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共鳴する、描く

雪がちらつき北風が吹き荒ぶ中、森を一人で歩いた。

木の幹に触れ、目を閉じる。手がじんわりと温かくなり、木のエネルギーが体に流れ込むように感じる。頭の芯が心地よく振動し、全身へ伝わる。木と自分が同じバイブレーションで満たされ、共鳴する。

私はどちらかといえば山育ちなので、森や大きな木があるところが一番落ち着く。
この時期はちょっと寒いけど、雪の降るしんとした森は自分の内側をクリアにするにはうってつけで、手がかじかむのも忘れて長居してしまう。

木に流れているものと、自分の奥に流れているものは同じだ。
落ち葉をカサカサ踏みながら、自分が満たされていくのを感じる。

ああそうだな、絵もこんな風に描けたらいいのにな。
木が根から水を吸い上げ、陽を浴び、酸素を送り出すように。芽吹き葉を茂らせ、花咲かせ実をつけるように。
何の無理もなく行われている命の営みみたいに、何かを生み出せたら、それはとてもいいものだろうなと思う。

日々の暮らしの中で出会う植物や光、風や生き物…一瞬の光景に宿る「美」は、頭でっかちの息苦しい日常から私を解き放ち、何か目に見えない大きな源とつないでくれる。

私にできるのは、日々少しでも描き続けて、この「回線」を切らないでいること。
「うまく描こう」なんて考えずに、「見た」ものに正直に、自分の中に流れ込んでくるものを信じて手を動かすこと。
そして、少しずつこの「回路」を太くしていくこと、だ。

絵を描いて散歩してさえいれば、私は心身ともに調子よくいられる。そういうものに出会えて、本当によかったなと思う。

スケッチ・冬の森

森の中を歩き回ったせいか、手袋を片方落としてしまった。
翌日探しに行くと、松ぼっくりと一緒にベンチの上に行儀よく並べられていた。誰かの遊び心と優しさが、じんわり体を温める。

こういう小さい世界を愛でながら生きるのが、私なんだな、と受け入れられるようになったのは、絵を描き始めてからかもしれない。
小さいけれど果てしない、目に見えないけれど確かに在る、世界。

探究の旅はつづく。

©︎綿草ひろこ

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