殺人バスの乗客になった僕が決定的にダメだと思った話

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車内ではインドミュージックがうるさいほどの大音量でかかっているのはいつものことだったが、あれだけ座席の手すりを強く握って緊張しながらバスに乗っていたのは人生で一度だけ。

ネパールに滞在中、ポカラという街から首都のカトマンズに戻るに帰る時だった。山道を下るバスのスピードは僕の許容範囲を明らかに超えていた。

あまりのスピードに「もう少しゆっくり走ってもらえるようドライバーに伝えてくれないか」と隣に座るネパール人のおばさんに頼んだが「大丈夫よ」と何一つ安心感を与ない返事を返してくれるだけだった。

あとはこのスピード狂の運転手に自分の命を預けるしかない。もうダメだと結構本気で考えていた。「そうか死ぬときはこんな感じなの気分なのか」と冷静に考えながらも、もう全てを諦めることしかできなかった。

しかしバスは小一時間走ったところで渋滞にぶつかった。僕は本気で胸をなでおろした。生きた心地がしなかったとは正にこのこと。長い緊張で首肩が痛かった。

渋滞の原因はバスの奥に座っていた僕からは分からなかった。海外でバスが途中で止まると、前方で一体何が起きているのか分からないことが大半だ。

しばらくして渋滞に飽きてきたころ、バスがようやく動き始めた。ぼんやりと窓の外を眺めていた僕は外の光景を見て驚いて身を乗り出した。

窓の外には300メートルほど下った崖にトラックが横転して落ちていた。おそらくこの事故が原因で渋滞になっていたのだろうが、僕が乗っているバスだってかなりの高確率で同じ状況になりえたはずだ。

全くもって他人事とは思えないのだが、バスの運転手はおそらく他人事と考えている。それほどまでに無茶苦茶なのがネパールなのだが、この話そう簡単には終わらない。


この世にありえないことはありえる

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渋滞を抜けるとバスは再び猛スピードで首都カトマンズを目指していた。

何をそんなに急いでいるのか聞いてみたいほど、クラクションで辺りの車を蹴散らしてはバンバンと追い抜いていく。まるでアメリカでパトカーに追われている逃走車のごとく無秩序に。

車内でかかるインドミュージックのボリュームは更に上がる。外国でのバスの運転手はいわば王様のような存在。全てバス車内のルールは王様のさじ加減ひとつなのだ。

しかし、また小一時間ほど走ったところでバスは再び止まりまった。恐怖と安心を繰り返すこのアップダウンは精神衛生上あまり良くはない。どうせ急いでも止まるなら、頼むからゆっくり走ってくれと思っていた。

数分すると今度はバスのエンジンが止まり運転手が外に出てバスの後ろに歩いてきた。顔を見て驚いたが明らかに年齢で言えば中学生のようなあどけない子供だった。

この男の子に今自分の命を預けているのかと思うと、自分の命がやけに安く感じた。

男の子は後ろに行ったまましばらく戻ってこなかった。隣の席のおばさんはネパールの車内には大抵いる、運転手の補佐のこれまた中学生のような男と話していた。なんとなく面白い話なのだろうか、周囲のネパール人はその話を聞いて多少笑っていた。

男の子が戻ってくると手には赤い紙切れを持っていた。男の子は運転席に座るとエンジンをかけてアクセルをふかして気合いを入れた。

「何があったの?」と隣のおばさんに聞くと、おばさんは呆れたように笑って答えた。

「運転手、免許持ってないんだって」


ロシアンルーレット

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おそらく先ほど補佐の男と話していたのはこうだ。

おばさん「ちょっと、早く帰りたいんだけど何があったのよ?」

男「今検問に引っかかってさ。あいつ確か免許持ってないんだよ」

おばさん「免許くらい取りなさいよ!」

男「まあ運転できるから大丈夫でしょ!」

周囲「ゲラゲラゲラ」


想像でしかないがおそらくはこれに近い話だったことは間違いない。そしてここには僕だけが全くもって理解できない2つの無茶振りがある。

一つはバスの無免許運転という無茶振り。そしてもう一つは無免許運転の男の子に再びハンドルを握らせる警察の無茶振り。

さてただでさえ恐怖で手すりを強く握るほど緊張していた僕は、運転手の無免許が発覚し、ここから更にこの男の子の運転するバスに命を預けるという気絶しそうな状況に耐えることができるのか。

警察にすら見捨てられたこの殺人バスの乗客は、ほぼ人質みたいなものなのに、周囲のネパール人は何一つ動揺することなく乗っている。さっきの崖の事故を引きずっている自分がバカなのか、何も気にしていないネパール人がかっこいいのか訳が分からなくなった。




「海外行って強盗とか危なくないの?」

あまり治安がいいとは言えない国ばかり滞在しているのもあってか良く聞かれることだが僕はいつもこう答える。

「強盗はお金が目的で命じゃない。本当に怖いのは野犬とバス」

野犬は本気で殺しにくる。強盗とは目の殺気が全く違う。バスはスキルの分からない運転手に身を預けるが保証は全くない。ロシアンルーレットみたいなものだ。

何度も色々なロシアンルーレットを回してきた結果、僕は今ここにいるのかもしれないがあの運転手の少年は最も当たりに近いルーレットだっただろう。

自分の命のコントロールなんて思っているほど自分ではできないのかもしれない。そんな人生を悟った風なことを考えて、異国の知らない土地をバスの窓から眺めるのが好きな僕は、それでもいつかまた知らない国でまたバスに乗っているだろう。



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