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47年振りの熱い瞬間!2021年F1アブダビGP

どうも。暇人33号です。

皆さんは実際に自分がプレイしたり、プレイしないにしても観戦するのが好きなスポーツはありますでしょうか?「スポーツ」は、日本では身体を動かして競うものという認識があると思います。実際それは間違っていないと考えます。筆者はF1という「スポーツ」の観戦が大好きです。厳密に言えば「モータースポーツ」なのですが。

モーター「スポーツ」と言えど、車のコックピットという「密室」にこもって手足をちょこまかと動かすだけ、楽なものなのだろうというイメージを持たれる方も少なくないと思います。

しかし、走行時の瞬間最大Gは6Gにも及び、凄まじいGに耐えられるだけの肉体や、ミリ単位の走行ライン調整が求められる精密性。己の肉体や精神のコントロールを高い次元でマネジメントする能力、チーム(チームメイトやメカニック、チームスタッフ)やメディアとの適切なコミュニケーション能力等、ありとあらゆるものにハイレベルなものが要求されるF1は、れっきとしたスポーツと断言できます。

4輪モータースポーツの最高峰に位置するF1。昨年2021年は例年にもまして極めて「熱い」年でありました。今回はF1について、筆者とF1との出会いから順に書いて行きたいと思います。

色々と描きたい事があり、少し長くなってしまいますので、冗長に感じる方は目次の「47年振りの熱い瞬間」から飛ばし読みされても一向に構いません。

それでも宜しければ、ご覧下さい。

筆者とF1との出会いと一時的な別れ

伝説のドライバー、アイルトン・セナが駆る、1988年マシン マクラーレンMP4/4。

筆者とF1との出会いは、まだ物心が付いていない頃、父親と一緒にフジテレビのF1番組を見たのが始まりです。アラン・プロストやアイルトン・セナ、ナイジェル・マンセルやゲルハルト・ベルガー、ネルソン・ピケや中嶋悟等のドライバーが活躍していた時代ですね。当然の事ながら、夜更かしはNGだったので、ビデオ録画(ビデオという所に時代を感じますね😃)されたものを観戦する形でした。

しかし、そんな大好きだったF1観戦が途切れてしまう出来事が怒ります。

1994年、5月1日-

イタリアはサンマリノGPにおいて、「音速の貴公子」こと、アイルトン・セナが高速コーナー「タンブレロ」でコースアウト、大クラッシュを喫し、事故死してしまいます。事故の原因については、Wikipediaや当時セナが搭乗したマシンを設計した責任者、エイドリアン・ニューウェイ氏の著書に詳しく書かれておりますので、気になられた方は調べて見てください。

空力の鬼才、エイドリアン・ニューウェイの自伝的著書、「HOW TO BUILD A CAR」。セナが事故死したウイリアムズFW16について赤裸々に綴られている…。

事故死した次の日は、どのTV局でも大きなニュースとして取り上げられました。筆者はその一報をフジテレビのめざましテレビで知りました。

小学校に入学したばかりで、人見知りだった当時の私は環境に慣れずナーバスになっていたのですが、追い討ちをかける様な「泣きっ面に蜂」レベルのショックでした。

セナの訃報に泣いた人も多かったのではないでしょうか…?

この訃報が引き金となり、大好きだったF1観戦から離れる事になります。

離れてからしばらくの間は、毎戦のように見ることも無くなり、年に1~2回、時間帯が合った時にチラッと見る程度になり、興味がほとんど失せてしまいました。

再び…

そんな筆者に再び、F1観戦熱に火を付ける出来事が起こります。

それは、当時勤めていた大手スーパーを退職した事です。人手不足による過労や度重なるパワーハラスメントに疲れ果て、貯金もあったので、自分の心と身体を守るために10年近く働いた職場を辞めました。2018年初頭の事です。

時間が生まれたので、その余った時間を自分自身を見つめる事に注ぎ込む事にしたんですね。『自分が心から楽しいと思える事って何なんだろう?』とか、『そもそも仕事って自分にとって何なのか?』とか、色々とね。

