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Around The Lives By The Sea #2

 まずはM1の「The End Of The Days feat. 唾奇」のことから。

ラップミュージックへの興味と憧憬

 ラップミュージックへの興味は、かなり前からありました。未整理なかたちではなりますが、「新世紀のラブソング」にはそうした僕の趣味が表出していますよね。当時の音源だと語尾がかなりルーズですけれど。

 The StreetsKanye Westといった、自分の琴線に強く触れる音楽とビート文学(ケルアックやギンズバーグなど)からの影響が混じり合って、詩の朗読と歌唱の間のような表現に僕は向かって行きました。

 端的に、ゼロ年代の後半、僕は「これからは言葉の時代だ」と思っていたんです。ラップという手法で実現できる情報量にどうやって立ち向かうのかを考えないと(ラップと同程度の文字数にするのか、あるいはメロディをさらに磨くのか、etc.)、この先、表現として生き残ることが厳しくなるんじゃないかと思っていました。

 ふたつの楽曲を聞けばわかりますが、これだけの言葉数を音楽の上で実現できるうえに、世界中に広がるくらいのキャッチーさを持っているわけです。こういう音楽の横に並ぶ覚悟がないと、残っていくのは厳しいだろうなという危機感と、ひとりの表現者として「格好いい、俺もやってみたい!」という無邪気な願望を僕は持つようになりました。

 KREVAの『心臓』というアルバムにも刺激を受けました。メロディセンスの優れたラッパーもどんどん出てくるわけです。その上、バンドに比べてトラックメイキングの自由度も高い。当時、KREVAには日本のHIP HOPの音源を教えてもらったりしました。

アジカンからソロへ

新世紀のラブソング」が収録されている『マジックディスク』は、インディ・ロック的なサウンドメイキングだったり、DAWを使ってデモ音源を完パケに近いかたちまで独りで作り込んだりと、アジカンからソロへと分裂していく音楽性が形作られていったアルバムだと僕は思っています。正直に言えば、脱退や解散に向けて気持ちが揺れ動いた時期でもありました。

 そういう頃に、震災がありました。

 詳細はここでは省きますが、タフな時代を生き延びながら、アジカンへの情熱や愛が息を吹き返しました。バンドの力や魅力も再確認しました。活動を音楽の外へ広げたことで、自分のあゆみを俯瞰して捉え直すことができたというか。学びの多い、とても貴重な体験をしたと思います。

 一方で、震災後に作った『ランドマーク』というアルバムのツアーをしながら、自分の音楽性のすべてをアジカンというバンドのなかだけに収めるのは難しいことも、感じました。

 ざっくり、そんなギャップを健康的に消化すべく、僕のソロは始まりました。ラップとインディロックの融合という意味では、BECKが手本のひとつだったと思います。

 PUNPEE君のRemixもありましたね。彼からの影響も大きいです。一時期はDJ的にメールでおすすめ音源を教えてもらっていました。

The End Of The Daysの制作について

 さて、ようやくThe End Of The Daysの話です。

 楽曲制作のとっかかりにはいろいろな形がありますが、この曲はまず、エレピを弾きながら原曲を作り、それに合わせてProtoolsでビートを組みました。ホーンのアレンジもこの段階で詰めました。

 ドラムのパターンはCommonの「The Light」がレファレンスになっています。僕が打ち込んだドラムのビートをSkillkillsのスグル君に渡して、組み直してもらいました。サンプリングによるヨレやブレイクが足されることで、この曲の音楽的な土台(90's Hip Hop的な)がカチっと固まりました。ドライなデモのループに人間味や人懐っこさみたいなものが絶妙に加わった、流石のアレンジだと思います。

 作業のときにスグル君と話したのは、「The Light」制作時のCommonBobby Caldwellのエピソードでした。記事に書かれている「ソウルに色は関係ない」というCommonの言葉は、ラップミュージックへの越境を試みる自分にとって、大変に心強いものでした。

 ラッパーの唾奇君の存在は何年か前から知っていて、アジカンの沖縄公演のフロントアクトとして出演してもらったことがきっかけで知り合いました。「The End Of The Days」は作曲の段階からラッパーに参加してもらうことを構想していて、思いついたのが唾奇君でした。

 スグル君がサンプリングする前のデモを送たところ、ほとんど即答のようなかたちで快諾してくれて、その一週間後くらいにはヴァースのラップを送ってもらったと記憶しています。リリックに対するイメージも、僕からはほとんど伝えた憶えがないんですが、サウンドと僕の歌詞から感じたことをリリックにまとめてくれました。

 送られてきたラップのテイクはピッチもタイミングもばっちりで、僕がした処理はリップノイズの除去くらいです。返答(返歌というべきかな)の速度もすごいですが、クオリティにも驚きました。「君のためじゃないぜ」と歌う僕のヴァースに対して、「君のためだよ」と切り返すところが格好いいし、面白いですよね。

 リリックとフロウ、声も含めた自分の印だけで突き抜けなければいけないという意味では、バンドよりもラッパーのほうがタフな勝負を勝ち抜いてきているとも言えます。例えばバンドメンバー4人の個性の掛け合わせにはいろいろな式があるけれど、ラッパーは使いまわされるビートの上でも、たったひとりで違いを見せないといけないですよね。

 古今東西、素晴らしいラッパーが次から次へと世に出続けているなか、それでも違いを見せ続けている唾奇君やBASIさん、JJJ君は本当に素晴らしいと感じます。そして、誰にも似ていないことの大切さと難しさを思い知ります。

アレンジと表敬訪問

 ラップが乗ってからは、スグル君によるビートのエディットを経て、Yasei Collectiveの道君にベースラインをブラッシュアップしてもらいました。エレピがベースライン的なところを既に鳴らしているので、ベースのアレンジは最後まで難しかったところです。

 Turntable Filmsの井上君にはアルバム全体のいろいろな相談に乗ってもらいつつ、この曲ではシンセとギターを弾いてもらいました。ブリッジ裏で動いているピコピコした音も実はギターです。シンセには要所で幕のような音を薄く重ねてもらっています。

 ギターのアイデアは何パターンか井上君と考えて、唾奇君とDMでやりとりをしながら詰めていきました。最終的には僕が考えたシンプルなフレーズに着地。重ねモノの雰囲気はDE LA SOULの「eye know」のようなテイストを念頭に置きながら録音しました。口笛は自分で吹いてから、サンプル素材をシンセで重ねてあります。

 DE LA SOULは19歳のときに深夜の洋楽番組で知りました。僕はTeenage Fanclubというグラスゴーのバンドのファンなのですが、深夜に彼らとのコラボレーションのビデオを観て、衝撃を受けたのを覚えています。自分のアルバムでラップをするなら、そのまんまにならない形で表敬訪問をしたいなと思っていました。

The End Of The Days」は「ある期間」としての「日々の終わり」みたいな意味ですね。ひどく落ち込んで塞ぎこんでいた日々の鬱屈を脱ぎ捨てて、少しずつ回復していくような、その過程も終えて新しい日々を始まりを歌うような、それぞれの生活を讃えるような、そんなイメージです。

 アルバムの冒頭にふさわしい曲かなと思っています。

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