文学・社会学で学ぶことは社会で役に立ちません 文章の書き方編
おことわり ここでは、文学、社会学の常識が、実社会とは正反対であることを、先日神原元弁護士により再公開された(オープンレター訴訟、勝利和解のお知らせ)、文学、社会学の大学教員など1300名余りが署名したオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」を題材に説明します。
大学で学んだことが社会で役立たないからといって、大学が悪いわけではありません。大学で教えている教員の常識が社会の常識と違っていても、文学、社会学で学んだ常識は、文学、社会学(大学の中)で活用するものです。文学、社会学で学んだ常識が実社会で役立つと期待してはいけない。受験勉強は希望する中学、大学に入るためのもので、実社会で役立つことを求めていないのと同じです。
文学、社会学の常識が、実社会とは正反対であることを文学部、社会学部に進学した後に気づいても、受験前には戻れません。また、文学部、社会学部の学生や卒業した社会人に、実社会の常識を期待して失敗したとき取り返しがつかないこともあります。このエントリは、進学先を選択する高校生などや文学部、社会学部で学んだ人と応対する人などのための事前情報として、公共の利益に資するものです。
「重要なことは日本語では普通、文章の後半に来る」という文学、社会学の常識
オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」(以下、オープンレターと略する)に関して、署名者の墨東公安委員会先生(熊本学園大学経済学部講師、博士(文学))が次の主張をしました。
オープンレターは、小論文などと同じく、自分の主張を論理的に説明するものです。具体的な裏付けは示されていませんが、墨東公安委員会先生にとっての普通、つまり常識は「重要なことは日本語では普通、文章の後半に来」るそうです。この主張に名前の挙がっている署名者の北守先生(埼玉工業大学人間社会学部非常勤講師、学術修士)も同様の常識をお持ちのようです。実際、newsweekに掲載した文章は後半に主張が来ると明言しています。
しかし、この主張の裏付けを彼らが示していないことからわかるように、彼らの常識は社会の常識ではありません。「重要なことは日本語では普通、文章の後半に来ない」ことを示すために、5通りの情報源から反例を示します。
A ウェブメディア取締役
B 上場企業社長(ビジネス誌)
C 就職活動支援
D 作文教育研究者(インタビュー、学術書、論文)
E 大学受験小論文指導
そして補足として、F 大学受験小論文指導による、小論文で重要なことがはじめに来ると良い理由、G 重要なことが日本語の文章の後半に来る構成の例を示します。
これにより、オープンレターでは
a 読み手に伝えたい重要なことは最初に挙げられている(個人の否定的評価)、
b 高校で学ぶ、読み手に意見が理解されやすい小論文とは正反対の構成で書かれている(E, Fより)、
c オープンレターは論理的ではなく共感を求める文章(Gより)、
などの可能性があることがわかりました。さらに、大学受験小論文程度の作文知識を持っていた署名者は、オープンレター呼びかけ人の意図とは独立に、実名を示された個人の否定的評価こそ重要だと理解したことになります。
このように実社会の常識とは正反対の文章の書き方を常識としたい受験生は、文学部、社会学部に進学すればそのように学べます(呼びかけ人、署名者で反対している人が見つからないので)。小論文が受験科目なら「重要なことを後半に書」いたほうが採点者に伝わりやすいはずです。そのときは、いきなり試験当日に重要なことを後半にする構成で書くのではなく、事前にオープンレターの文章を高校や予備校の先生に見せて、重要なことを小論文の後半に引き延ばす書き方について相談してからにしましょう。そして、さまざまな情報、助言を踏まえて、自己責任でどう書くか決めましょう。
A 重要なことは日本語では普通、文章の後半に来ない具体例(ウェブメディア取締役)
はじめに、唐木元(株式会社ナターシャ取締役)新しい文章力の教室の p.42 chapter 12 要素の順番 基本の構成は「サビ頭」から引用します。
B 重要なことは日本語では普通、文章の後半に来ない具体例(上場企業社長)
続いて、雑誌プレジデント2022年4月15日号「DX&テレワーク時代「書き方の最先端」」から2つ引用します。
C 重要なことは日本語では普通、文章の後半に来ない具体例(就職活動支援)
3つ目は、これまでの例にあったPREP法が就活のために大学で指導されている例です。東京大学広域科学専攻 就職掲示板のアドレスからダウンロードできる「キャリタス2022就活ノート就活本番編」の13ページにエントリーシートの書き方としてPREP法が紹介されています。
D 重要なことは日本語では普通、文章の後半に来ない具体例(作文教育研究より)
作文教育について日米仏比較研究をしている名古屋大学大学院教授の渡邉雅子先生に、作文指導法や文章の書き方の違いを、朝日新聞社の斉藤純江記者が聞いてまとめた記事の図から、日本語の小論文の構成を引用します。
また、渡邉先生の著書 『「論理的思考」の社会的構築 フランスの思考表現スタイルと言葉の教育 』のアマゾンでのカスタマーレビューでも同様な小論文の構成が書かれています。
一方、同書に対する飯間浩明氏(国語辞典編纂者)の書評のように別の理解もあります。
飯間氏の書評だけが正しく、それ以外が間違っている、という場合を除けば、墨東公安委員会先生や北守先生が主張する「重要なことは日本語で、普通文章の後半に来る」は根拠のない誤りになります。
E 重要なことは日本語では普通、文章の後半に来ない具体例(大学受験小論文指導より)
ベネッセ教育総合研究所による小論文の書き方のウェブページから引用します。
自分の意見を読み手に納得させる小論文では、重要な自分の意見は最初の序論に来ることがわかります。そして、小論文と作文の違いを説明している部分を引用します。
つまり、(時系列や起承転結で書かれる)作文では、論理性や説得力を高めることがポイントではないので、意見や理由を伝えるのに適していません。
F 重要なことが普通、はじめに来ると良い理由(大学受験小論文指導による)
Z会 小論文講義1 小論文とは何かを知ろう (PDF) の「3 小論文の形式・様式を知る ◆三要素を自在に構成する」をまとめると、次の通りです。
G 重要なことが日本語の文章の後半に来る構成とは
D の渡辺先生による論文「渡辺雅子 説明スタイルの日米比較-初等教育における異文化の意味 社会学評論 52 (2) pp.333-347」の2章「なぜ説明の「順番」か:論理的枠組みと先行研究」は、重要なことが文章の後半に来る構成として、時系列と起承転結の2つを挙げています。時系列は、過去から現在を経て未来へという、人間が体験する時間の流れをそのままに起きたことを並べる構成、起承転結は、もっとも主題から遠い淵源となる情報から始まり、終わりに近づくに従って次第に主題の核心に近づく構成と、それぞれ説明されています。また、渡辺教授の著書に対する書評からの引用によると、
重要なことが文章の後半に来る(引き延ばされる)文章の例として、子供のための(日記のような)作文や歴史の文章が挙げられています。
まとめ
オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」の言いたいことが個人の否定的評価だという指摘を否定するために、墨東公安委員会先生や北守先生が主張した「重要なことは日本語で、普通文章の後半に来る」は実社会では根拠のない誤りであることを、具体例を示すことで明らかにしました。