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先祖が愛する故郷を離れざるを得なかったワケとは??【ファミリーヒストリー入門】

~前回までのあらすじ~
いい歳(27歳)して家族と会話をしない四ツ谷氏は、家族の絆を取り戻すため、否、永遠と思われる思春期を終わらせるため、知られざる先祖を探す旅に出るのであった。前回、四ツ谷家の除籍に「無家」という記載を見つけた。果たして、「無家」の意味することとは……?
案内人:北山

四ツ谷:「無家」ってことは、家がなかったってこと? 俺の先祖、浮浪者だったの?

北山:……。

四ツ谷:おい、気になるだろ。

北山:いや、違うよ(笑)
「無家」というのは、戸籍に登録された人々が、そこから他の町や村に寄留している状態のようだ。
一般的に「無家戸籍」と言うみたい。

俺もなれないワードだから、きちんと調べてみようか。
これはあくまで「壬申戸籍」に関する論稿だから、壬申戸籍ではない四ツ谷の除籍にすべて当てはまるか分からないが……。

新見吉治氏の「無家戸籍考」には、ずばり「無家は全戸出寄留者の本籍である」と書いてある。

四ツ谷:他の地域に出ていたってことね。

北山:どうも実体は複雑なようだ。引用を続けよう。

無家は必ずしも無家作ではないことが証明された。士族が無家に算えられても地主であり、家主であることもある。自分の持地を他人に貸して、他家に同居したり住所を構えても不思議はない。

以下、引用はすべて「無家戸籍考」(『瀧川博士還暦記念論文集 日本史篇』瀧川博士還暦記念論文集刊行会、1957)

戸主や家族の中一人でも本籍に残留していれば、他のものが出寄留しても無家とはならないが、全戸を挙げて本籍に残留しない出寄留者は、これを無家とした。

家があったかは分からないが、とにかく全戸を挙げてその土地にいなかったことは確かみたい。

四ツ谷:待ってくれ。他地域に住んでるなら、どうして籍を移してないんだ?

北山:それも確かなことは分からないね。でも、これがヒントだと思うよ。

壬申戸籍の無家戸は、出寄留者の無家作の本籍にあたる。明治四年発布の戸籍法では全戸他戸籍管区へ移住するものは本籍を居住地に移すが原則であった。ただし情願によつて本籍をそのままにしておくものは、現住所に寄留という扱いにした。これが無家戸籍の由来である。

推測するに、四ツ谷の先祖は、隠岐を離れても、どうしても本籍地を隠岐に持ち続けたかったんじゃないか?? 何かやむを得なく隠岐を離れないといけない理由があったんじゃないか??

ともかく、この戸籍が作られた段階で、四ツ谷家の一族は誰ひとり隠岐にはいなかったことは確かだ。

四ツ谷:ちょっと驚きだな。

北山:よくよく家系図を見たら、おかしいんだよ。
四ツ谷のひいおばあさんは、熊本県の男性を婿としている。当時、隠岐に住んでいたとして、庶民がわざわざ海の向こうから婿を呼び寄せるか? そもそも、どうやって出会うんだ?
理由は簡単だ。この時すでに別の場所にいて、その地で出会ったんだよ。

君の大叔父と祖父が台湾出身である以上、おおかたその場所は台湾だ。大叔父とその親だけじゃなく、一家を挙げて台湾にいたから、無家戸籍が生まれた。

四ツ谷:なるほど。理解しやすい……。 

北山:四ツ谷、君の先祖はいったい台湾で何をしていたんだーー?
どうして隠岐に思い入れがあるのに、離れることになったんだーー?

何か事件があったんじゃないか?

※続編はコチラ。


北山:1994年生まれ。ライター。本シリーズの案内人。共著に『紫式部と源氏物語の謎』(プレジデント社)。中学時代に先祖調査に夢中になり、そのまま日本家系図学会に入会。その後は大学院で日本近世史・村落史・由緒論を学ぶ。署名は(円)。

四ツ谷:1996年生まれ。学術書編集者。考古学者になろうと思って文学部を受験するも悉く不合格。経済学部に入学し、その後は拝金主義の道を歩む。署名は(四)。

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