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ホームドアから離れてください 4┃北川樹

「これって、あれじゃん」僕は驚いていった。前の週の授業で折り紙をやったときに、彼は金色の折り紙をどうしても譲ってくれなかったのだ。理由を訊いても、だめなものはだめとしかいわなかった。

「あげる」彼はぐいっと手裏剣を突き出してきた。

どうして、くれる気になったんだろう。そんな疑問が浮かんだけれど訊かないでおくことにした。その代わりにおとなしく手裏剣を受け取り、ありがとうといった。彼にちゃんとお礼をいうのは、もしかしたら初めてかもしれなかった。

じゃあまたね。彼はそういって道を明け渡した。僕は太陽の残り火を折り紙に映して眺めてから、彼のほうを向いて「またな!」といった。またという言葉がだいじなんだと思った。

懐かしい手裏剣だった。僕はあれから六年ほど経ってなお、こんどは蛍光灯の光を反射させている。運動は苦手だったがこういうのは上手なやつだった。角がきちっと折ってあって、しわひとつない。

彼は結局、転校したらいちども遊びに来なかった。僕も行かなかった。引っ越してどのへんに住むのか詳しく訊きそびれたし、二年生になって、新しいクラスになじむのに忙しかった。オザワとまた同じクラスになったおかげで、友達づくりには困らなかったけれど。

手裏剣と、僕と彼がジャングルジムの上で肩を組んでいる写真を並べ、箪笥の上に飾った。父が撮ってくれた思い出だ。ジャングルジムの写真は、写真立てにもともと入っていた写真の上に重ねた。手裏剣は写真立ての横にもたれかけるように置いた。

ブリキの箱に残りの写真を入れ、箱を片づけた。きょうのオンコチシンは終わりにする。まだ外は明るく、一日は残っているけど、あとは本を読んで時間を潰そう。

お気に入りの、逃げつづける少年たちの小説。どこまで読んだかわからなくなってから、もういちど読みなおしている。

3

中学に行くのをやめてひと月が経ったころ、僕はタキノを捨てた。毎日のようにタキノに連絡が来ていた。そのほとんどが柔道部のひとたちからだった。

柔道部が一か月の活動停止になったのを、あのひとたちは僕たち―僕とコウキのせいにしたがっていた。そんな理不尽な話があるか、と思ったし、いまでも思っている。けれど、あのころは、めちゃくちゃだった。いまよりもっと。

「あなたたちが素人のくせに入部してこなかったら、そもそもこんなことにはなっていなかったと思います」

ていねいだがひとを食ったような文章が、一日二、三通は送られてきた。それぞれ別の相手だったが、画面の向こう側に毎回同じメンバーがいやらしく笑っているのが目に浮かんだ。

タキノが光り、「あなたはなにか行動しないんですか。高いところは嫌いですか」という。

「これで次の試合勝てなかったら、どう責任をとるおつもりですか」ともいう。
「ほんと、一回ちゃんと謝ってもらえますかね。腹の虫が治まらんのですわ」

「貴重な練習時間をたくさんむだにされたうえに、こんなことになってしまうと、そちらにも誠意を見せてもらわないとって思うんですよ」

「お互いのためにも、話しあいの場を設けましょう。こんどの日曜の夜十時に、武道場に来てください。土手のほうから行けば、セキュリティに引っかからないで入れます。ああ、裸で来るのを忘れないように」

「返事がないところを見ると、反省のあまりなにもできなくなっているか、それとも、やはりもうお亡くなりですか。お飛び降りになりましたか」

そういったメッセージを送ってくるひとたちを、僕はひとりひとり受信拒否していった。それなのに、また別のひと、また別のひと、と一向に終わる気配がない。いったい何台のタキノが控えているんだろう、と怖くなった。

返事こそしなかったが、僕は彼らの文章をしっかり読んだ。どう考えても悪手だったけれど、そこにあるのに見ないでいることはできなかった。それでだんだんほんとうに自分がとても悪いことをしたのかもしれないと錯覚した。