そうやってして自分自身を見つめる行為に勤しんでいると、自分の「心から楽しいと思えるルーツ」を辿る、という道筋に行き着きました。その自分にとっての「ルーツ」がミニ四駆やF1だったんですね。

そして再びF1を調べて、今は地上波で無料放送は行っておらず、CSやDAZNと契約する形でしか見れない事や、HONDAが2015年から再びエンジンサプライヤーとして参加している事を知ります。早速、手持ちのスマホのキャリアがdocomoな事もあり、契約料がリーズナブルなDAZN for docomoに加入して、再び観戦する事となります。2018年3月の事です。

再びF1観戦を始めた当時、どんな状況だったのか?

マクラーレンと組んだ最終年は散々なものであった。写真は2017年マシンのMCL32。

HONDAは2015年から名門マクラーレンとタッグを組みましたが、結果は散々で2017年をもって関係を打ち切り、紆余曲折ありながらも、強豪チームであるレッドブルのジュニアチーム的な性格を帯びたトロ・ロッソ(現アルファタウリ)にエンジンを供給する事に行き着きました。

なぜ散々な結果になったのか?原因は双方にあると考えており、どちらか一方に肩入れするつもりはありません。

しかし、HONDAは特に2017年は、結果を残せなかった為にマクラーレン側のネガティブキャンペーンによりボコボコに貶されていました(マクラーレン側にも原因があります)。当時過労やパワハラでボコボコにされていた私は勝手にシンパシーを感じたんですよね。「何か境遇が似てるなあ」と。

そして、2018年、再起をかけてトロ・ロッソにエンジンを供給する。私も再起をかけるため、頑張って見せると意気込んでいた頃だったので、自分と重ね合わせるような形で、F1観戦にのめり込んで行きました。

なぜトロ・ロッソに供給されるに至ったのかの個人的な推測

HONDAのPUが初搭載された、トロ・ロッソSTR13。

しかし、なぜ散々な結果だったエンジンしか作れなかったHONDAに、レッドブル及び、トロ・ロッソが目を付けたのでしょうか?

それは個人的な推測の範疇ですが、「可能性」だったのでは?と思います。当時、レッドブルは2010~2013年とチャンピオンシップを4連覇していたのですが、エンジンの規定が変わり、V8エンジンからPU(Power unit:内燃エンジン、ターボチャージャー、エネルギー回生システム、そしてバッテリーから構成される動力システムの総称)と呼ばれるものに変わりました。

しかし、PUに変わってからは、チャンピオンシップの上位に食い込むものの、チャンピオンシップを勝ち取る事が出来ないでいました。メルセデスが手をつけられない強さだったのも大きな要因でしたが、それに加えて原因を簡単に言うのならば、当時レッドブルが使用してきたPUのパワーや信頼性不足です。

そこでレッドブルが目を付けたのが、HONDAの「伸び代」だった。結果は(特に2017年は)散々であったものの、年間通してスペック1~3と着実にパワーを上げて行くHONDAのエンジンに可能性を見出したのではないでしょうか?

レッドブルは強豪チーム故に、あらゆるデータの解析能力も相当高いものと思われます。その解析によって、「ルノーとタッグを組むより、HONDAと組んだ方がチャンピオンシップを勝ち取れる」と考えたのではないか?そして「試験的にトロ・ロッソに供給させて、結果が良ければレッドブルにも採用する」という判断に至ったのではないでしょうか?

