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僕らは何故ビットコインを信じるのか

NOT INVESTMENT ADVICE
投資助言ではありません。

先日、EE Times Japanに掲載された連載記事を読んだ。

ビットコインを全く知らない状態からビットコインについて調べ尽くし、やや批判的にまとめた記事だ。正直なところタイトルを読むだけで胸焼けがするくらいには数多く見てきたし、初見の印象は一体何番煎じだろうかというものだった。

しかしいざ目を通してみると、非常に力作だと感じた。筆者である江端智一氏は電機メーカーの研究員でありテクノロジーに対する造詣が深く、ビットコインに対するありがちで浅慮な誤解や批判に陥ることなく、ブロックチェーンという技術をよく理解した上で自分の言葉で真摯に否定を連ねている。
こんなものを読まされてしまうと発信したくなってしまうのが自分の性であり、触発されてまずはつらつらとツイートをした。当然記事も書こうと考えていた。

しかしツイートをしてしまうとある程度満足してしまい(悪い癖だ)、マーケットの方が盛り上がってきたこともあり記憶の片隅に消えてしまった。

しかし、またEE Japanにアクセスすると件の記事の第2回目の連載がアップロードされていた。早速目を通し、変わらない熱量に再び楽しませてもらうことができた。前回はブロックチェーン技術に比重が置かれていたが、今回の切り口は変わっており、貨幣史まで持ち出して「通貨」や「信用」の観点からビットコインを語っている。

文中に、以下のような記述があった。

 さて、ここからは、かなり本気のお願いなのですが ―― ツイートで、私のこのコラムに「勉強不足」とディスるメッセージを書き込む時間があるなら、私に「教育」を施してください。私は、自分が納得できる”論”や”証拠”に出会いさえすれば、”3秒”で自分の主張を180度引っくり返すことができるように作り上げられた研究員&エンジニアです。

 今回の調査では、私は見つけることができませんでしたが、ビットコインの「貨幣としての信用」について、肯定的で、ロジカルに説明された(×観念的、×思い込み、×希望的観測、×根拠のない未来、×エビデンスがない、×エビデンスにたどりつけない)書籍、論文、その他資料、あるいは自説(ただし”証拠”に基づく”論”として成立しているものに限る)があれば、ぜひ、私に紹介してください。連絡先はこちらをご利用ください→”blockchain_20201122@kobore.net”。

これを読んで再びムクムクと意欲が湧いてきてしまい、早速メールを書き始めた。しかし3割ほど書き上げた後、自分なんかよりよほどキャリアのある大先輩エンジニアにガッツリ長文を送りつけるのもなんだか気恥ずかしい気分になってしまった。一度こういう考えが脳をよぎると段々億劫になってしまうもので、これが江端氏と直接対面していればおそらく早口でまくしたてた後に家路で後悔するくらいで目的を達成できた可能性はあるが、メールの送信ボタンを押すことはとうとうかなわなかった。

結局、氏に直接連絡するのではなくブログ記事にすることにした。

当然記事のURLを送ることもするつもりはなく、ツイッターは見ていらっしゃるようなのでこの記事が上手く拡散されてくれればどこかで目にとまる機会があることを祈る、そんな消極的なメッセージ……いや、もはや特定の誰向けの文章でもないのでメッセージですらない。個人的な満足のための駄文と呼ぶのが適切だと思う。

ところで普段僕の記事をよく読んでくれている方はすぐ気がつくと思うけれど、今回は文体を変えている。どちらかというと僕にとってはこちらの方が自然で、普段のツイートの延長線上のように記事を書いている。いつもの僕の記事は(僕のアカウントに期待されているものに応えようとして)皆が興味がありそうな投資・トレードよりの内容を書いていることもあり、どちらかと言えば誰かに物事を伝えるための文体に修正されている。言葉選びもできるだけ平易になるように投稿前にわざわざ何度か推敲している。
今回はどちらかというと独白のようなものだと捉えてもらえればよく、まともに推敲もしない予定なので読み苦しいところもあると思うけれど、許して欲しい。


例によって前置きが長くなりすぎてしまったが、以下が自分の考え。


まずビットコインのマイニングと信用創造について。江端氏はこれを記事タイトルで「電力と計算資源を消費するだけ」と表現し、さらに文中ではこのように述べている。

 通貨の価値は「信用」という名前の共同幻想である ―― これは、このコラムを読んで頂いている方には自明なことだと思います。(簡単に言うと、「一万円札の製造原価は数十円」ということです)。数十円の紙に、1万円の価値を与えているのは、日本銀行という組織の「権威」です。

我々が日本円に感じている価値を「日本銀行の権威」から来ていると表現しているけれど、これはやや乱暴な表現であり、分かりやすい誤りだと感じた。

実際に価値を与えているのは法と、その法に基づいて暴力を行使できる司法・警察組織。日本銀行法第46条第2項の「強制通用力」によって国内での商活動に日本円を強制させ、「通貨偽造罪」によって日本円のコピーを取り締まり信用を維持する。早い話が「偽札を作ったり使ったりしたら捕まって牢にブチ込まれる」という刑法148条や152条と、銃を腰にぶら下げた警官こそが信用の源泉。「権威」という曖昧なものではない。

仮に誰しもが簡単にコピーして利用できるような状態にあれば、貨幣の信用は簡単に崩れ去ってしまう。もちろん紙幣には偽札防止技術が施されており、特に本邦における偽札防止技術は目を見張るものがある。しかしその真贋検証を行うのは所詮個人であって、老眼のお年寄りを騙すのは市販のコピー機でも容易い。つまり技術だけで複製を解決はできない。肝心要なのはやはり「法律」と「罰」だ。

