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便利さがもたらす“甘え”

昨日から家族で実家に来ている。

昨日は兄夫婦もいたので皆で一緒に
ボーリング場でゲームやカラオケをして
子供達もとても楽しそうにしていた。

たまには家を離れてこういう刺激も
子供達にとっては大事なのだろう。

そんなことを思いながら過ごしていると
あっという間に夜になった。

子供達もいつもと違う疲れ方をしているのが
なんとなくわかったので
優勝を食べて彼らが眠くなる前に
風呂に入れなくてはならない。

母の承諾を得て風呂を貯めて
早速子供達に風呂に入ろうと言うと
どうやらみているテレビがいいところらしい。

いつもならここで引き下がる私だが
昨日は勝手が違う。

自動湯沸かし器がついていないこの家の風呂は
時間が経てば経つほど冷めていくからである。

せっかく貯めた風呂がぬるく、
体が温まらないのはあまりなもったいない。

なので、子供達をなんとか説得して
風呂に入れねばならない。

どうしたものかと思い考えてみたが
シンプルに伝えるのが一番だと思い、
風呂の事情を子供達に伝えてみると
拍子抜けするぐらいすんなり
彼らは風呂に入ってくれた。

風呂に入ればもうこちらのものである。

風呂から出てきた子供達に流れ作業のように
服と歯ブラシを渡して
あっという間に寝る準備が整った。

「パパ、まだ8時半やけど準備終わったで」
息子も早く寝る準備が整ったことに
なんだか嬉しそうである。

我が家では子供達が生まれた時から
風呂は自動湯沸かし機能があり、
貯めた湯は勝手に保温されることが
当たり前になっていた。

確かにそれはとても便利でありがたい機能である。
だが、その便利さゆえに私たちは
多くの時間を無駄にしていたのではないか。

いつでも入れるということは裏を返せば
すぐに入らなくていいという甘えになる。

今回気づいた風呂だけではなく
私たちは便利さゆえの甘えに多くの時間を
無駄にしている気がするのだ。

子育てをしているとなぜこうも時間が融けるのか
不思議に思うことがあるが、
まさにこれは色んな物によって生み出された
“甘え”が積み重なったからこそなのだろう。

キャンプのようにあえて不便さを感じることは
人に刺激を与えてくれるが
まさにこのような経験は“甘え”の存在に
気づかせてくれるキッカケにもなる。

不便な生活に今から戻るわけにはいかないが
時にはこのような経験を通して気づいた甘えを
見直してリセットすることは大事なのだろう。

早速帰宅したら風呂のルーチンを見直して
さっと風呂に入る習慣をつけてみようと思う。

実家に帰省することは色んなストレスもあるが
その分いろんな気づきも得られて
たまにはいいものである。

ちなみに今日、
家族を混雑した京都観光に連れていくのが
嫌でたまらないと思っているのは
ここだけの話である。



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