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下町から離れられなかった写真家・木村伊兵衛。  写真展「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」を見て

木村伊兵衛写真展「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」を東京都写真美術館に見に行った。木村伊兵衛は日本を代表する写真家であり、その名前を冠した写真賞は数々の写真家を輩出してきた。日本の写真史を語るうえで欠かすことのできない重鎮である。

木村伊兵衛といえば、市井の名もなき人々やその生活をライカで軽やかに切り取る、スナップ写真の名手であったことは、写真好きなら誰もが知っていると思う。もちろん僕も知っていた。とはいえ、あまり関心はなかった。理由はそのスナップの切れ味と、整った構図の上手さにある。木村が影響を受けたアンリ・カルチェ=ブレッソンにおける「決定的瞬間」のような完璧なコンポジションに予定調和のようなものを感じて、白けた印象を持っていたからだ。そんなこともあって、写真展の形で作品をじっくりと見るのは初めてのこと。

写真展は沖縄、肖像と舞台、昭和の列島風景、ヨーロッパ、中国、秋田、パリの7つのテーマで構成されている。

木村が沖縄を撮ったのは、昭和10年(1935年)に東京で行われた琉球舞踊の舞台を見てそのエキゾティックな姿に触発されたことがきっかけになっているという。木村が主なフィールドとしてきた大都市東京とのギャップに感化されたのだろう。その翌年に沖縄に渡航して写真を撮ることになったわけだが、写っているのは琉球の時代から脈々と続いてきた沖縄の土着的な風土。とくに、市場を撮った写真からは、沖縄人のひといきれのようなものが吹き出し、市場を往来する人々の濃厚な日常が感じられた。戦後50年代から60年代にかけて、岡本太郎も沖縄を撮っている。岡本は「一つの恋のようなものだった」と表現しているが、木村も沖縄への恋に落ちてしまった一人だったのだろう。東京を粋にスナップする写真家という認識だったから、木村が沖縄のシリーズで初めて写真家としての評価を得たというのは意外だった。

木村は1933年に「ライカによる文芸肖像写真展」で横山大観や幸田露伴、谷崎潤一郎ほかの文人を撮った写真を発表しているのだが、このポートレートを見ていて気づいたのは、確かな目と高い撮影技術だ。見る者を惹きつけるコンポジションや自然な佇まいもさることながら、カメラ目線で撮られたほとんどの写真で目にキャッチライトが入っている。リングライトのような照明装置がなかった頃だから、その場の光を絶妙に使って撮ったのだろう。卓越した作画力と集中力を感じさせた。

昭和の列島風景の章を見て、木村が日本の津々浦々で撮っていたことを知った。東京の下町とそこに生きる人々を軽やかに切り取っている写真の絶対数が多いものの、京都や長崎といった街でも撮影している。東京の写真で、とりわけ戦後すぐに撮られたものについては、政治や社会問題をルポルタージュするような、ジャーナリスティックな作品を残している。木村は自分自身の本筋は報道写真家だと捉えていたようだが、写真を見ると納得できる。

木村は1954年にヨーロッパに初渡航した。木村とヨーロッパといえばパリとの関わりがよく知られているが、初の洋行ではローマやロンドン、ワルシャワ、ウィーン、ヘルシンキといった各都市も回り、木村らしい視点で街々を捉えている。展示された写真にはアンリ・カルティエ=ブレッソンのポートレートがあった。木村は初のパリ滞在でブレッソンに会い、彼から紹介されたロベルト・ドアノーと一緒に下町を撮っている。強く影響を受けたブレッソンと邂逅し、自身の写真を再確認したうえで、憧れのパリで存分に写真を撮れたのだろうから、木村にとっては至高の時間だったのではないだろうか。パリといえば、木村はフジのカラーフィルムでもパリを撮っている。写真展では、第7章でまとめて展示されていたのだが、日中とはいえ感度ISO10(100じゃない)の感度でブレなく撮影していることに、木村の高度なテクニックを感じる。

木村は1973年に没しているが、中国のシリーズは1972年、木村が生前最後に発表したのだと言われている。昨年、木村が撮った中国のプリントが36点発見されたこともあり、特別にスペースを設けて展示されていた。このうちの30点を使ってニコンサロン(1968年に開設。記念の写真展は木村の作品展だった)で展示を行い、残り6点を加えて巡回展を行ったのだという。展示されていた多くは1960年代から70年代にかけて撮られたものだったが、その以前にも、中国の写真は発表されている。旧満州を撮ったものは、戦中の対外宣伝向けに使われていた。一見する限りでは、それとはわからない木村調のスナップ写真だったことが興味深い。

秋田も木村にとっては思い入れの深い土地だったのだろう。1950年代から70年代までに20回以上も撮影旅行で訪れていたというのだから、ライフワークの1つと言ってもいいのかもしれない。きっと、東京では失われてしまった日本の原風景が色濃く残る秋田の風土に惹かれたのだろう。東京からの距離が遠く文化的な差違も大きい点で、秋田は沖縄と共通している。おそらく木村は、沖縄を撮った時と同様の視点で秋田の田舎やそこに生きる人をカメラで追ったのだと思う。

回顧展全体を通して、やはり木村は下町から離れられない写真家だったのだと思った。東京の下谷で生まれ育った木村にとって下町はルーツであり、下町こそが「人間が生活している場所」だった。東京にせよ、沖縄にせよ、中国にせよ、パリにせよ、人が普段着で生きている、生活感にあふれた場所を好んで撮っている。そしておそらく、木村はそこで「生きている人」を撮りたかったのだと思う。このことは、展示されていた写真に純粋な風景写真が数えるほどしかなかったことからも感じ取ることができる。

写真展は5月12日まで。

「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」場所:東京都写真美術館期間:2024年3月16日〜5月12日URL:https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4769.html


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