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日曜の世界旅行

幼い頃、自営業の我が家は日曜朝が唯一ゆっくりできる時間だった。

朝から夜遅くまで忙しそうに働く両親を見て、大人は寝なくても生きていけるんだとう思ったこともあった。

サラリーマン家庭の友達は、休みとなるとあちこち連れて行ってもらうらしく、月曜日の週末は何をしたかを発表する場で、○○へドライブに行った、○○遊園地に行ったなど、我が家では考えられないようなレジャーを鼻高々に発表していた。

我が家では、なかなかゆっくり休めないウィークデイの疲れを日曜の朝寝坊で解消しようと、目が覚めても大騒ぎをせず、家族全員でのんびり起きるのが常だった。

そのため、日曜午前中は少し早く起きたとしてもテレビを見て過ごすため、

兼高かおる世界の旅や題名のない音楽会に小さなころから親しんでいた。

特に、兼高かおるさんの世界の旅は私に広く見たこともない世界を教えてくれた。

アメリカやイギリスだけでなく、まったく国名を知らないアジアやアフリカ、もっと多くの国を見せてくれた。

目が大きく美しい女性、どこに行っても臆することなく、かと言って凛とした美しさを放つ女性は私の憧れでもあった。


人種、肌の色、異なる言語、異なる思想...

世の中には、今見えているこの小さな場所だけではない、多くの考えや食べ物、言葉、見たことのない世界が広がっている

例えこの場所が息苦しくても、気の合う人がいなかったとしても、もっと広い場所がある

そんなことを教えてくれた。

先進国が偉い、尊敬できる のではなく、人、土地、国それぞれに良さがある。狭い場所で優劣をつけて喜んでいるのではなく、知らない場所を、知らない考えを吸収したい、そう思わせてくれた。

大きくなるにつれてだんだんと家族揃って見ることは少なくなり、いつしかその習慣もなくなった。

それでも、小さなころに刷り込まれた世界への憧れや希望は消えていない。

彼女が公平な視点で好奇心を持って世界中の国を旅行していた姿は、私の心に残っている。


兼高さん、今は天からどこへ行こうかと行き先を探しているのでしょうか。






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