オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」の自由な言論空間ってこれだ
大学教授をはじめとする学術機関に籍を置く人を含む約1,300人が署名したオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」は次のように結ばれています。
その言論空間とは何かを、呼びかけ人である、武蔵大学人文学部教授北村紗衣先生のネット上の発言から確認していきます。具体的には、次の5つです。
言葉を定義せずに相手に要求する
自分は守らないことを相手に守らせる
定性的と定量的の考えを知らないことから、過大な要求をする
熟考後の(すぐに出ない)答えはいらない
自分の正しさを疑わない
それぞれの点について発言を批評する前に、北村先生の著書「批評の教室」から批評に関して2点引用しておきます。
2つ目の引用に関しては、「作者には死んでもらうようにしましょう」とも書いています。そこで、この批評においては北村先生には死んでもらう(本人の意図は無効とする)ことにしましょう。
言葉を定義せずに相手に要求する
「農学博士の歴史家は珍しいはずなので、珍しくないならすぐにたくさん列挙せよ」という要求は、「歴史家」、「珍しくない、たくさん」という未定義用語が入っている不完全なものです。特に、珍しい、珍しくないで対立しているので、健全な言論では共通理解を目指すのが望ましいはずですが、そうなっていません。さらに、もしも相手が具体例を示しても、「珍しくない」が未定義であることを利用して「それだけでは珍しくないとはいえない」と後付けで主観的に否定することができる、北村先生にとって都合の良い、相手にとって理不尽な要求です。オープンレターでも、「歴史修正主義言説」、「中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択」の読み手の解釈を署名者が否定し、呼びかけ人が沈黙するという、誤解を招く言葉を定義せずに使う実績が、オープンレター関係者にはあります。
相手と議論するには、まず「歴史家」、「珍しくない」という用語を客観性(とはいえないまでも他者にもとづく基準)を意識しながら定義することが必要です。この批評を明確にするために「歴史家」、「珍しくない」を定義しましょう。
歴史家の定義
ここで歴史家とは、経済史、環境史、仏教史など、ある分野の歴史(XX史)を研究している人を含むと定義します。こう定義する理由は、歴史家ワークショップという組織(拠点:東京大学経済学研究科の付属研究所CIRJE)の企画運営参加メンバーの専門に基づいています。その企画運営参加メンバーには、オープンレター呼びかけ人である、東京大学教授の隠岐さや香先生が含まれます。参考まで、歴史家ワークショップの企画運営参加メンバーの専門をいくつか例示し、定義の妥当性を確認します。
この定義のもとでは、(この後参照する)農業史の研究者は歴史家に該当します。
珍しくないの定義
1,000人当たり1人以上の割合であれば珍しくないと定義します。この定義は理化学研究所によるプレスリリースと熊本大学病院 輸血・細胞治療部によるサラセミアという病態の説明という2つの実例に基づきます。
さらに歴史学関連学会の会員数がおよそ13,000人なので、この定義で農学博士の歴史家は珍しくないことになるのは、農学博士の歴史家が13人を上回るときです。
ただし、複数の学会に加入している研究者や学会に加入していない研究者もいることを考慮すると、この会員数が示す歴史家の数はあくまでおおよその数です。
自分は守らないことを相手には守らせる
「名前を出さないで「大丈夫かね」と言うことは、教育・研究やる人の態度なのか」と疑問を呈していますが、教育・研究を行っているはずの大学教授である北村先生は次の発言をしています。
これらは、「なのに読んでないの?専門家として大丈夫?」、「弁護士なの?大丈夫?」と解釈でき、疑問を持った相手の発言と非常に近いといえます。また、北村先生は「大丈夫か」という言葉を使った疑問を数度発信してもいます。
また、名前を出さずに言及したことを批判していますが、過去には名前を出さずに言及するべきと言っていました。
さらに、
からわかるように、教育・研究に携わる北村先生は他人をクズ呼ばわりする表現の自由を持っています。しかし北村先生は、クズ呼ばわりよりは弱い表現である北村先生へのイヤミは教育・研究する人の態度として疑問を持ち、クズに類似する排泄物に北村先生をたとえたことを法的な根拠をもとに裁判していることも知られています。これらの北村先生の考えに整合性を見つけることができません。
定性的と定量的の考えを知らないことから、過大な要求をする
北村先生は「農学博士の学位を持っている歴史家をすぐにたくさんあげる」よう相手に求めていますが、定性的、定量的の観点がわかっていれば、的外れな要求だと明確になります。まず定性的、定量的について、一般社会で通じるビジネス向けの解説を引用します。
