鳩の読書『トランスジェンダーになりたい少女たち』

何かと今話題の本著。
元々出版予定だったKADOKAWAの『あの子もトランスジェンダーになった』が炎上し、発行中止になったのでもっと悪い産経出版から出てしまうことになった。(KADOKAWAもKADOKAWAでそういうのが好きそうな連中に献本しているので擁護はできないが)

まず帯に品がない「ヘイトではありませんジェンダー思想と性自認による現実です」それは読者が読んで判断することだし「あの”焚書”ついに発刊」などという煽りも売れれば良いという出版社のいい加減さが伝わって来る。

到底ジェンダー思想にも性自認について何も考えてなさそうな出版者が「現実です」などと言っても説得力がない。それに本の中身を読んでみればわかるのだが、これは学者による研究書でもなんでもなく、単なる主観なのだ。

この本最大のガッカリポイントは取り上げられた少女たちが、最終的にはトランスジェンダー少女の特徴であるテストステロン補充注射やブレストバインダーの着用を辞め、親元に帰って来たという話で締めくくられていることだ。そこには親と決別した少女は決して出てこない。公平性を考えるならば復縁した親子と同じ数復縁できなかった親子を取り上げるべきであり、また子供にきちんとインタビューをすべきである。それなのに親側の一方的な語りでしか作られていないのだ。

これにはトランスジェンダー、そしてトランスジェンダーを名乗る少女たちが気になって本を読んだというのに、肝心の本人がとことんぼやけてしまっている。

この本に出てくる親のインタビューを見る限り、「幼少期は全然問題なかったのに、トランスジェンダーを名乗るようになってから変わってしまった!」という趣旨の話ばかりなのだが、それは手間のかからない少女らしい少女だったから「親にとって都合の良い存在」だったに過ぎず、親の理想形ではない「トランスジェンダーの娘」になってから娘のことを問題視していることだ。トランスジェンダーを娘に打ち明けられた時に一過性の流行り病だと思って真剣に子供に向き合わなかった親の姿勢にもやはり何かしらの問題があると思う。

復縁した少女たちとの母親の関係は未だにぎこちなく、親子関係に亀裂の入った状態が多く、まだトランスジェンダーであり続けていたり、コミュニティに属している場合もある。結局のところ家庭の居心地が悪いのではないかと思ってしまう。

それに本著ではどうでもいいアビゲイル・シュライアーの初キッスの話などが生々しく語られている。隙あらば自分語りである。「今と比べて昔は良かったよな~」の文脈がとにかく多いのだ。人間自分の体験が基準になってしまうのだが、とにかく懐古趣味で書かれていることが多い点に注意が必要である。昭和の少年少女より平成の少年少女が大人しいように間違いなく現代アメリカ人少女の方が品行方正である。しかしそれは著者によって生身の体験をしてこなかったから打たれ弱いことにされてしまう。要約すれば「セックスをもっとしろ!」である。しかしその先の妊娠や中絶など女体にかかる負担は何も書かれていない。

もちろん役に立つような面白い記述も本著には見られる。
「同性愛」は認めないのに「トランスジェンダー」は認める価値観だ。
レズビアンの存在は否定されるのに、トランス女性(男)と女性の恋愛は認められるという不思議な価値観だ。

それに「女体」が単純に嫌という思春期少女特有の悩みも描かれている。
周りの男子の目が怖く、また性的な自分になることへの躊躇いだ。
「男になりたいわけじゃないけど、女には絶対になりたくない」

これは多くの女性に共感できるのではないか?男性に勝手に消費される女体になっていく恐怖や男尊女卑の社会に飛び立たなくてはいけない少女の心理だ。

しかし著者はそういう少女の等身大の不安には寄り添ってくれない。男尊女卑だって女が勝手に言ってるだけで、男には男の苦しみがある。ガラスの天井なんて屁でもないという価値観だ。ヒラリー・クリントンの「ガラスの天井は誰かが突き破る」という言葉に感動する少女はいても、おそらくこの本を読んで元気をもらう少女はいない。むしろ少女は無知で移ろいやすく、流行に流され取り返しのつかない過ちを犯す生物だと見なしている。

この本を読んでいてわかるのは、この本は決して少女は守らないことである。

著者の保守的な価値観のままに、自分に都合の良いところだけを抽出し、保守的な価値観を持つ親を喜ばせるために書いているとしか思えないのが読んで見た感想なのだ。トランスジェンダーを腐しているかと言われればそうではなく、トランスジェンダーになりたい少女たちを腐している。そう思うとKADOKAWA版のタイトルはますます相応しくなかったのだろう。

なぜ、少女たちがトランスジェンダーになりたいかと言われれば、
「それが手っ取り早くSNSで承認され、仲間や友達ができる方法だから」
と書かれているのだが、そこにはトランス以前の問題、コミュニティに入れない孤独がつきまとっている。(実際出てくる女の子は友達がいなかったり、酷いことを言われて傷ついた女の子なのだ)しかしトランスジェンダーを名乗ることで友達ができて居場所まで生まれた。それは果たして悪いことなのかと思う。女の子のままでいるよりトランスジェンダーでいた方が居場所があることの方(つまり社会の方)を問題視した方がいいと思う。

我々のように友達いないオタクも対岸の火事ではなく
Youtube・TikTok・Tumblr・DeviantARTなどインフルエンサーのいる場所やLGBTに理解のあるコミュニティのある場所を敵視しており、子供をトランスジェンダーにさせないために最悪スマホを取り上げろなどとも主張している。スマホ世代の子供ならこれがどれだけ暴論かわかるだろう。その先にある少女だって素晴らしいと主張するのは納得できるが、親の権限を取り戻せまでいくと「う~ん」と首を傾げてしまう。

結局は子供を思い通りに育てたい親のエゴが見え透いてしまうからだ。
この本が全米でヒットとなると思わず頭を抱えてしまうだろう。
ネット上のコミュニティをすべて否定し保守的な思想(しかもジェンダー思想を否定しておいてである)にどっぷり浸らせようという魂胆がそこにはある。

他に気になったことがある。
それは著者自身だ。アビゲイル・シュライアーはユダヤ人である。

トランスジェンダーになりたい少女たちと同じくらいの熱量で今のアメリカを揺るがすあの問題にも言及してるのかと思った。

「アンチ・シオニズムは文化を破壊します」

それにつけられたリプライ

「TikTokがユダヤ人虐殺を肯定し幅広い層に広げている」

なんというか若者文化・SNS嫌いを拗らせながらTwitterやってるし、
若者からスマホを取り上げろって言ってるわりには自分は使ってるし、
トランスジェンダーに差別的なこと言いながらユダヤ人差別は許さないし、
でやってること言ってることめちゃくちゃな感じ。

女体に関しても性的な魅力とかバランスとか言っているけど、本人が胸が嫌だって場合もあるし、全部自分の思う幸せの形(男女の恋愛・セックス)に当てはめてること多いし、古き良きアメリカを愛する人のための本って感じで、日本人が役に立てれるようなことはあんまりない。トランスジェンダー差別に使いたい人がいたとしてもこれはあくまでトランスジェンダーになりたい少女の話であるし、逆にトランスジェンダー差別だと批判したい人がいても、この本はそこの部分だいぶボカしていて著者の個人的な意見しか出てこないから攻撃するにも、そもそも根拠に乏しいって問題がある……

アメリカの流行や医療だとか教育を知る上では役に立つかもしれないけど、トランスジェンダーを勉強するために読むにしてはお粗末なので、この本を絶賛してる人がいたらトランプ支持者とか教育ママの思想の持ち主だと思う。


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