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世間知らずの私×薬学部


幸か不幸か、何不自由なく生きてきたわけだが最終的には自立する必要がある。

自分がどうやって生きていくか考え始めたのは中学からだ。
と言っても主体性があった訳ではない。
学校や親から「中高一貫なのだから、大学や将来について考えろ」と口酸っぱく言われたから渋々考えたのだが。

自分を省みながらどうして薬学部を選んだのか、そして薬学部にどうやって入ったかまでを綴りたい。

断っておくがが「必勝法」や「勉強法」は書いていない。
個人的には受かるためにはひたすらコツコツ勉強することが大事だと思っている、あと運。


中学時代

読書やヘタリアが好きだった私は、史学科に行きたいだの文学部に行きたいだの言っていた。
しかし両親は快く思わず。
最終的な落とし所は結局両親と同じ医療系だった。

医療系に自分があっていると思わせるため、そして親が喜んでいる姿を見たいがゆえに、学校でよく行われる特性診断は「どうすれば医療系に向いているといわせるか」だけを重きにおいて解いていた。
今となってはバカバカしいが、姉妹と比べると頭の悪かった私はせめて「親の考える良い子」を演じたかったのだ。

そして医療系進学に少しでも近づくために、特進コースに進むように努力を一応行った。

高校時代

なんとか特進コースの切符を手につかみ、高校時代へ突入する。

中学とは違い、高校になると数学は難しさを増す。
ついでに化学や生物までも難易度が上がった。
これで医療系行くんですかと周りに言われるくらい出来なさすぎたのだ。

しかし時は待ってくれない。
次に悩むべきは「医療系のどこに進学するか」であった。
医学部は到底狙えない、看護学部で実習する体力はない…と色々考えた結果、薬学部または臨床検査技師専門に行き着いた。
母親に相談すると「薬学部は6年。6年も学生でいられるのきっと楽しいよ」と言われ、世間知らずの私は不純な動機で薬学部を第1希望として選んだ。

そんな私はやる気もなく、数学はおろか化学も生物もできないので現役時代は見事に全大学不合格だった。

ここから浪人生活が始まる。

浪人時代

周りの友人は大学に進学している中、私は高校生でもなく大学生でもない浪人生が爆誕した。
流石にもう後戻りはできないという心の焦りがようやく出てきた。(この後私は国家試験2浪する、その話はまたいつか。)

私立の薬学部は周りの人達よりも受験が早く、受験結果も必然的に早く出る。確か今でも結果が早く出るはずだ。
お陰で色んな予備校を見て回れた。

選んだ先は九州で人気の予備校だ、東京にも進出していて一部浪人界隈からは「監獄」と言われている。(名前は一応伏せておく)
入学理由は嫌でも自習時間があり、自習時間も見張りがあるからだ。もちろん携帯スマホ禁止。勉強が嫌いな私にとってはそれくらいの強制力が魅力的に写った。

いざ入学

見張られていたのは本当だ、監視カメラもバッチリあるし、終業時間までは正面玄関の入口しかあいていない。
ただ、あまりにも浪人年数を重ねている人が多すぎた。1番下のクラスだったが、授業内容は難しかった。スタンダードに河〇塾とかにしてておけば良かったと後悔した。
あまりにも難易度が高すぎたため、直前講習は河〇塾の講習を取っていた。

ギリギリ滑り込んだ薬学部

学力は現役時代と比べると少し知識がついたかな…程度だったため、偏差値は正直伸びていなかった。
困った挙句、国語と化学で受けれられる大学があったため受けたところ、どうにか滑り込みで合格。
元々出来る国語と直前講習で習った所がちょうどピンポイントで出題されたため合格を頂いたのであった。

受かったと聞いた際は(別の入試会場にいたため母親から電話が来た)なんとか受かったという気持ちと、その先が思いやられるなという気持ちの相反する感情が生まれた。

振り返ってみて

薬学部に入るのに「苦労」というよりも「世間知らず」の方が多い受験生活だったなと思った。
親の言いなりだの、予備校の授業が難しいだの色々言ってはいたが結局自分で調べて行動しなかった結果が今である。

今後はもう少し自分で考えて行動をしようとこの打っている電車の中で姿勢を正してみた。













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