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「いわゆる大阪都構想」とかいうメディアの選挙情報テロ

偏見混じりの愚痴を言うので、これは正直気分のいい話じゃない。

大阪都構想では大阪市民がNOという結論を出したものの、まだ中京都構想新潟州構想という可能性が残っているので、愛知や新潟に住んでいる人にとって、大阪都構想の選挙はリアルに対岸の火事だと笑ってはいられない状況にある。

今回は大阪都構想について行われたメディアの露骨な選挙情報テロについて書こうと思う。自分を含めた大阪市民以外の人には余り関心がないだろうけれども、大阪都構想と呼ばれている選挙には「大阪市廃止・ 特別区設置住民投票」という正式名称がある。初めて自分がこれを見た時「大阪市が自殺するかどうか自分で決めんの?」と、ある種の狂気を感じた。

ここ数週間、自分がメディアの報道や報道バラエティで耳にしたのはこの正式名称の方ではなく「いわゆる大阪都構想」ばかりだった(何がいわゆるんだよ、いわゆらねぇよ)。もうこの呼称を何度聞いたか分からない。それ以上に「大阪市廃止」という目玉になっている文言を伏せる理由が分からない。この何とも言えないボカした呼び方を連呼しまくられたせいで、大阪都構想の方がもはや正しい呼称だとメディアに刷り込まれ、投票所に行って「大阪市廃止」を初めて知った人がもしかしたらいるかもしれない(投票権に書いてあるはずだから気づくとは思うけど)。

心理学の分野では誤った情報でもそれを何度も聞かされると本当の情報だと錯覚してしまうことを「真理の錯誤効果」と言うそうだ。簡単に言えば「嘘も100回言えば真実になる」という感じのものだ。個人的には、この「大阪都構想」連呼はメディアが意図的にこの効果を使って仕掛けてきた選挙情報テロだなという印象を受けた。

メディアが選挙情報の隠蔽や歪曲をして不公平・不公正なものにしているのはなにも大阪都構想にはじまったことではない。最近では都知事選2020もそうだった。出馬した候補者が20名以上いたのに、メディアが時間を割いて取り上げたのは主要5候補で、他の候補者はあたかも存在しないような扱いを受けていた。「一票の格差」は問題視されるのに「一候補者の報道格差」は何ら問題がなく、これでも公平な選挙が行われているとメディアは考えているらしい。察するに、”公平である必要はないが、少なくとも公平感は与えねばならない” と言ったところか。

大阪都構想の報道ではメディアは賛成派を中心に取り上げていた。ということは、メディアは大阪市が廃止されることを望んでいて、その実現のために「大阪市廃止」という文言を意図的に伏せているのだと自分は捉えていた。選挙が行われる毎に「我々が賛成する側に投票せよ」、「我々が選んだ候補者に投票せよ」とメディアが暗に市民や国民を扇動しているところを現在進行形で見せつけられれば、メディアは選挙(民主主義)や政治機能を麻痺させようと考えているとしか言いようがない。つまり、どの政党やどの立候補者が何を言っているかの賛否を議論する以前の問題が選挙期間中でも、また選挙期間外でも存在しているわけだ。

選挙においてメディアがしなければいけない役割は、問題の背景がどこにあって、推進案が実現したら問題がどう解決されるのか?何がどう変わるのか?のメリット・デメリットを包み隠さず周知することだ。しかし、現在メディアはその機能を全く果たしていないどころか、賛成・反対について加担する側ばかりをフォーカスして投票の判断材料となる大事な情報を意図的にカットしている。この例が全てではないのだけれども、世界報道自由度ランキングで「顕著な問題」に日本がカテゴライズされているのも大いに納得がいく。

なので現在は、そういうことをやっているメディアが加工した情報だけ見るのではなくて、生の情報が瞬時に伝わるネットの情報とを見比べて判断せざるを得ない状況に陥っている。メディアがほしいままに歴史をスタジオで作りだそうとしている危険な時代になったものの、発達したネットのおかげでこの情報テロに立ち向かうことができるのは市民・国民にとって不幸中の幸いだろう。知らんけど。

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