまだしも、発足したばかりの知名度のない研究会ではうさん臭くとられてしまう。
(誰か事情通は……)
 また出直そうと車に乗り込み、斜め前方、民家の外壁のポスターが目に入った。髪を七三に分け、黒縁の眼鏡をかけた中年男が満面に笑みをたたえている。市会議員、常本のポスターだった。
 地方勤務の記者にとって、市議は有力な情報源であり取材対象だ。仕事柄、行政事業に精通し、ドブ板戦術で選挙地盤をこまめに回るため世情にも明るい。
 市議の連絡先はすべて携帯に収めてある。江上は常本の電話番号をタップした。
「記者を辞めて、市から頼まれて歌麿調査やっているんだって。ご苦労さん、街の活性化に頑張ってよ」
「そこでお願いなんですよ。常本さんは旧市街地が選挙地盤でしたよね」
「ああ、そうだよ。それで私に何か……」
 江上は取材の経緯を説明し、堀之内家に関する情報提供を打診した。
「本当かい、堀之内さんのお宅に貴重な歌麿の肉筆画が。分かった。そういう事情なら少し探ってみようじゃないか、私も貢献したいし。任せてくれ」
 江上の要請に、常本は二つ返事で快諾した。
                       第8話に続く。
 第8話:Every dog has his day.⑧|磨知 亨/Machi Akira (note.com)
 

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