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渡辺葉一 自己紹介 『自分の居場所をつくるまちづくり』

はじめまして渡辺葉一です。

関西空港のある街・大阪府泉佐野市で築100年の古民家をリノベーションしたコワーキングスペースCOMMUNEを拠点に、個人事業主として
地域のまちづくりプロデュース、クラウドファンディングのキュレーター(クラファンへの挑戦をサポートする人)、イベントやさまざまな企画を行っています。

僕がサラリーマンから独立したのは令和3年3月3日です。(たまたまゾロ目)
もともとは自分が個人事業主になるなんて全く考えていなかったのですが、そのあたりのストーリーも含めて紹介させてください。

※非常に長いのでご注意を

学生時代(写真はありません)

幼少期

大阪市内で生まれ、地元の幼稚園に通っていました。周りと歩調を合わせるのが難しく、お遊戯の時間に一人だけ別のことをしていたり、運動会の競走でも仲のいい友だちと手をつないで走るなど重度なマイペースでやっていたそうです。
ちなみにご飯を食べるのが遅くお昼休み中もずっと食べ続けていたため、昼休みに外で遊んだ記憶がありません。

小〜中学校

和歌山は橋本の山中にある寮制の“自由学校”「きのくに子どもの村学園」で小中学校9年間の少年時代を過ごしました。

小学校1年から寮に預けられ週末帰宅という生活はなかなか珍しいかと思います。「自由」や「主体性」を重視した教育スタイルの学校で、座学よりも体験学習が中心のカリキュラムで自然や農業などを実践の中で学びました。

前述の通りマイペースが過ぎる個性のため普通の公立学校だと苦労するだろうと両親が考え、自由と個性を尊重する学校を見つけて送り出した次第です。

高校

高校では独特な家庭環境や生い立ちから生きづらさを抱えたティーンエイジャーたちが入り乱れるケイオスを生き抜きました。

前述の学校であまり勉強を熱心にしなかったために基礎学力が低く、普通の入試では入れる学校がなかったため、面接だけで入れる大阪の私学に入ったところ、詳しくは省きますが凄まじい環境でした。
櫛の歯が欠けるようにクラスメイトがさまざまな事情でいなくなっていく、現代社会の闇を垣間みたようです。

1年後、転校して前よりもうっすらとマシな環境の学校で進学クラスにお情けで入れてもらい、学校以外では勉強しないけど学校では真面目に勉強するというマイルールのもと、なんとか大学に滑り込みました。転校前と後それぞれの先生に感謝です。

大学

特にやりたいことがなく、目指すものがないため関西圏の私学の中でもっとも学食が美味しいところに行こうと思い、オープンキャンパスを巡る中で京都の立命館大学が豪華な食事で気に入って合格しました。

しかし、なんとなく一般教養や幅広いジャンルの科目が受けられるということで選んだ経営学部は滋賀のBKC(びわこ草津キャンパス)と知らずに入学。目標もないまま、それなりに楽しく4年間を過ごしました。結果、滋賀県は自然があって住みやすくとても気に入っています。

新卒

就職活動において学部の友人たちが金融系に進む中、ビジネスの世界で生きる自信がなく「子どもが相手ならやっていけるかも」と甘い考えで教育系団体に入職するも社会の厳しさを多方面(人間関係、給与、子どもの大変さなど)から味わい、キッカリ1年で退職し転職しました。

特に学生時代は問題にならなかった自分のマイペースな偏りが職場環境と噛み合わず、この頃から生きづらさを強く感じるようになります。

古民家の宿泊施設でアウトドアのインストラクターでした

商工会議所

前職から地域の中小企業を支援する経済団体に転職し、一転してビジネスの世界に入り込むことに。

前回仕事がうまくいかなかった挫折から今度こそ頑張ろうと意気込み、なんとか結果を出そうと業務に励み、少しずつ周囲に認められる成果が生まれましたが、今度は組織の壁に阻まれ、行政に近いような前例主義で新しい挑戦をなかなか受容できない環境に息苦しさを感じ始めます。

