フォロワー数を気にしてしまうけど、実際はただの数字だなと思う。 フォローする行為は、好きで推しているよりもただ興味本意でタップボタンを押している人が大半だ。 バズりを狙ってフォロワー増加を企むなんて幻想でしかない。 事実、バズった人のその後なんて 悲惨で酷いのが当たり前だから。
人が嫌だと思う頭文字を三つあげるとすれば、 『シン〇〇・SNSで話題!!・大バズり中』だ。 なんか陳腐すぎるし、なんだか感覚的に古臭い?気がする。 それらを組み合わせるとわかります。 『SNSで話題!!シン大バズり中〇〇』 言葉の濁流でキツくなります。
話すとめんどくさくなる 三種の神器(トークテーマ)は、多分 『政治・悪口・家族のこと』 だと思う。 政治は、人の考えの差異が大きく、議論状態になり 悪口は、話すと後味が悪くなり 家族のことは、あんまり言いたくはない。 これらに話を振られたら どうしようかな?と考えてしまう。
歳をとると、自己満と自己中が 加速度的に進行するのが人間だ。 自分自身が大好きすぎて、何かと自慢、何かと批判、何かと皮肉、を書く。 そして出来上がるのが、共感性モンスターという名の拗らせ一般市民。 もしかしたら、僕もそうなる運命なのか? そしたら、嫌いになるな自分。
noteの呟きの中で、明らかに愚痴を吐いて、コメント欄で嫌なことを誰かと語り合っている人を見かけると、なんか可哀想な気分になってくる。それでしか自分を表現して曝け出せない。本当に本当に損をしている。やっぱり人間って悲しい生き物なのかな?こういう人を反面教師として生きていきたい。
自分自身の学歴をヒシヒシとひた隠すか?バンバンと宣伝するか?は個人の判断に任せるしかない。しかし、やっぱり言いたいのは、他人を唆す道具にしたり、相手を嘲るネタにするのは、辞めといた方がいいと思う。あるネット番組を観て、ため息が出るほど、くだらなく幼稚っぽいと感じた。はぁーーーあ?
ネットだけ(口調や態度)強い人にはなりたくない。 そういう人ほど指摘されると、 まずは拡散されて仲間を集めて、集中的な罵詈雑言を相手側に浴びせる。 それって残酷すぎるほど幼稚っぽい、 くだらない、瞬間沸騰機みたい。 僕も可能性があるから気をつけたい。 まずは、自分を見つめ直す。
SNSでよく、大喜利をするみたいな風潮がある。『忙しい忙しい!』とみんな呟いているのに、それには参加してあーでもこーでもしている。そんな姿を見ると、どひまじゃんと思う。 楽しみでやってるならいいけど、 ただの暇つぶしに見える。 人間って摩訶不思議で不可解な存在と ハタと感じる。
ネットニュースでよく悪用される 単語を三つ挙げると 『物議を醸す・賛否両論・ネットの声』 この三つの単語に共通するのは、 いずれも書いた記者が批判や非難されないように、巧妙にずらして読む人の指先をタップされるように仕向けていることだ。この三つがタイトルにある記事ほどコピペが主だ。
病気や障害を持って日々感じるのは、 自分自身がどう人と接していくかだ。 病気や障害の有り無しで、人を見極めたくはないし、同族嫌悪もしたくはない。 ただただ、自分として『どうするか?どうすべきか?』を考えていく。 それを続けて生きていきたい。 シンプルだけど、それが真理かな?
noteの記事を読んでいると、難解な言葉を多用しているのに、伝えたいことがちんぷんかんぷんな記事が多い。 あと、タイトルがいちいち過激なのに中身がなんじゃこりゃ?で、 タラタラダラダラと文を連ねている記事もある。 ハートやレビューの為なら、なんでもありならそれはNONOな行為だ。
人の揚げ足取りをして、SNSで過去の発言を掘り当てて重箱をつついて、炎上させるしかやることがない人には、絶対になりたくはない。そんな人生反吐が出てしまう。まぁそれを自覚しても自己擁護という完全無敵のシェルターに隠れてしまう能力が人には備わっている。用心をして生きるしかないかな?
アニメは観ていますが、アニメファンだとは公言したくはない。 なぜなら、まだ観てない作品が多くて、ファンと名乗るほどの領域に達していないからです。 今期の作品は一、二作ぐらいしか観ていないため、まだまだだなと思う。 今期も終盤戦に差し掛かるので、時間を見つけては、一気観したい。
YouTubeが廃れた理由は、多分視聴者と動画配信者の負の連鎖?だと思う。民度が低いくだらない動画を視聴者が求めてしまった結果、動画配信者の意識が低くなってしまい、炎上要素たっぷりのテンプレな動画ばかりが出回るようになってしまった。やっぱし、みる側も創る側もしっかりしないとね?