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公務員から政治家を目指して

昨年2022年の3月末で19年間勤めた貝塚市役所を退職しました。公務員の仕事が好きで天職と思って勤めてきました。過去編でもうだうだ書きましたが2011年にカイゼン全国大会に参加したことを皮切りに、ネットワークサミット、公務員オンラインサロン、よんなな会、せんたま、オンライン市役所と勉強会や自己研鑽を通じて、47全都道府県1000人を超える人たちと繋がりを持ち励んで参りました。

それもひとえに、貝塚市を良くしていきたい。沢山の先進事例や新しい考え方に触れて、それを自分の市に持ち帰り市民のかたに還元していきたい。その一心でやってきました。新しいことを知ること、沢山の人と出会うこと、それが純粋に楽しいというのももちろんありました。

道路灯LED化事業の時も、恋するフォーチュンクッキーや心のプラカードの動画を作った時も、子ども家庭総合支援拠点立ち上げ事業の時も、今までの繋がりに沢山助けられ、また積んできた研鑽のおかげで中々のモノが創れたと自分でも思います。

しかし!だがしかし!!やればやるほど貝塚市と元気な市との違いを痛感する日々。同じ大阪の中でも和泉や泉佐野に比べて人口の落ち込み(特に20~40代の社会減)が激しい貝塚市。同じ泉州地域の中でも差があるということは、これは立地だけの問題じゃない。市役所にあるムリ・ムダ・ムラ、積極的に新しいことに挑戦することに二の足を踏んでしまう風土。根強くある事なかれ主義などが影響しているのではないかと考えました。

職員のままでは、それを変えていく事はできないかもしれない。新たなやり方や可能性に挑戦してみたい。そんな想いを抱くようになりました。

もちろん、公務員として定年退職まで勤める、引き続き勉強会やネットワークを駆使して内外の関係をより広く強固に、地道だけど着実にそして貝塚市に新しい風を吹き込む。それでも良かったのかもしれません。最初は政治への憧れはあるものの、子どもも小さいし、いつかやってみれたらいいなあと言った程度でした。しかし、2021年5月にあんなに元気だった父がコロナで急逝。人生の有限と儚さを痛感しました。いつかやってみたい、その「いつか」は本当に自分に来るのか?そんなことを考えるようになりました。

公務員の仕事は好きだし、市民のかたの「ありがとう」を直にもらえる基礎自治体の仕事は天職であるとさえ感じていました。でも、このまま定年まで勤めた時に「あの時ならチャレンジできたのでは?」と感じるかもしれない。たまたま牛尾府議とのつながりもあって、たまたま拓けた政治の世界への道。この縁を逃してしまうとこんなチャンスは多分もう巡って来ない。チャンスの女神は前髪しかないって言う。女神が通り過ぎるその一瞬にえい!って捕まえに行くしかない。結果なんて今はまだ分からない。でも、やってみないと始まらない。そう、昔々から言ってた「馬券は買わな当たらへん」ってやつ。やってみてアカンならアカンで仕方ない、やらずに後悔するよりもいいと腹をくくって、政治の世界を志すことに決めました。

自分の経験は必ず貝塚市に役立てることが出来る!そう信じて頑張っていこうと思います。

「自分を見くびるな」そんな言葉をいただいたことがあります。自分なんて・・・だって自分は・・・とかく日本人は自分を卑下しがちです。けれど、自分が自分の可能性を信じなくてどうするよ!自分の可能性を信じてやってみる!一度しかない人生、楽しく笑ってワクワクしながら、自分のしたいことを。そしてそれが世の為人の為になったら最高やん!そんな未来を夢見ています。

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