また、この時移住してきた泉佐野市は自分にとって全く縁のない土地で友人知人もなく、家と会社を往復する日々を過ごしていました。地域への愛着は特になく、「住んでいるだけ」の土地という感じです。

しかしある時、会社で地域の商店街組合の仕事を任されることになり商店主の方々と接する機会が増えました。商店主といっても年配の方がほとんどでしたが、みんな孫のように親身にしてくれました。

「渡辺くん、仕事終わったら飲みにいかんか?」
「あんた痩せとるなぁ、ちゃんと食べとるけ?」(※今は見る影もないですが当時は痩せ型でした)

お世話になっている商店街のみなさん

そんな関係性ができてから、泉佐野での暮らしや仕事が少しずつ楽しく明るいものになり始めたのです。他所から来た僕にとって、関わりの少なかった泉佐野がどんどん「自分のまち」になっていきました。

一方で、僕にとって温かいコミュニティであった商店街は衰退の一途をたどっており、中心市街地であるはずのエリアはシャッター街のようにさびれていました。

空き店舗が目立つ泉佐野の商店街 

「泉佐野市を盛り上げるには、この場所をなんとかしないといけない!」

そう考えた僕は、商工会議所の職員、そして商店街の担当者として商店街・中心市街地を活性化させる企画や取り組みをしてきました。

そのひとつが得する街のゼミナール・さのまちゼミです。

まちゼミとの出会い

まちゼミとは、まちの商店主が講師となり、プロならではのノウハウや技術を受講者に無料で体験してもらう地域活性化の事業です。

つまり、まちゼミを受講することで店主の人柄やキャラクターを知ってファンになってもらい、地域で素敵なお店をたくさん見つけてまちのファンになってもらう取り組みです。

愛知県岡崎市が発祥の地で、その存在を知った僕は泉佐野の中心市街地再生にはぴったりだと思い、まちゼミの伝道師である松井洋一郎さんの協力のもと、開催にこぎつけました。

そしてさのまちゼミを通じてまちの店主同士がつながり、また店主と市民がつながって素敵な輪が広がっていったことで現在では参加する事業者(店主)が実行委員会を立ち上げ、地域商業の活性化に向けて素晴らしいコミュニティへと成長しています。

そしてこの「さのまちゼミ」や他の地域コミュニティを通じてさまざまなつながりができて、そしてこうしたコミュニティが自分たちのまちを面白く、素敵にしていることを強く実感し、応援したいという想いをもちました。

まちづくりとの出会い

そして商工会議所で5年ほど勤めた後、転職し泉佐野市の行政が中心に設立されたまちづくり会社の初期メンバーとして地域のまちづくりに関わることになりました。

これまで中小企業の経営支援や地域活性化のためのイベントや企画がしてきたものの、「まちづくり」という考え方は自分にとって全く新しいものでした。

というのも、まちづくりというのは行政が大規模に開発をしてやっていくものというイメージがあり、一個人や会社単位でできるものとはさらさら思っていなかったからです。

そのまちづくり会社では、地域の空き家や空き店舗など使われていないいわゆる遊休不動産を活用して新たなコンテンツを生み出しまちを変えていく、「リノベーションまちづくり」という手法に取り組みました。

そして、そこでの経験がまた活かされていくことになります。

古民家再生プロジェクトとの出会い

泉佐野市の北西部に位置し、古い町屋や蔵の残る旧市街「さの町場」の築200年以上の古民家を活用するワークショップを開催し、自分は主催側として関わっていました。

参加者が物件活用の事業計画をつくって建物のオーナーにプレゼンし、実際にプロジェクトチームがその場で組織されることになり、なんとその代表として僕に声がかかりました。

さの町場
築200年の古民家くらふとや
元々鉄工所として使われていた蔵

詳しくは省きますが、地道な取り組みで残置物の片付けや拠点の整備で丸半年以上を費やし、その後、さの町場というエリアの認知度を上げ、ここでチャレンジする人を発掘していくため月1回のマーケットを定期開催しはじめました。

