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雨に溶けて

濡れて色の濃くなった土と草の間から、ポツポツと白いドクダミの花が顔を出している。明かりを灯しているみたいだなぁ、と思う。
アトリエに「雨土」という名前をつけたのは、こんな季節のことだった。

当時、私は祖母と暮らしていて、アトリエとして使わせてもらっていた部屋の窓から、祖父が生前気に入っていた庭を眺めるのが好きだった。

菖蒲やサツキが咲き乱れる庭を、シトシトと静かな雨が濡らしていた。
ザァザァ、パタパタ、チョロチョロ、ぴちょんぴちょん…濡れた土と緑の匂い。
自然に体の力が抜けていき、ふとある感覚が私の中に湧き起こった。

-なんだ、ここにはすべてがあるじゃないか-

空から雨が降っている。
土に向かって、花や草木を濡らしながら、止めどなく落ちていく。
ここではすべてが平等で、何の隔たりも、優劣もない。足りないものは一つもない。そして私も、その一部だ。

とても静かな、確信に似た気持ちだった。
「私」が雨の中に溶けていって、「すべて」と一つになる感覚。どこまでも広がっていく、自由。

満ち足りている。
私は今、ここにいる。

あれがたぶん、本当の意味で初めて自分を「肯定」できた瞬間だったと思う。

それまでの私は、絶えず何かを追い求め、常に気持ちに焦りがあった。
-足りない、足りない、今の自分じゃだめだ…-

それを雨の音が、匂いが、暗さが、ぜんぶまるっと受け止めてくれた。肯定してくれた。

-これでいい、私はこのままでいいんだ-

濡れた土、草木が醸し出す、湿っぽくてどこか甘い匂い。雨の音を聞いていると、今でも、あの時の感覚に戻ることができる。

ただ存在しているだけで、命は美しい。私も、雨や土や草木と同じ。なんて自由で、素晴らしいんだろう。

日常に忙殺されて見失ってばかりだけど、私はこの感覚を味わうために生きているのかもしれない。絵を描き、言葉を紡いでいる。

あれから雨は、私の味方だ。 

©︎綿草ひろこ


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