「納得がいかないんです」あるメッセージはいった。「どうして、入部なんかしたんですか。われわれの青春を台なしにするためなんですか。教えてください」―返事をしたい、誤解を解きたい、そういう衝動に駆られたが、体のどこかがすんでのところでそれを食い止めた。僕は部屋の隅に畳んで重ねてあるふとんめがけてタキノを投げつけ、「あっ、おっ」と短く声を出して気を落ち着けた。

ほかにも定期的にメールを送ってよこすひとがいた。クラスの担任だったニッタ先生だ。母が勝手に僕のタキノのアドレスを教えてしまったのだ。僕が中学に行くのをやめたのは一年生の二月のことで、ニッタ先生は担任だった。

彼女のことを僕は少しも信用していなかったし、あまりに頼りない新米教師だと思っていた。見た目だけはよく、男女ともに人気があった。丸くて大きな目と小さな鼻がいかにも小動物的でかわいらしく、ショートにした髪がよく似合った。彼女の天然ボケした言動も、小動物的な雰囲気に拍車をかけていた。

教える科目は英語だったが、よくつづりをまちがえた。勉強のできる生徒に指摘され、決まり悪そうに「あっごめんなさい」といった。

彼女は三日にいちど、最近こんなことがあって大変でした、あるいは楽しかったです、あるいは気をつけなくちゃいけませんね、わたしもがんばります、それから、学校に来られるようになったら教えてくださいね、と送ってきた。

「学校には行きません」

僕はそれだけを返信した。すると「どうして?」と尋ねてきた。そんなことをしてしまうのがこの先生のもっとも未熟なところだった。だから僕はそれには返事をせず、タキノをまたふとんに投げた。

ニッタ先生は懲りなかった。相変わらず三日にいちど、メールを送りつけた。必ず最後には学校に来てねというような言葉が添えられていた。家庭訪問に来ることもあったが、僕は決して部屋から出なかった。

最初は、僕が退屈するだろうからとメールをくれているのだと思った。ニッタ先生の文面はちっともおもしろくなかったが、家のなか以外の景色が見えるので、悪くはなかった。ちょっとは信用してあげてもいいかもしれないとすら考えた。ただし、末尾の言葉がなければだ。

学校には、まだ来られなそう?
学校に来たら、もっと楽しいんじゃないかな。
みんなも待っているよ。
学校に来ないと、ダイスケくんのためにならないと思うの。
ダイスケくんが学校に来るの、楽しみにしています。

 ―もうだめだった。ニッタ先生からタキノにメールが届くたびに吐き気をもよおすようになった。胃がむかむかして、腹に溜まっていた空気のかたまりが勢いよくのどまでせり上がってくる。それで、僕は母のところに行って、「タキノは、もう要らないと思う」といったのだ。

そのころにはタキノは投げられすぎてぼろぼろになっていた。画面にはひびが何本も入っていたし、ボディ部分のめっきはまだらに剥げ落ちていた。コントロールをしくじって壁に当てたりするからだ。そのせいでタキノと同じように壁にもへこみや傷がいくつかあった。

母はソファにもたれて、録画したバラエティ番組を観ていた。僕の申し出にこちらを向き、一瞬だけ怪訝な顔をした。しかし、すぐに顔の向きをもとに戻して「ああ、そうね」とうなずくと、「それじゃあ、あしたにでも解約に行こうかねえ」とコーヒーに口をつける。

「解約、おれも行かなきゃいけない?」ソファの後ろに立っていた僕は心配になって訊いた。母は少し考えて、「ううん、大丈夫」と答えた。

タキノを母に預ける前にどうしてももういちどだけ見ておきたいものがあって、僕はメールの画面を開く。

コウキから最後に届いたメールだ。

一年生の二月の初め、真夜中、一時十六分。

無題。

本文はたったの四文字、

ごめん。

     *  *  *(次回は近日公開予定)*  *  *

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