我々国民は税金を支払って彼らを雇用し、組織を維持することでこの日本円システムをなんとか維持している。法の管理には適切なガバナンスが必要で、もちろんそちらにも権力の分散や相互監視の仕組みを導入している。決して安くないコストを支払い続けて。

江端氏は続けてこのように述べる。

 つまり貨幣経済における価値は、有体物としての「貨幣」ではなく、「信用」という正体不明の無体物によって支えられている訳です。ビットコインに至っては、もはや「貨幣」ですらありません。ただの「数字(”6.25”)」です。
 今回、私はいろいろな資料を読み倒して、ビットコインについて調べました。で、多くの資料で、その「仕組み(技術)」については理解できたのですが、私が、どうしても知りたかったことは、どうやってビットコインに「信用」を乗せることができるか/できたのか? という、その一点でした。
 ―― よく、こんな「数字」ごときに「信用」を化体させることができたものだなぁと、心の底から感心しています(あ、ちなみに現時点の私は、全然信用していませんけどね)。

信用が「権威」などというフワフワとしたものからもたらされると考えるから「正体不明の無体物」という表現になるのだろうし、こうして我々が10000と数字が印刷された紙が疑いなく「1万円」であると信じられる環境、つまり「複製できない数字」を用意するだけのことに莫大なリソースを惜しみなく注ぎ続けていることに着目できなかったがために「こんな数字ごときに」と感じてしまったのだと思う。
しかし我々がどうして日本円を無邪気に信用することができているのかについて考えてみれば、ビットコインの信用創造の仕組みを相対的に整理しやすくなるはず。

そこで改めてビットコインを考えると、まずは莫大な機材が生み出すハッシュパワーによる強固な複製耐性。透明性が高く、ビットコインが新規に採掘される様子は誰でも簡単に見ることが可能。
そして取引の検証活動(紙幣でいうところの偽札防止技術にあたる)は低コストで個人の手元デバイスで行え、取引相手から受け取った1BTCは間違いなく1BTCであると信じることができる。プログラムとコンピュータと電力によって信用創造の仕組みを成立させており、複製そのものが絶対にできないのだから警察も司法も必要なく、そこに大量の人間が従事する必要はない。

ということで、「ビットコインは資源の無駄」というありきたりな批判に対しては「日本円も大量の資源を食いつぶして維持してるよ」と回答するのがシンプルで良いと考えている。


理解の補助にもう一つ。ビットコインは近年になって何度も「デジタル・ゴールド」と表現されてきた。これを誰が言い出したのかは正確には知らないけれど、ゴールド(金)と性質が似ている、ということらしい。

整理するとこういうことだろう。まずはゴールドの特徴だが、

・地球におけるゴールドの埋蔵量はおよそ5万トンであると考えられていて、現代の化学ではこの量は増減することがない。(元素Auは生成不可能)
・ゴールドは化学的に腐食せず、一方で変形加工が用意であるためにインゴッドの形で保存することができる。

一応工業的な需要や装飾品としての需要もないことはないが、現在のゴールドの莫大な時価総額はその程度の需要で正当化できるものではない。ゴールドの価値の大半は「法定貨幣から独立して価値が保存できる」という機能によるものだ。
であれば、この性質はビットコインに近い。ビットコインは絶対に腐食せず、ゴールド以上に正確に総生産量が決まっており、国家から独立している。なるほどビットコインが「デジタル・ゴールド」である理屈はそれなりであると言えそうだ。


さて、ここまでつらつらと書いてきたが、ビットコインは万人に理解される必要はないと思っている。

ビットコインを構成する技術要素はソフトウェアエンジニアにとっては「ありきたりな技術の組み合わせ」であり、そのアルゴリズムも含めて全貌の理解はそう難しいものではないだろう。
しかし技術的素養がない状態からこれを理解するのにはそれなりの労力が必要だ。そのようなコストをどうして全ての人々が払わなくてはならないだろうか?一部のビットコイナーにも見られるが、ビットコインを理解して当然である・理解できないのであれば愚かであるという姿勢は高慢であると考える。

そもそも多くのテクノロジーはユーザーに理解する必要などないままに普及していくものだ。強いて言うなら、採掘可能な総量や元素記号Auの化学的特徴など一切頭に入っていなくても黄金の山を見れば誰もが「これは大変価値があるものだ」と思えるように、私財をビットコインとして蓄えることになんら違和感のない世界が訪れれば幸い、というのが個人的な感想になる。

こう書くと妙に冷めた印象を与えてしまう気がするのでビットコイナーらしくフォローをしておくが、ビットコインの面白いところは信用創造の仕組みを備えながら、同時にソフトウェアであるためにその機能やエコシステムも急速に発展し続けることだ。
ビットコインに対してのありがちな(そして的外れな)批判に「採掘の仕組みのために送金が遅くて使えない」というのがあるが、これもセカンドレイヤー技術の発展で解決しつつある。
また少額決済なら非中央集権性をトレードオフにしても全く構わないわけで、先日Paypalが発表したビットコイン決済対応もゲームチェンジャーになるかもしれない。なんにせよ全てはビットコインの持つ信用創造機能が根底にあるわけで、これを抜きにしてビットコインを語るのはあまり意味がないと考えている。

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