これを踏まえて、農学博士の歴史家について考えていきましょう。
定性的
農学博士の歴史家についての定性的な理解として、原直史さんの説明を引用します。
「農学部で村落史といった農業に関する歴史を研究することで学位を取得できる」仕組みがあるという定性的な説明があれば、農学博士の歴史家が一定数いて、定期的に増えるであろうことがわかります。農業経済学に関する学術組織の例を示します。
北海道大学農学部農業経済学科
東北大学農学部農業経済学コース
東京大学大学院農学生命科学 農業·資源経済学専攻
明治大学農学研究科農業経済学専攻 教員一覧
京都大学農学研究科生物資源経済学専攻
鹿児島大学農学部農業経済学研究室
一方、この仕組みがわかっていても、具体的に誰が農学博士の歴史家なのかわからない、というのはあり得ます。つまり、北村先生の要求は農学博士の歴史家の存在を示す条件として論理的に過度なものです。
定量的
第三者と思われるAnna_mesmayuは次の提案をしました。
なぜ仕方ないのでしょう。数人挙げれば良いのなら、なぜAnna_mesmayuさんはご自身で挙げないのでしょうか。「農学博士 歴史家」の検索結果の先頭20件で次の3名が見つかります。
3件目
https://ja.wikipedia.org/wiki/古島敏雄
古島 敏雄は、日本の歴史学者。専門は日本経済史・農業史。
1949年、学位論文『元禄時代に於ける農学の発達とその地盤』を東京大学に提出して農学博士号を取得。
6件目
https://ja.teknopedia.teknokrat.ac.id/wiki/広沢吉平
広沢 吉平は、昭和時代の日本の農業経済学者。専攻は農業史。
1962年 東京農業大学 農学博士 論文の題は「中国前近代的農蚕業の史的構造に関する研究」。
11件目
https://historiansworkshop.org/2023/05/15/academia_business_04/
【参加者募集】困難の時代に歴史を学ぶ・歴史から学ぶ アカデミア×ビジネス VOL. 04 信用を創造する技術の過去と未来 ーサラ金と農業史の視点からー
小島 庸平(東京大学大学院経済学研究科 准教授)
東京大学大学院農学・生命科学研究科博士課程修了。 博士(農学)。専門は日本農業史・金融史。
Anna_mesmayuさんの提案が解決策にならないのは、以前説明したように、北村先生は「珍しくない」を定義しておらず、農学博士の「歴史家」を「数名」挙げた程度で北村先生が納得する保証が皆無なことです。そしてAnna_mesmayuさんも「歴史家」を定義していません。Anna_mesmayuさんは勝手な解釈で相手に要求しているだけなので、Anna_mesmayuさんが満足する返答をしても、その返答に北村先生が納得しなければ無意味です。
そして、この提案における心配は、何も定義を示していない北村先生の要求に従ったという一方的な譲歩により、北村先生が納得しない限り、次から次へ北村先生の要求に従わなければならなくなることです。要求を途中で断ることは証拠を示せなかったことを意味してしまいます。これは訪問販売におけるフットインザドアという、要求をエスカレートさせる技術として知られています。
熟考後の(すぐに出ない)答えはいらない
北村先生は「ではすぐにたくさんあげられますよね?後学のために今できるだけたくさんあげて頂けますか?」と相手に要求しています。これは時間をかけて本当の答えを見つけることを許さず、すぐに答えられなければ、本当の答えが何であろうと相手が間違っていると断定する、という口論(レスバトル)に勝てばよい、という要求です。以前も、北村先生は同様の要求をしています。
相手が時間稼ぎをしたり、結局答えないことを防ぎたいという意図もあるかもしれません。しかし、すぐの回答を要求することは、オープンレターに書かれた自由な言論空間にそぐわない、真実から遠ざかるものです。
自分の正しさを疑わない
相手が正しいかも、という考えが少しでもよぎれば、簡単に調べてみたりするものです。3番目の項目「定性的と定量的の考えを知らないことから、過大な要求をする」の「定量的」で示したように、農学博士 歴史家で検索すれば、該当者は数名見つかります。検索という「いくつか文字を入力して、いくつかウェブページを眺めてみる」という手間のかからない作業を惜しむのは、根拠がないのに自分の正しさを疑うことができないからではないでしょうか。自由な言論空間とは名ばかりで、自分の考えを押し付けるだけ、になっているようです。
本当に北村先生は正しく、「農学博士の歴史家は珍しい」のか
ここまでは、オープンレターがいう自由な言論空間の特徴を見てきました。ここでは主題であり、北村先生が否定した「農学博士の歴史家は珍しくない」ことを示す具体例として、研究者のウェブページであるresearchmapに農業史を研究キーワードに含めている研究者 32名のうち、農学博士である14名を示します。
大瀧 真俊 名城大学 経済学部 経済学科 准教授 博士(農学)