47年振りの熱い瞬間

2021年に訪れた絶好のチャンス。掴み取る事ができたのか?画像は2021年マシン、RB16B(セルジオ・ペレス搭乗車)。

2018年からトロ・ロッソ(現アルファタウリ)とタッグを組み、そこでのHONDAとトロ・ロッソの取り組みが評価され、2019年に本家レッドブルにもPUが供給されるに至ります。そして、同年の第9戦、オーストリアGPにおいて、初勝利を挙げます。

マクラーレンとタッグを組んでいた時と打って変わって、着実に結果を残して行くレッドブルホンダとトロ・ロッソ・ホンダ。またとない絶好のチャンスが巡ってきます。

2021年、最終戦-

去る2021年12月12日、中東はアブダビで行われたグランプリにおいて、47年振りとなる類稀なる状況になっていた。なんと、ドライバーチャンピオンシップにおいて1位と2位のドライバーの得点が、全く同じだったのです。これは1974年にエマーソン・フィッティパルディとクレイ・レガツォーニが同一得点で並んだ以来の事で、71年もあるF1の歴史において史上2度目の事でした。

マシンの戦闘力やドライバーの戦闘力等、総合的に見てもどちらが勝ってもおかしくない。ドライバーはメルセデスが現役最強のドライバー、ルイス・ハミルトン、レッドブルは若きオレンジの獅子、マックス・フェルスタッペン。

スタートの火蓋が切られますが、ポールポジションのフェルスタッペンは出遅れ、ハミルトンに抜かれます。途中、シケインで抜いたか?と思われたが、ハミルトンを押し出した形になってしまったので、2位のまま、虎視眈々と1位を狙うレース展開となります。

チームメイトのセルジオ・ペレスの極めて優秀なサポートもありながら、ハミルトンに迫るフェルスタッペンですが、タイヤが原因でじわじわと離されて行きます。

タイヤが原因と言うのは、前日の予選において、フェルスタッペンは決勝で使うはずのミディアムタイヤをブレーキミスによってフラットスポット※

※急ブレーキなどでタイヤがロック[回転が止まってしまうこと]した際に、地面と接触したタイヤの一部分が摩擦により削られ、平面になってしまう事
「フラットスポット」「formula1-data.com」より

を作り、ダメにしてしまったので、1段階柔らかいソフトタイヤでスタートしていました。コンパウンドが柔らかい分、タイヤの持ちは硬いタイヤより劣る。それが決勝の戦略に影響を及ぼしていたのです。

このままハミルトンがチャンピオンシップを勝ち取り、前人未到の8度目のワールドチャンピオンになってしまうのか-。

しかし、レース後半、「僥倖」が訪れます。

53週目に下位で争っていたニコラス・ラティフィとミック・シューマッハのうち、ラティフィがターン14でクラッシュ。マシン撤去のためにセーフティーカーが導入となります。

絶好のチャンスとばかりに、レッドブルはフェルスタッペンのタイヤをくたびれかけたハードタイヤから新品のソフトタイヤに履き替えます。ハミルトンはその時点で1位だったので、アドバンテージを失わないためにステイアウト(タイヤ交換をしない)します。

ここら辺からラスト1周に至るまでのゴタゴタは下に添付したサイトが詳しいです。

そうして迎えたラスト1周、1位ハミルトン、2位フェルスタッペン。47年振りのチャンピオンシップ1位2位の同一得点、最終レースの最終周回。文字通り手に汗握る最終決戦が繰り広げられました。

(Apple watchで筆者の心拍数を測ったら、100以上に近くまで上がってました。)

タイヤで圧倒的なアドバンテージがあるフェルスタッペンは、ターン5でハミルトンをオーバーテイク、そのまま順位を守りきり。初のワールドチャンピオンとなったのでした。

レッドブルとしてはコンストラクタータイトルは獲れませんでしたが、2013年以来のドライバーチャンピオンシップの戴冠、HONDAとしては30年振り、アイルトン・セナ以来の快挙となりました。

最後に

如何でしたでしょうか?

個人的に間違いなく2021年の名試合に挙げてもおかしくない出来事だと思い、衝動的にまとめました。

今までnoteで書いてきた記事の中で、最も長文となってしまい、読んでいてしんどくなった方々もいたかもしれません。それでも根気よく読んで下さった方々に、感謝の言葉を。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございましたm(_ _)m

それでは、今日はこの辺で。

また会いましょう。

#2021年の名試合

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