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歌川正国(五井野正)画「7本の向日葵」の展示開始!

この度、縁あって尊敬する五井野博士(雅号:歌川正国)が描かれた30号の「7本の向日葵」をロビーに展示することとなりました。
また、駒ヶ根高原リトリート すずらん颯の開業からちょうど3周年(2020年6月営業開始)という節目でもあり、「7本の向日葵」の展示開始とともにブログを始めることとしました。
すずらん颯や私達の日常や普段考えていることなどを書いていきますので、皆さん気楽に読んで頂けたら幸いです。

私達家族は2017年に信州へ移住して参りました。
憧れだった信州移住の夢が叶ったのはひとえに五井野博士のご指導の賜物です。
博士が逝去され6年近くになりますが、博士の誕生月の6月に、博士の側にいた友人の協力を得て、博士の作品「7本の向日葵」を弊社のロビーに展示出来ることは、経営者の私としては感無量なのです。

友人曰く、「『7本の向日葵』はゴッホの『6本の向日葵』をモチーフにしている。
『6本の向日葵』は通称『芦屋の向日葵』と呼ばれ、白樺派のたっての願いで日本人が買い上げたが、戦災で焼失してしまった。
その『6本の向日葵』を復刻したのが博士の油絵の始まり。」だそうです。
「6本の向日葵」は1888年8月南仏アルルで製作されたと言われています。
「『6本の向日葵』は真贋が疑問視されているが、人物を花に見立てたゴッホの手法と意味は合う。」
人物を花に見立てる「見立て」の技法をゴッホは浮世絵から学んだ。
そして、それらを友人は博士から学んだと言います。

「7本の向日葵」を制作中の五井野博士(雅号:歌川正国)

「花瓶の外の蕾はまだ画家として花開いていないゴッホ。
大輪の3本の向日葵は弟のテオ、友人で画家のベルナール、ゴーギャン。
種を持っているのは子を宿していたゴッホの妻シーン。花びらが落ちた向日葵は恋が終わってしまったケイ。
ゴッホは彼等を連れて彼岸(悲願?)である日本へ行きたかった。
その心情はゴッホのパリ時代以降のあらゆる絵に描かれている、例えば跳ね橋とかね。
僕はその一人に入りたかった。
だから7本の向日葵。
この絵が一番好き。」

「6本の向日葵」を制作中の五井野博士(雅号:歌川正国)
読売新聞で紹介された記事

浮世絵に運命を感じ、浮世絵と共に生きたゴッホ。
ゴッホにとって浮世絵の中の日本はどれほど理想世界であったろうか。
それは現代の私達が浮世絵を観ても同様に感じるでしょう。

私達家族がサラリーマンを辞め、関東の相模原から博士の住む信州へ移住する心情。
彼岸の日本に見立てた南仏アルルへ向かうゴッホの心情。
それはまさに同じであったと思うのです。
そして妻と子供3人、どんなことがあっても負けまいと決心しました。

その絵はすずらん颯のロビーに常設しています。
とてもエネルギーに溢れる絵です。
皆さんご覧になってください。


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