https://researchmap.jp/motaki
小谷 稔 東京大学 大学院人文社会系研究科 韓国朝鮮文化研究室 特任研究員 博士(農学)(2024年3月 京都大学)
https://researchmap.jp/minorukodani
友松夕香 法政大学 経済学部 教授 博士(2015年3月 東京大学農学生命科学研究科)
https://researchmap.jp/yukatomomatsu
牛島 史彦 九州女子大学 人間科学部 人間文化学科 教授 博士(農学)(九州大学)
https://researchmap.jp/read0181780
三浦励一 龍谷大学 農学部 資源生物科学科 准教授 博士(農学)(京都大学)
https://researchmap.jp/agro-natural_history
小島 庸平 東京大学大学院 経済学研究科 准教授 博士(農学)(東京大学)
https://researchmap.jp/ykojima_1982
伊藤 淳史 京都大学 大学院農学研究科 生物資源経済学専攻 准教授 博士(農学)(京都大学)
https://researchmap.jp/read0193022
大鎌 邦雄 旧所属 東北大学 大学院農学研究科 資源生物科学専攻 教授 博士(農学)(北海道大学)
https://researchmap.jp/read0052278
荒木 幹雄 旧所属 京都創成大学 経営情報学部 経営情報学科 教授 農学博士(京都大学)
https://researchmap.jp/read0013081
足立 芳宏 京都大学 大学院農学研究科 生物資源経済学専攻 比較農史学分野 教授 博士(農学)(京都大学)
https://researchmap.jp/read0051999
御手洗 悠紀 同志社大学 研究開発推進機構 特別研究員(日本学術振興会特別研究員(PD))博士(農学)(2023年3月 京都大学)
https://researchmap.jp/ymtry
野間 万里子 大阪樟蔭女子大学 学芸学部 ライフプランニング学科 准教授 博士(農学)(2014年5月 京都大学)
https://researchmap.jp/nomariko
斎藤 潔 宇都宮大学 農学部 農業経済学科 教授 博士(農学)(東京大学)
https://researchmap.jp/read0104669
今井良一 京都大学 大学院農学研究科 生物資源経済学専攻 比較農史分野 その他(研修員)博士(農学)(京都大学)
https://researchmap.jp/read0193023
ここからさらに例を増やしたいのであれば、例えば農業史を扱う学術誌「農業史研究」のウェブページにある、論文著者名で1つずつ検索して、農学博士であるかを確認することが考えられます。手間はかかりますが、数名新たに見つかる可能性があります。
厳密には...
ここまで見てきた「農学博士の歴史家は珍しくない」という説明は厳密ではありません。珍しさの比率を数えるための分母を歴史関連の学会に所属している人数、分子を農学博士の歴史家としたことで、次のようなずれがあります。
過去の歴史家をカウントしている。
学会に所属していない歴史家をカウントしていない。
病気に対する珍しさの基準を専門家に当てはめている。
農業史を専門とする農学博士の全員をカウントしていない。
農業史以外を専門とする農学博士をカウントしていない。
よって、ここでの議論はおおよその議論であることに注意が必要です。しかし、北村先生が示した主観的で定義のない意見と比べれば、およそであっても建設的な議論が可能であることは確かです。
まとめ
オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」の呼びかけ人である、武蔵大学人文学部教授北村紗衣先生のネット上の発言から、オープンレターのいう自由な言論空間の特徴を列挙しました。具体例から導かれたその特徴は、一般に考えられる自由な言論空間とは異なる次のものでした。
言葉を定義せずに相手に要求する
自分は守らないことを相手に守らせる
定性的と定量的の考えを知らないことから、過大な要求をする
熟考後の(すぐに出ない)答えはいらない
自分の正しさを疑わない
北村先生にとっては自由かもしれませんが、相手にとっては不公平な言論空間になっていて、考える時間を与えずに答えを要求し、自分の主張を相手に押し付けるという理不尽なものでした。北村先生は現在も自分が正しく、「農学博士の歴史家は珍しく驚くに値する」という信念を持っているでしょう。このような言論空間をおよそ1,300人が求めて署名した事実は恐しく、事実を求めない言論空間では学問など成り立つはずがありませんが、呼びかけ人の所属する武蔵大学や東京大学など多くの大学ではこれが現実であり、約1,300人の署名者はこの言論空間を望むのでしょう。このような言論空間で学びたいなら、オープンレターの呼びかけ人や署名者の所属する大学を目指しましょう。