するとこれまで全く認知されておらず、地元の人さえ寄り付かなかったエリアに人の流れができ始め、拠点としている古民家でも定期的な古民家カフェをやりたい方などさまざまなチャレンジが生まれ、周囲にどんどん影響が広がっていきました。

僕は最初の1年で形を作って地元出身のメンバーに代表をバトンタッチし、現在はサポートメンバーなっていますが今もこちらのチームは活動しており、鶴瓶さんの番組がきたり新しい企画が相次いで勢いを増すばかりです。

こうして自分の中に明確に「まちづくり」「古民家活用」「コミュニティ」というキーワードがインプットされました。

自分らしさを求め独立へ

新卒から商工会議所、まちづくり会社の3つの会社を経験して感じたのが、自分は心底組織に向いていないということでした。
マイペースなところ、自由が好きなところ、共感できないことにモチベーションが出ないところ etc… 

組織という箱の中にいる自分をイメージした時に居心地が悪く、文字通り頭打ちな感覚があり、より自分らしく楽しく自由にやっていける環境を求めて独立することとなりました。

ちょうど思い立ってSNSで発信したのが令和3年3月3日だったのでその日を開業日としています。ちなみにこの時30歳でした。

突然のご報告ですが、この度会社を退職し「個人事業主」になりました。 在職中お世話になりました皆様に、心から感謝申し上げます。 VRSでは、これまで未知の領域だった「まちづくり」に、初めて”ジブンゴト”として公私共に取り組むきっかけをいた...

Posted by 渡辺 葉一 on Wednesday, March 3, 2021

何者でもない人に

独立するというと、当たり前ですが何かしらのスキルやノウハウをもとに「デザイナーになります」とか前職の事業を自分ではじめるといったことが普通かと思います。
しかし、自分の場合そうした専門のスキルを持ち合わせていなかった(と思って)ため、結果的に「とりあえずフリーになった人」言い換えると無職のようなバックボーンなしのフリーランスになってしまいました。えらいこっちゃ。

その辺り何か見込みあったわけでなく、ある意味組織から抜け出したい一心というのもあって何をやるか決める前に飛び出して行った感じです。

なんでもやってみて何屋さんになるか模索

そもそも貯金が30万円くらいしかないのに独立したので、そのまま収入がないとすぐに干上がってしまうため仕事をする必要がありました。

しかしありがたいことに、SNSで独立を公表したり挨拶回りをしたのち、これまで関わってきた地域の企業さんから「こんな仕事やってくれへん?」と色々なお仕事を頼まれます。(うちに入社してよ!という企業さんもいくつかありましたが、組織からの脱却を目指した手前、丁重に固辞しています)

頼まれごとは補助金の申請サポートや事務のお手伝いそして広報業務(この辺りは商工会議所で経験済み)、などなど。

そうして色々やっているうちに、見えてきたのは「やっぱり仕事でもやりたいことやらないと!」ということです。

実際、やってみて肌に合わなかったり気が乗らないという仕事もありました。せっかく独立して自由になったのに、自分が面白いと思わない仕事をしていてはもったいなく、むしろワクワクしたり、楽しみながらできることをしようと考え始めます。

自分を知る

自分がやってきた取り組みを振り返って面白かったことといえば、まちゼミのような地域活性化の企画、コミュニティを立ち上げたり古民家を再生して新しいコンテンツを生み出したりしたことです。
つまり今まで地域になかったもの、面白いものをプロデュースすることこそ自分がもっともモチベーションを持って取り組めて、かつ得意とすることだと改めて自己理解しました。

昔のつながりから思わぬ展開に

独立して半年近く経った頃、自分がクライアント企業さんの仕事の関係から、ある古民家のオーナーさんとお会いします。その方こそ、なんと自分が泉佐野で立ち上げたさのまちゼミにお誘いしたうずまきこさんでした。

