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目覚めている人。素敵な言葉。〜#2 坂口恭平さん

こんにちわ、karo.です。

この「目覚めている人。素敵な言葉。」マガジンを作って、ちょっと時間が空いてしまいましたが、私の中では、次にご紹介したいのは絶対この人、坂口恭平さんだと思っていました。

私が坂口恭平さんの存在を知ったのは、2012年。古くからの友人が原宿でIKI-BAというお店をオープンした時に、その敷地内に坂口恭平さんの「0円ハウス」が置いてあったのです。「彼は『独立国家のつくり方』という本も出していて、すごく面白いよ。」といろいろ教えてもらいました。ですが、まだ感度が低かった頃の私としてはその時はまだ、へぇ〜〜面白そうなアーティストの子が出てきたんだな〜。という感じでした。

そのあと時間が空きますが2016年頃、当時の私はちょうど、時間について、不思議な違和感を持ちはじめていた時期でした。どうも時計で見ている時間と体感している時間は違う。時間の流れが昔よりずっとスピードアップしているように感じるし、1分がすごく長く感じたり、1時間があっという間だったりするし、多分、時間は伸び縮みしているよね?と、この不思議な感覚についてずっと考えていた頃でした。ですが、周囲にそれを話しても「歳をとったからじゃない?」という返事が大半で、この頃に坂口恭平さんの『現実脱出論』という本と出会ったのですが、もう「わわわわ〜〜っ!」という出会いでした。(←言葉にならない(笑)この本にも「時間は伸縮している。」と書かれている!!自分で抱えていた不思議な感覚について、それを昔から同じように感じている人がいるのを見つけて、当時とてもうれしかったのです。

今日はこの現実脱出論からの文章をいくつか掲載させていただきますが、正直言って、この本、部分で切り取るのが難しくて、まるごと読んでもらいたい!という気持ちなのです。

私もこの記事を書くために、ここ数日、読み返していましたが、改めて読んで、また「わぁ〜〜...」という気持ちになったのです。当時の私では見えていなかったコトが、たくさんあったと気がつきました。そしてまさに今の私に改めて必要な内容だったのだと思いました。

彼は、私たちがこれまで3次元の世界で観ていた「現実」を、「現実さん」と呼んで、切り離して観るコトで、うまくおつきあいしていくという方法を書いてくれています。生きるというのは、「現実」から逃避するのではなく、「現実」という空間の中で、個である生物としての自分、つまりは本来の自分を思い出し、その「空間」を創ることが重要であるということ。この空間認知としての捉え方が秀逸です。スピリチュアルというと、私もうっかりするとそうですが、「現実」からつい解離してしまって意識の世界に入り込みすぎてしまうことがありますよね。それをどうコントロールするか、というか「現実」というものをどう認識してつきあっていくのか、ということのヒントになると思いました。

そして、もはや目覚めるとかスピリチュアル云々ではない。ということを改めて実感しています。...と、前置きが長くなってしまってすみませんが、ここからは、どうぞゆっくり味わって(笑)、お楽しみください。


まずは、現実に自分の体を合わせるのではなく、自分自身の思考をちゃんと中心におくことだ。現実という他者に合わせて生きるのではなく、自分が捉えている世界を第一に見据えよう。
僕たちが陥りがちな「現実と言う唯一無二の世界に生きている」と言う誤解は、一人ひとりが持っている独自の知覚をどんどん破壊しているような気がする。それは自然破壊とも似ている。
現実は1つの生命体
現実は集団が形成されるときにうまくコミュニケーションが行えるようにと、細部に少しずつ意図的な補正が施された仮想の空間である。現実はリアルではなくバーチャルなのだ。だから、いたる所に矛盾が溢れている。
(中略)
混沌とした無数の知覚や空間が存在している複雑な世界を、単純化することによって現実は生まれた。
だから現実は最初から歪んでいる。それに合わせようとすると、必ず人の思考も歪んでしまう。
そのために現実を脱出する必要があるのだ。
(中略)元々、ヒト科のヒト亜科に属する動物であった「ヒト」は、それぞれに固有の空間を持ちながら生きていた。そこでは今よりも複雑な意思疎通が、言葉だけでなく様々な知覚、見えない感覚などによって直接的に行われていた。しかし、群が大きくなるにつれて、そのような1対1の複雑なコミュニケーションは難しくなってくる。そこで、群全体が理解できるような知覚だけが重視され、それ以外の個々が持っている独自の感覚を削除されていった。こうしてできたのが現実である。
(中略)今僕たちが接している現実は、変化することを拒む、少し頑固なおじいちゃんのようなものに思える。現実も僕たち人間と同じく意識を持っている。だからこそ、勘違いもするし、それにより思考も発生する。つまり、現実は無機質なものではなく、1つの生命体なのだ。このように現実を空間ではなく他者として捉える。現実の他者化。これが僕の言うところの現実脱出のための方法論である。
僕はこう思う。言語が生まれる前に、まずは集団が言葉なしでも意思疎通できるような空間が存在していたはずだ、と。
目には見えないその空間が共有されていないと、言葉は生まれてこないはずだ。人間は言葉よりも先に、空間で対話をしている。
それぞれの方言のような空間知覚によって。
見えないものによって。
音にも色にも絵にも表せないような知覚によって。
人間は、現実という世界だけでは自由であると感じることができない。現実が仮想空間であることなんて、もともとわかっている。だから、現実を脱出すること(=思考)は、誰もが当然のようにやってきたことなのだ、と。
つまり、思考とは「考える」と言う行為ではなく、もともとそれぞれの人が持っている「現実と対置された空間」のことではないのか。
僕はそんな仮説を立ててみた。
思考とは、人間がその営巣本能によって内側に形成した「巣」なのだ、と。
現実とは「集団における空間」であり、あくまでも個人の空間は「思考」そのものなのである。個人にとっては、自分自身の体の中に形成された自家製の「思考という巣」こそが実体のある空間であり、現実という空間は個人にとって「錯覚」に過ぎない。



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ちなみに、最後に余談です。2017年に坂口恭平さんの個展をやっているのを偶然みつけて観に行ったのですが、すごくよかった。坂口さんは最近はパステル画を描かれていますよね。SNSなどで作品を観ていましたが、それはこのドローイングとはまた違って、描かれている風景の光の美しさにもう本当に、ため息...。なのですが、私はこの時のドローイングもとても好きなのです。展示では大量にドローイングが山積みされて置いてあって、そんな展示の仕方も観たことなかった(笑)のですが、「購入希望の方は自分で値段をつけてください。」と書いてあるのです(笑)。あまりに良すぎで何時間も観て、吟味して、結局3枚も作品を購入して画集も買ってしまったのですが(笑)。アトリエの壁にかけている彼の作品を見るといつも、部屋全体を優しく朗らかにしてくれていて、この空間に居ると、なぜか清々しく元気な気持ちになるような感じがしていてます。

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と...、完全にただの坂口恭平ファンみたくなってしまっていますが(笑)、坂口恭平さんが、どんどん進化している現在も、とても注目しています。


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