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Liella!ライブ考 -三次元と二次元の狭間に-

鈴原希実が5thライブの千秋楽で、寸劇入れて「桜小路きな子を見に来たんだ鈴原希実じゃない」的な批判があったそうです。

なんていうか最近のライブのMCを見ていても、1stライブとか頃と比べても、ともすればラブライブの他の作品と比べても「キャストがキャラクターとどう向き合っているのか」という発言が多いように感じたり、本当に聞いているこっちがしばしばしんどく思ってしまうのです。

完成度が高いパフォーマンスをすればするほど、キャストはキャスト、キャラクターはキャラクターというスタンスで見ている私が「キャラクターがフンダラ」とか過去一多かった「Liella!はキャストとキャラクターで22人」みたいな話をすると「では一体彼女たちは何者なのか?」という疑問というか、ある種のアイデンティティ・クライシスが起こってくるわけです。


他のコンテンツに学ぶキャラクターとキャストの関係性

さて、それを探るために、他のコンテンツからキャラクターとキャストの関係を見てみようと思いますが、一番キャストの見た目に寄せることを強く要求するのはおそらく舞台です。

衣装はもちろん、舞台ではウィッグやカラコンをつけたり、人によっては地毛を染めてキャラと同じ髪色や髪型にしたりしており、例えばケイエスミラクルは舞台とミニライブではここまで印象が違ってきます。

舞台とライブでは同じキャストが同じ役をやってもここまで違います。
ライブでは、ここまで気合い入れてコスチュームすると、激しいダンスでウィッグが落ちることを警戒しているのか舞台ほど本格的なコスチュームをするというのはあまり見たことが有りません。せいぜい地毛をベースに髪型を寄せるくらいしかしていないはずだし、ウマ娘はおなじみの付けウマ耳しかしていません。

さて、ライブで特筆するのは、ブシロ系です。基本的にキャストとしてMCをして、その後のアンコールで相羽あいなとしてMCをするというのが基本となっています。ただ、「中身が出ること」が前提で、そのキャラとキャストのギャップがおかしみを生み出すのが基本になっているフシはあるように思います。

一方のRASは「(紡木吏佐じゃなく)チュチュ」とかバンドネームで呼び合うことはあったり、ヘドバンとか「盛り上がらないと東京湾に浮かべるぞ」みたいな煽りコメ、身振りの説明はしても、基本的にワンマンライブは、素に戻るMCなし・アンコールなし・休憩なしで演りっぱなし。衣装替えの幕間は楽曲のインストというストイックな構成です。

また、i☆Risとプリティシリーズのように、メンバーが全員アニメに出演して主題歌を歌っても「あくまでもタイアップ」というスタンスであるユニットも存在し、i☆Risのライブではあくまでi☆Risとして歌うというケースもあります。

かのようにキャストとキャラクターの関係なんてものは「コンテンツやジャンルにもよる」としか答えようが有りません。同じコンテンツでもライブのコンセプトでまるきり変わったりすることもあるでしょう。キャラクターとキャストの関係について真面目に考えれば考えるほど、自分が何者かわからなくなって、私のようにアイデンティティ・クライシスやスランプに陥りかねないと思うのです。

誰が足を引っ張っているのか

しかし、Liella!のキャストはもしかしたら史上最もこの禅問答を考え続けたユニットと言えるかもしれません。

なぜそうなったのか。それはファンが「コンテンツはこうあるべき」という考えと公式の「これをやりたい」「こうしないと生き残れない」という考えが対立して、キャストが板挟みになってしまったことです。

ここに列挙するのも憚られるし、というか、まとめて書きだすのもめんどくさいほどLiella! は多くの批判にさらされていますが、それらのコメントが目につかないわけが有りません。5人だけで、MTV Unpluggedとか生演奏ライブみたいなものをやっていた頃がキャストにとって一番何も考えずに出来ていたのかもしれないなと思うのです。

正直、今足を引っ張っているのは公式じゃなく、保守的で形式的すぎて無理解なうるさ型のファンであると言っても良いくらいです。というか、鈴原がピーピ泣いていたり、伊達が自分の道がわからなくなるのはうるさ型の批判のせいなんじゃないですかね。

ただ、ライブの炎上を無くせと言うだけなら効果的な方法があります。それはライブのMCをなくすこと。前述のRASもそうですし、蓮ノ空や異次元もMCは殆どありませんでした。

しかし、「神田明神に行った」と梢が言っていたり、お知らせの告知は覚えているんですが、出演者が何を話したのか当時の観戦記の記事をみても全く覚えていないんです。多分一言よりちょっと多い程度の簡単な話しかしてなかっただろうと思います。

ただ、これは全く根本期な解決ではない小手先の弥縫策で、口封じたら別のところでなにかが起こるか、Aqoursのように誰かメンタルで体調崩すかのどちらかだと思いますけど。

あえて曖昧さを残すということ

Liella!のことをリアルのアイドルを推すつもりが、なんか訳の分からないアニメキャラがという人はいるかも知れないのですが、それは相撲の「神事かスポーツか興業か」という使い古された議論のようなものです。

「神事かスポーツか興業か」というのは数百年結論をあえて出さずにぼかし続けてきたものだし、好きな人にしたらそれこそが相撲情緒というものなので、渾然一体となったこの要素を切り離されたら大相撲という文化では大きく変わってしまうわけで、キャストとキャラクターの共存というのは、なにか中途半端に見えるかもしれないけど、二次元発のコンテンツで有り続ける以上、そのあたりは白黒はっきりせずにあいまいにしてしまった方がいい。

逆に批判のための批判をして「キャストが出過しゃばりすぎ」という主張はまるで「相撲は神事だけやってろ」と言っている感じがあります。別に品格を求めるのはいいんですけど、自分たちは「神事かスポーツか興業か」という曖昧な世界に浸っているわけで後々自分たちにブーメランが返ってくると思うのですがどうなんでしょう。

それとも自分たちは「清く正しく美しい」ならぬ「正しく正しく正しい神事の世界に生きている」と思っているのでしょうか。

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