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8.母のない子の飢えと嘔吐

アルプス。
お母さんは故郷の山をそう呼んでいました。

といってもそれは信州ではないし、かといってスイスでもありません。

お母さんの郷里は宮崎県の山奥にあって、澄んだ川と茂った山にはふんだんに食べ物がありました。
学校に行く途中でスイバを食べたり、帰って来る道でうなぎを取って家で焼いて食べたり、ヤマモモの木に登って好きなだけたべたり、豊かな山で、そこで暮らし楽しむための知恵をいくらでも知っていました。
お父さんがお母さんを見初めたときにも、お母さんは赤い実がたわわになったぐみの木の大きな枝を抱えていたそうです。そのころはもう働いて会社の寮に入っていたのですが、そこいらで食べられる実がなっているのを見ると取ってこずにいられない、というのは町にすむようになっても変わりませんでした。
銀杏を食べるために、私の学校のイチョウの実が落ちているのをバケツに拾ったりして、私は同級生にからかわれて恥ずかしい思いをしたものですが、もちろんお母さん自身はまったく恥じるところはありませんでした。

お父さんと結婚して、何度かの転勤の後に、東京に出てくることになって、お母さんにとっては東京はそれはそれで楽しい場所ではあるものの、夕陽を見ては「アルプスが恋しいなぁ」と何度も言うのでした。

それはちょうどそのころ流行っていたアニメ『アルプスの少女ハイジ』でハイジがおじいさんと暮らしていた山です。ハイジは同じ年ごろの病弱なお金持ちのお嬢さんクララのお話相手になるためにおじいさんと離れて都会で暮らすようになるのですが、クララと仲良くなるもののアルプス恋しさに神経衰弱になり、はては夢遊病になって屋敷をさまようようになるのです。

お母さんは、そのハイジの境遇に自分を重ねて、「私もアルプスに帰りたいなぁ」と始終言っていました。
ハイジのがんばりやさんで明るい、というキャラクターも、お母さんの目指すところだったのだと思います。

故郷の山を思い出す夕陽から振り返ると、お母さんは私に向かっていつも、
「えぬこはこんな気持ち、わからないわね。夕陽をみて、きれいだなぁって思うような気持ち」
と言うのです。

この言い草にはいらだったものです。
私にも、美しいものを美しいと思う気持ちはわかる。メランコリックな夕陽も知っている。なんでこんなことを言うんだろう。

いまにして思えば母がああ言った理由がわかります。
お母さんは誰とも、その胸の感動を、分かち合いたくなかったのです。
なんとかそれを独り占めしておきたかった。

お母さんはなんでも独り占めしたい人でした。
私にくれたものでも、100円で買った髪飾りひとつでも、くれたと思ったらすぐに取り上げたがりました。
娘である私と、自分自身との境界がうまく引けないという不具合のようなものが彼女の中にあって、それでいて彼女の大切なものを私と共有したくないのでした。
私はそのお母さんの複雑さについて行けず、いつもいつもいらだっていました。

思春期になると、弟が生まれてお母さんの気持ちが弟に移ったこともあり、お母さんと私の関係はどんどん悪くなりました。

アルプスの山も、お母さんだけのものでした。

お母さんの故郷にたった一度だけ、連れて行ってもらったことがあります。
祖父は立派な肉牛を飼い、田んぼも畑もありました。古い家は大きな土間があり、囲炉裏がしつらえられ、風呂は薪で沸かす五右衛門風呂でした。家の前には川が流れ、親戚の子供たちが十何人も集まってイカダを組んで皆で川下りをしました。お母さんも上手に泳いで、いっしょに川を下りました。伯母の養鶏場で何百というひよこを撫でたり、地鶏に餌をやったりするのも面白かったのです。毎日が冒険の日々で、見るもの会う人すべてがわくわくしました。

何度、もう一度あそこに行きたい、と願ったことでしょう。

でもその後、私がいくらせがんでも、お母さんは実家に私を連れて行ってくれることはありませんでした。
子どもの頃も、大人になってからも。
母は何十回も実家に帰っていますが、私のことは絶対に連れて行きませんでした。

この人はあの場所を自分だけのものにしたいんだな、と私もいつしか気づくようになりました。彼女が大好きなアルプスを、私も好きになってはいけなかったんだ。
そんなことはまったく無意味だけれど、それでも懸命に、母は故郷が私に取られないように必死になっていました。
私が伯母や伯父や祖父、いとこ達と直接交流しないように。必ず自分を取次として通すように。

自分だけの故郷と、愛。

誰も理解できないと決めつけることで、彼女は自分のふるさとを所有することができるのです。

あの、何も持っていないかのような焦りに似た気持ちは、どこから来ていたのでしょうか。
まるで16歳の時に火事で思い出の品全てを焼いてしまったかのような。

母のない子はそんな風な飢え方をするものなのでしょうか。

お母さんは異常でした。
後に彼女のアルプスで父親が、私の祖父が死ぬのですが、それすら教えてくれませんでした。
祖父は私に取ってはルーツであり、意味がある人でした。お母さんが必死で会わないように仕向けても。
父の死すら伏せて、自分ひとりだけのものにしたい。
思い出も悲しみも、すべて。

これを知ったとき、私は母への腹立ちとあまりの嫌悪に嘔吐したのです。

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