私も映画の「原作者」という立場になったことがある。
今週は、漫画家・芦原妃名子さんが亡くなられたニュースがSNSを騒がせていました。彼女の作品である『セクシー田中さん』が日本テレビ系連続ドラマとして映像化されたものの、原作者である芦原さんが納得のいかない形で脚本が進められ、トラブルになっていることが伝えられていました。
詳しい経緯などについてはこちらの記事を参照していただくのがいいかもしれません。
私は今回の件における当事者でもありませんし、芦原さんと親交があったわけでもありません。なので、個別の問題としてこの件について語れることは何もないのですが、それでも今回のニュースを“他人事”としては受け流せない自分がいました。
というのも、じつは私自身も「原作者」という立場で、自身の作品が映像化された経験があるのです。
私は2007〜2010年まで杉並区の公立小学校で教員をしていました。退職後、この貴重な経験を広く伝えたいとの思いから、『だいじょうぶ3組』という小説を書いたのですが、これが東宝の映画プロデューサーの目に止まり、「ぜひとも映画化させてほしい」というオファーをいただいたのです。
そしてオファーをいただいてから約2年後に、映画『だいじょうぶ3組』が公開されることになったのですが、そこに至るまでの経緯で、“原作者”である私がどんなことを感じていたのか、忖度なしにリアルなところをお話ししようと思います。
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