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アヴリルを聴きながら

「観るのやーめよっと」
僕はテレビを消した。本日2度目だ。
この日僕は2本の映画を観て、どちらも途中でやめてしまった。それほどつまらないわけではなかったが、半分ほど観たところで「残り50分もこの映画に付き合うのは時間の無駄な気がする」とドライな気分になり、消してしまった。

真面目で完璧主義的な性格をしているためか、映画を途中で放棄することはまずない。後半30分の恐るべきクオリティの低さで有名な「映画クレヨンしんちゃん 踊れ!アミーゴ」ですら最後まで観た。しかし、この日は耐えられなかった。

2本とも評価の芳しくない作品だし、あちら(映画)側にも問題があると思う。しかしながら僕は落ち込んでいた。何かおかしい。自分らしくない。
不安とモヤモヤ感に駆られた僕は"ある曲"を思い浮かべ、大雨の降る夜の街に出ることを決めた。
(人のいないであろう街を撮影したいという遊び心もあった)

その曲は、アヴリル・ラヴィーンの「Anything but Ordinary」だ。
日本でも大ヒットした名アルバム「Let Go」に収録されているので、聴いたことのある人は多いかもしれない。若干過激で病み気味の歌詞に、ノリに乗っていた頃の彼女のセンスが存分に盛り込まれている。メロディも一度聴けばハマるキャッチーなもので、クセになること間違いなし。紛れもなく名曲だ。

「普通なんて嫌だ」をテーマにしたこの曲は、(何かがおかしい、理由は判然としないが自分が嫌になる。不安になる。外に飛び出してスカッとしたい…)などと感じていた僕の心情にぴったりだった。

アヴリルを聴きながら、僕は街を歩いた。雨音のせいで声がよく聞こえず、楽器の音ばかり聴こえた。足りない分は心の中で歌うことで補った。雨音で周囲の雑音はかき消されている。聴こえるのは雨音と楽器の音のみ。そのため、一人カラオケで歌っているような感覚を覚えた。完全に自分の世界に一人だ。また、自ら歌うことでより一層曲にシンクロできている気さえした。イヤホンから声が聴こえてこないのも、たまには悪くないのかもしれない。
そうして大雨の中、街頭が水に反射してほのかに煌く道を歩き続けた。

雨天にわざわざ外に出て、心の中で歌いながら、コロナの影響で人気の少なくなっている街を歩き回った。
普段と同じようで、少し異質な世界。その世界を「決して普通ではない」というタイトルの曲を聴きながら、全身黒づくめで彷徨する自分。

この、無意味で無価値で自暴自棄気味で不要不急な行動が、不思議と僕の心を軽くした。理由を言語化できないのが悔しいところだが、何かボンヤリとした不快感や不安を覚えた時には、このような行動がやけに効果を発揮することがある。僕のこの日の鬱積は、雨空の下でスーッと晴れていった。

思えば会社員時代の僕には、これが欠けていたのかもしれない。不安や不快感や鬱積が溜まっていても、「忙しい」「意味のないことはしたくない」「休みたい」と言って外に出ず、家でサッカーの試合や映画を観てばかりいた。もっと外に出ていれば、僕は今とは異なる人生のレールを走っていたかもしれない。と言ったところで後悔先に立たずだが。

結局、歩けたのは駅の半径100m圏外のみ。圏内には人がそこそこいたので僕はすごすごと帰ることにした。少し残念な気分はあったが、時期が時期だ。これといった用もないのに人混みに突入するのは愚かだし、散歩は人気のないところを歩くくらいがちょうど良いのだ。人が大勢いるところに行く必要はない。

さて。最後に「Anything but Ordinary」の終盤の歌詞と和訳(自己流)を載せて、この日記を締めくくる。

Let down your defenses
防御を捨てて
Use no common sense
常識に囚われないで
If you look you will see
見渡すと見えてくる
That this world is a beautiful, accident, turbulent, succulent, Opulent, permanent no way
この世は美しく、意外性があり、騒々しく、みずみずしく、華やかで、永遠など無いってことが
I wanna taste it
私はそれを感じたい
Don't wanna waste it away
無駄にしたくない

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