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僕と沖縄の空と黒いビニール袋

上空約10m。眼下に広がるのは沖縄の美しい海。頬の横を通り抜けていく南国の暖かい風が心地よい。

ふと隣を見ると、横にいる妻がポケットをまさぐっている。中から出てきたのは黒いビニール袋。袋は、後方に流れる風にたなびいている。風圧に負けて、袋の部分がよい具合にふくらまないビニールを片手でコントロールしようとする妻。

申し訳ないけれど、僕はその様子がおかしくて仕方がなかった。

◇◇◇

数年前、家族で沖縄旅行に行き、パラセーリングにチャレンジすることになった。モーターボートでパラシュートをひっぱるアレである。僕はお化け屋敷などは苦手だが、絶叫ものなど三半規管が試されるようなアクティビティは大好きだ。

小学校高学年の子どもたちも「楽しそう!」と乗り気だったので、家族四人で挑戦することにした。

パラセーリングをやるためには、まずモーターボートで沖に出なければならない。その日の海は、少し荒れており、沖に出るまでの航海は、それなりにスリリングなものになった。僕と息子には、さほど影響はなかったが、妻と娘は重度の船酔いになってしまった。

その日のアクティビティに参加していたのは、僕の家族ともう一組。そのグループの順番が先だったため、待機する間も妻の症状は悪化していく。このような状況は、さほど珍しいものではないらしく、スタッフのお兄さんが妻に黒いビニール袋を手渡した。そして、妻はその中に吐いた。娘は嘔吐するほどではないものの、顔色が真っ白になっていた。

さらに先程まではしゃいでいた息子の様子もおかしい。聞いてみると、別のグループが飛んでいる様子を見て恐怖がこみあげて来たらしい。息子は叫ぶ。

「ヤバイ!ミスタードーナツに行きたい。特にポンデリング」

息子にとっての「恐怖」の対極がミスタードーナツのポンデリングであることが微笑ましい。

そんなことを考えている間に、我が家の順番が回ってくる。重量のバランスの問題で、まず僕と子ども二人、次いで僕と妻が挑戦することになった。

子どもたちは、二人とも「ベストコンディション」とは言えないもののの、実際に上空に上がると、その爽快感と景色の美しさに圧倒されたらしい。時間いっぱいフライトを楽しむことができた。

そして、いよいよ妻の番だ。船酔いの症状はかなり重そうだったが、ここまで来て飛ばないという選択肢はない。単にモーターボートに乗って気持ち悪くなっただけ、というのでは悲しすぎる。

「もう空っぽだから大丈夫」。

そういって、妻は身体を固定するベルトに手をかけた。僕も妻を気遣いながら一緒にベルトで体を固定する。スタッフの合図を受けて、パラシュートが風を受けてふくらむ。ワイヤーがどんどんと伸びていく。

上空から見る沖縄の海は美しい。一人だけ2回も飛べて得した気分だ。そう思っていると、横から妻の唸り声が聞こえる。ベルトで腹部が圧迫されたのがよくなかったらしい。そして、ポケットから出てきたのは新しい黒いビニール袋。風のせいで妻は袋に空気を入れて空間を作ることに苦戦している。

大変申し訳ないのだが、僕はその様子を見ながら笑いをこらえるのに必死だった。

妻は努力の甲斐あって、空間を作り出すことに成功し、キチンと袋の中に吐くことができた。マンガなどで吐しゃ物が鯉のぼりのように、口からそのまま後方に流れていく描写があるが、そうした事態は回避された。

このような極限状況で美しい景色と汚物を同時目にする経験があるだろうか。シュールすぎて、僕は腹から笑いがこみあげてきた。

ただ、笑ってばかりもいられない。僕は手を大きく回しボート上のスタッフに向けて「下ろしてくれ」という合図を送る。無事にボートまで戻ると、妻はへたり込んでしまった。

◇◇◇

仕方がないこととはいえ、自分だけアクティビティを満喫できなかったことが妻は相当悔しかったらしい。その後、しばらくの間、業者名などで検索をかけては、同じ体験をした人のブログを発見し、「そんなに珍しいことじゃないらしいよ」と訴えていた。

僕はそれを聞きながら、「そりゃ、ボート上で吐く人はそれなりにいるかもしれないけど、さすがに上空で吐いた人はいないんじゃないだろうか」と思った。さすがに口には出さなかったけれど。

とはいえ、僕は決して忘れえぬ家族旅行の思い出を作ることができた。エメラルドグリーンの美しい海と風にたなびく黒いビニール袋。僕はこのコントラストを一生忘れることはないだろう。

皆さんも沖縄でマリンアクティビティに挑戦する際は、自分の三半規管とよく相談してほしい。


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