見出し画像

「先生、自分はプロのサッカー選手になるんで、勉強とか必要ないっす」

塾でアルバイトをしていた頃、担当していた中学生男子にそう言われた。

彼の発言を読んで「幼稚だなあ」と思った人もいるだろう。しかし僕は違った。というのも、他の生徒から聞くところによると、彼のサッカーの実力は「半端ない」そうだからだ。中学生のレベルをゆうに超えており、彼目当てで連日サッカーの名門高校からスカウトが押し寄せているのだとか。
以前に彼からサッカー選手としての自己分析とチームの戦術について話してもらったことがあるが、それを聞いた感じではサッカーIQも高そうだった。
彼ほどの実力があれば、サッカーで食べていけるだろう。勉強する気が起きなくても仕方ない。

そう思ったが、塾代を受け取っている以上「そうだね。じゃあ残り時間はサッカーの話でもしようか」などとは言えず、一応「でもお金を払って塾に来てるんだから、これくらいやろうよ」となだめ、なんとかその日の授業を終えた。

しかし、どうもしっくりこなかった。バイト帰りの電車に乗りながら悩んだ。彼は本当に勉強しなくていいのだろうか。30分ほど考え、そんなはずがないと思い直した。

翌週。鬱陶しいと思われること覚悟で、練り直したアドバイスを語らせてもらった。
要約を書き連ねたので、興味のある方は読んでみてほしい。

先週、サッカー選手になるから勉強したくないって言ったじゃん。あれについて少し考えたから、話をさせてほしい。

プレーを観ていないから太郎(仮名)がサッカー選手になれるかどうかは全くわからない。なれるかもしれないし、なれないかもしれない。だから、太郎がプロになれた場合となれなかった場合についてそれぞれ考えてみた

まずは、残念ながらプロになれなかった場合。
もしプロになれなかったらどうする?残酷だけど、サッカーで生きていくって選択肢がほぼ消滅するよね。そりゃ「完全に」ではないけどさ。
その場合に備えて、勉強しておいた方がいいと思うんだ。勉強しておくと、それだけで将来の選択肢が広がる。真面目に勉強して基本的な学力を備えておけば、サッカーで上手くいかなくてもいくらでも潰しが効く。
これは何となくわかる?面倒な理屈抜きで言うと、サッカーだけやってきた人がサッカーを取り上げられたらヤバいじゃん?ってこと。その時に一番頼りになるのは、基礎的な学力だと思うんだ。学力がある程度あれば、何をするにも一定の信頼を得られるからね。だから、サッカーだけでなく勉強もしておいた方がいいと思う。

次に、晴れてプロになれた場合について。この場合は勉強なんて必要なさそうだし、今の太郎もそのつもりだろうけど、プロになれるとしても勉強はしておいた方がいいと思うんだ。
英語はちゃんとやってるらしいけど、個人的には、一番大切な科目は国語だと思う。
人間は母国語で物事を理解し、考え、表現する。だから国語力は人間の知性そのものだと思うし、人としての質の決定にも大きな影響を与えると思う。山本昌邦じゃないけどさ、「人間力」を高める意味でも国語は重要なんだよね。
それに、プロサッカー選手になれたとしても国語力がなければ指示を理解するのに苦労するし、浅はかで日本語力の足りない発言をして炎上しかねない。いい歳して中学生並みの文章を書いてファンを失望させかねない。そうなれば成功は遠のくし、ファンの獲得にも苦労する。サッカー選手がSNSで自らをプロデュースする今の時代、日本語力が低いのは結構致命的だよ。それから、引退後指導者として活動する際にも困るよ。今の時代の指導者にとって、自分の感覚を言葉にして伝える"言語化能力"は必須だからね。

わかるかな。そんなわけで、国語は全てにおいて大事なんだよね。

あと、できれば数学もちゃんと勉強してほしい。数学そのものは役に立たないかもしれないけど、数学の勉強は論理的思考力の鍛錬に役立つ。論理的思考力があるとないとでは、何をするにも大きな差が生まれる。さっき話した自己プロデュースでもそう。それに、今時のサッカーの戦術はかなり論理的だから、論理的思考力がないとサッカーでも置いていかれるかもしれない。それは嫌じゃん?
そう、数学は国語ほどではないけれど重要性が高い。さすが主要科目になっているだけの事はあるよね。

勉強する時間はあるでしょ?あんまり無い?サッカーで忙しい?
でもさ、ずっとサッカーサッカーだと疲れるよ。筋トレも仕事も適度に休みを入れた方がいいって言うし、サッカーもリフレッシュを挟んだ方がいい。リフレッシュタイムに適度に勉強を組み込めば最強。一挙両得ってやつだ。

ん?学校の勉強をしていると頭が固くなってユニークなアイデアを出せなくなると言う人がいた?
それは違うと思うよ。ユニークなアイデアは、型のないところからは生まれないと思う。基礎的な型をしっかりと習得してこそ、それをぶち破る奇抜で柔軟なアイデアを生み出せる。「型破りと型無しは別物」。これは割と有名な話だよ。まずは型を取得しよう。安心して勉強してくれ。


結局、この日の授業はこれで終わってしまった。さすがに申し訳なかったので、2日後にタダで補習授業を組んで穴埋めした。

この日以降、彼が勉強の必要性に疑問を呈する事はなくなった。相変わらず渋々ではあったが、勉強に取り組むときの目の色が少し変わった気がする。

あれから4年の月日が経った。彼がプロサッカー選手になれたのかはわからない。年齢的にはJリーグデビューしてもおかしくない年頃だが、まだ目にしていない。やはりプロの世界は厳しいのだろうか。
もちろん僕としては、彼が夢を叶えてくれることを期待している。しかし彼の夢は飛び抜けて難易度が高く、叶わない可能性が憎たらしいほど高い。

もし夢が叶わなかった場合には、彼が
「あの時アイツに言われた通り勉強しておいてよかった。」
と思ってくれることを願っている。


余談だが、昨今「学校の勉強なんて無駄」だの「大学は無駄」だのと発信するYouTuberがいるそうだ。YouTuberではないが、本田圭佑も「宿題をやりたくなきゃやらなくていい」と発言して物議を醸した。
それ自体は別に問題ないと思う。学校の勉強を無駄と考えようが、大学に意味などないと発信しようが、表現の自由の範疇だ。

しかし、見る側、聞く側は気をつけなければならない。YouTuberが話題性目当てで極端な発言をしている可能性や、本田圭佑がかなりユニークなヒューマンであることも考慮に入れるべきだ。我々"一般人"が勉強や宿題をサボったり大学を辞めてしまえば、将来の選択肢を狭めてしまいかねない。選んだ道で一時的に成功しても、知識も教養もないために行き詰まりかねない。彼らの極端な思想を鵜呑みにすることに、僕は大いに反対する。

とはいえ、「選択肢を狭めてでも好きなことに集中したい」「自分はこの道一本で生きていく」…そういう生き方がダメだとは思わない。生き方は人それぞれで、僕ごときに偉そうに口出しする資格はない。
あくまでも僕が言いたいのは「勉強や大学をやめるリスクを過小評価してはいないか、勉強から得られるものを過小評価してはいないか、じっくり考えてほしい」ということだ。

先月ツイッターで、勉強の意義を説いた太宰治の著作を紹介した。以下にリンクを載せておく。

https://twitter.com/ha_suuuuuu/status/1261833139099283457?s=21

お金に余裕のある方はもし良かったら。本の購入に充てます。