うずまきこさんとは自分が商工会議所を辞めて以来、直接の接点はありませんでしたが、SNSを通じて僕が古民家再生などの活動をしていることを知っていて、ぜひ築100年の古民家の活用をしないかとお話をいただきました。

築100年の古民家

コミュニティ&ワークシーンの拠点づくりへ

古民家活用といってもカフェ、民泊、レンタルスペース、ギャラリーなど多岐に渡るため、リノベーションして何にするか難しいところです。

ただ、僕の場合はまちづくりに取り組んできた経験から、まちづくりの視点で地域にとって必要で、かつ面白いコンテンツは何かという発想で考えました。

そして僕が活動している泉佐野市では、まちづくりや地域活性に取り組む団体やイベントの実行委員会など有志の市民によるコミュニティが多く活動しており、地域を支え、盛り上げています。前述のさのまちゼミもそのひとつです。

一方で関西空港のお膝元として大勢の人が行き来する地域でもあり、出張などのワークシーンでも需要があります。

しかし、大きな課題となっているのが「コミュニティ」「ビジネス」それぞれに「拠点」がない事です。

今後、泉佐野市が活性化していくためには、この2つの拠点は必ず必要と考え、築100年の古民家をリノベーションして地域に必要なコミュニティのための拠点となるシェアオフィス、そして空港の街として多様なビジネスシーンで使用できるコワーキングスペースという2つの機能を持つ複合施設に再生しようと思いました。

CAMPFIREクラウドファンディングへの挑戦

そして泉佐野での活動で出会った仲間とプロジェクトチームを作り、クラウドファンディングにも挑戦しました。

個性豊かな仲間たち

最初は応援が集まるか不安で仕方がなかったですが、これまでつながっていた方々がさまざまな形で後押ししてくれて、1,608,000円の資金調達に成功しました。
お金のことよりも、クラファンきっかけでたくさんの方にいつも応援していただいていることを実感し、さらに新たなつながりが生まれたことに大きな意義を見出す機会に。

実はその後、縁あって自分自身がCAMPFIRE公式パートナーとなって地域のクラウドファンディングへの挑戦をサポートするようになりました。

まさにクラファンがつないでくれたご縁です。

コワーキング&シェアオフィスCOMMUNE誕生!

古民家のリノベーションでは、地域の方々や友人知人も参加して一緒にDIYも挑戦し、ついにコワーキングスペースが完成します。

場所づくりをともに

ありがたいことに新聞などでも取り上げていただき、オープンからたくさんの方に訪れていただきました。

COMMUNEのロゴ

名称はコミュニティとワークシーン(ビジネス)の拠点としてコワーキング&シェアオフィスCOMMUNEにしました。

”COMMUNE”は「親しく交わる」「共同体」ということを意味し、ロゴの「.COM」は仕事とコミュニティの拠点としてCompany(会社、仲間),Communityがある場所を指します。

そして周りの模様は、水面の波紋をモチーフにしています。
この場所を通じて人がつながり、協力しあうことで新しい挑戦が生まれ、そのムーブメントがまちに広がってほしいという想いを込めています。

2022年にオープンしてはや2年が過ぎ、ここでたくさんの出会いがありプロジェクトが生まれました。ここを気に入ってずっと使ってくださる方もいて、地域のインフラのようになっていると思います。

自分の居場所をつくる

最後に、僕のまちづくりのテーマは「自分の居場所づくり」です。自分が居心地良いと思える場所、素敵なお店、素敵な人、そんなものが周りにどんどんできたら、豊かな暮らしになると思います。

自分が素敵だと思うところは、同じような人にとっても素敵に感じるはず。そんなふうにして僕は自分のカラーでたくさんの面白いコトをプロデュースし、それがまた自分と誰かの居場所になっていくのだと思います。

長文お読みいただきありがとうございました!

僕の活動やCOMMUNEに興味を持ってくれた方はぜひ遊びにきてください。


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