詩人論ー日本の詩人、四人「宮沢賢治、中原中也、伊東静雄、石川啄木」ー

詩人論ー日本の詩人、四人「宮沢賢治、中原中也、伊東静雄、石川啄木」ー

序説で述べた様に、日本の詩人、四人について論じようと思う。宮沢賢治、中原中也、伊東静雄、石川啄木、の四人である。主観的印象批評になると思うが、主に、構造論、方法論について述べようと思う。

㈡「宮沢賢治」

宮沢賢治は、岩手県の生まれである。恐らくは、その自然環境に、随分と影響を受けているはずだ。有名な、「雨ニモマケズ」は、その自然との共生と闘争を感じさせるものである。詩ではなく、メモらしいが、それでも、宮沢賢治を象徴するには、充分に厳かな名文である。日蓮宗徒であり、詩集の中の詩には、その宗教性が強く感じられ、少し宗教用語に専門的でないと判然としないような箇所も多くみられるが、素直に、詩としても成立している。構造は、その自然環境と日蓮宗の宗教語で、成り立っており、方法論は、それらに対峙した、宮沢賢治の生き方の反映を軸にしていると言えそうだ。宮沢賢治は、死後評価である。生前は2冊しか出版していない。それでも、発掘され、日本文学史に名を刻んだ功績は大きい。

㈢「中原中也」

中原中也は、30歳で死去している。にも拘らず、多くの上質な詩を残している。憂いの有る写真で有名だが、詩においては、余り難解な言葉は使われておらず、読み易いと言える。しかし、独特の音が特徴的で、「サーカス」などは、日本の文学史上の詩の中でも、極端に異質な言葉運びが選ばれている。また、詩、ではあるにしても、少し文語調であり、どんどん言葉を延ばせば、構造的には散文詩になりそうなくらいの、物語性を持った詩でもあると言えよう。また、その早くに死を迎えた人生から、天才、とも認識されており、多分に、その詩性は、アプリオリな感じを強く受ける。ただ、中原中也なくしては、日本の詩は語れない、という状況も、現状としてはあると思われ、最重要の人物だと言える。

㈣「伊東静雄」

伊東静雄は、世間的には余り知られていない詩人の様に思われる。ただ、教科書でも一度は目にしているであろう、「わがひとに与ふる哀歌」の出来映えは、日本文学の詩においても、トップクラスの出来映えである。この詩は、その純粋で美的な内容もさることながら、構造的にも方法論的にも、非常に高度で難しいことを遣っていることは確かで、批評家たちも、論じるに当たり、四苦八苦して来た詩である。主体や客体の、言葉の問題など、様々に述べられているが、未だに、これが正当だ、と思えるような論を読んだことがない。それ故、敬遠されがちでもあるが、少なくとも、読んでいて、述べたような、純粋で美的な詩、ということは痛切に伝わって来る。萩原朔太郎が、絶賛した、という話は有名である。「わがひとに与ふる哀歌」は、伊東静雄の中でも、こう言った点で、突出しているとも言えると思われる。

㈤「石川啄木」

石川啄木は、中原中也に似て、早死にしているが、中原中也が天才なら、石川啄木は、神童だとされている。「一握の砂」などを読んでいると、その言葉の選択のセンスが、狂人的な感じを受ける。短歌や俳句というものにも似通った詩であり、まさしく、詩の中の詩、という感じである。この狂人的な感じの詩作によって、無理をし過ぎたのではないか、と思われるくらいの、言葉の精度、テンポの良さ、それらは、構造論や方法論を超えた、全き詩であり、論者をなかなか寄せ付けないくらいの、美に傾斜していると言えると思う。難解な言葉も使われているし、日本の、アルチュール・ランボー、とでも言えば、一番適切かと思われる。岩手県生まれで、やはり自然との協和性があるようにも感じられ、日本文学史上において、屈指の詩人である。

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