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投げ銭に怯えて吐いた


今となっては冒頭の「儲けました」ギャグも、むかつくことこの上ない。

右往左往して申し訳ない。午前中の自分を殴りたい。病理医ヤンデルです。

2時間ちょっと前に封印解除したnoteの「サポート機能」を、ふたたび停止しました。

覚悟が足りなくてすみません。


今回、展開があまりに早すぎたので、きっと上記の記事をまだ読んでいない人のほうが多いでしょう。そういう人にとっては「サポート? なんのこっちゃ?」でしょう。お騒がせしております。

ことの顛末は単純です。

昨日の夜いろいろ考えた、夜中ちょっと小説を書いたけど挫折した。でも「思い」はあるから、まあとりあえずこれまで使っていなかったnoteのサポート機能を解禁させる。そして、記事についた「おひねり」は全額「SNS医療のカタチ」(の事務を担っている一般社団法人医療リテラシー研究所)に寄付する。というわけで、今日からサポート機能解禁します! ときどきSNS医療のカタチがらみの話などをぼくの責任で書いていくので、気が向いたときにサポートよろしくお願いします!

こういうことでした。

ところが、記事公開1時間半くらいであまりにサポートがいっぱい寄せられて、私はめちゃくちゃびっくりして、すごいダメージを受けて、なんかいろいろ考えこんでしまい、結局サポート機能も再びオフに戻してしまったのです。


今日のこの精神的ダメージは、私――いやまずこの一人称を「私」にしようと考えていた部分からして全然だめだった――ぼくが、これまでインターネットから食らってきたダメージのどれとも違う種類のもので、心のあちこちをかなりしたたかに、重篤に打ち付けるものでありました。過去最高に心が揺れ、自律神経がすべて律せなくなり、自律せねぇ神経(じりっせねぇしんけい)となって、リアルに血圧が低下して気持ち悪くなって普通に吐きました。

なので今からおひるごはんをたべます。


***


たべました。では続きを書きます。

簡単にいうと、ぼくはnoteのサポート機能のことをよく知りませんでした。具体的には、こんなに多額のお金を短期間に手に入れられるものだとわかっていなかったです。なので、びびってしまいました。

これ、倫理的に許されるのだろうかと一瞬にして迷いました。

そして、迷いの振動が心全体を揺らす中、そもそもぼくが上述の記事の中に知らず知らずのうちに込めていた欺瞞みたいなものが、心の土壌の中からじわじわとせり上がってきて、その姿が目の前に出るに従って、ぼくは今まで考えたこともなかった「自分の甘さ」を正面視しました。いただいた額がもっと少なかったら、もしかするとこの、自分のコアの部分に内包された甘えについては一生気づけなかったかも知れない。ひどいもんです。


これはもう私の不徳の致すところとしかいいようがないんですが、noteのサポート機能なんてのは、せいぜい記事1つにつき500円が2、3回入るぞ、くらいのものだと思っていました。500円をばかにしているのではなくて、そういう額をきちんと積み上げていくことがクリエイターにとって非常に助かる制度である、という認識です。500円、1000円というサポートが、記事を毎日量産していくことで少しずつ積み上がり、今日のお弁当代、明日の地下鉄代になる。そのうち定期ファンがついたり、あるいはもっと多くを求める人のために有料記事が求められるなどして、noteを大事に使っている人にとっては、「三食昼寝」のうち一食プラス昼寝代くらいはまかなえるぞ、おおそりゃあいいなあ、くらいのしくみ……だと思っていたのです。


でも実際には普通に家賃が払えるくらいのお金がたった1時間半で集まってしまった。

SNS医療のカタチがこれまで払えないでいたバイト代の一部がこれで払えます。やったぜ。でも……。


(A)そんな額が集まると思ってたら、もっとちゃんと、丁寧に人にやさしいnoteを、役に立つnoteを書くべきだった。あんな日記みてぇな文章にこれって……。

(B)そんな額がいったん集まってしまって、もしこの先書き続ける記事にはちっともお金が入らなくなったら、お金を目的に書くこととかお金が内容によって変わることにぼくは耐えられなくなっちゃうんじゃないか?

(C)これってサポートがどうとか自主性にまかせてどうとか言ってるけどけっきょく普通に売文だよな……。

(D)個人のnoteでやって寄付するとかじゃなくて、ちゃんと社団の開設したnoteに寄稿して、使用用途を明示した上でお金をふつうにとったほうがクリーンなんじゃないの。

(E)ていうかSNS医療のカタチをやっていくうえで、クラウドファンディングはやらないってきめて(これについてはいつか書きます)、YouTubeの収益化についても見送り続けている今、noteは無料ですけどサポート機能だけonにしますって、体裁にこだわって、きれいに見せようとしてるだけなんじゃないの?

(F)ボランティアに善意で協力してもらってることが苦々しいからこそお金を集めたいなと思った結果、ボランティア精神のかたまりみたいな人たちから少しずつお金を集めちゃってる。これ、善意の出所が「あっちのプロフェッショナル」から「こっちのフォロワー」にスライドしたってだけなんじゃないの?

(G)みんなに相談してみんなでやればよかったんじゃ? なんで一人でやったの? 変な話、ぼくってそんなにクリーンにお金の管理できるの? 出来心とか今後一切ないっていえるの? 途中から明細スクショをパワポ芸でいじって金額ちょろまかすこともできちゃうんじゃないの? よくそんな汚い手を思い付くな(我ながら)。 

図1

(↑パワポ芸の例 ※なお悪いことをするなら金額を減らさなければいけないのに、間違えて増やしてしまいました。)


(H)大量のサポートにお礼のメッセージを返すだけで普通に40分くらいかかったのだが、これから毎日このやりとりを永遠に続ける気化?

(I)今のは「気か?」の誤字ですが、そろそろぼくはストレスのあまり肉体からほとんど幽体離脱しかかっていてまさに気化しつつあったので合ってますね


***


きっかけは確かに、想定外の投げ銭にぼくがびびっただけのことではあった。

しかし、次第に、

「医療情報を世の中に広めるお手伝いをするにあたり、誰からどのように金銭的なサポートを得て、それをどう使うべきなのか」

ということに対して、ぼくがいかに何も考えていなかったかが浮き彫りになってきた。すぐ浮き彫りって書くライターってクソだな、せめて「レリーフのように浮かび上がってきた」くらい書けよとかこないだ言ってごめんなさい。便利なことばですね。

他者のボランティア精神に甘えるのはいやだ、と言っておいて、結局投げ銭という別種のボランティアに頼っちゃってるところが特に……やばい。

ってことをしみじみと感じはじめた。

けっきょくのところ、心の奥底で無意識に、他人の善意を少しずつ集めることで、個人の負担を減らしながらみんなにちょっとずつ助けてもらおうぜ的な、スタートアップ企業の社長がすぐ口にする元気玉戦略をぼくはやっていたのだ。これで八方うまくおさまるじゃんと、ノホホン行進曲に合わせてずんずん楽しそうに歩いていたのが、今日のおひる12時のぼくだったのだ。



「払う人と、その人に渡すものとが、セットになってないことにこんなにダメージ受けるんだな」、と、自分の新たな一面を見出すことにも成功。

お前らふだんヨンデル選書のnoteとか30スキくらいしかくれないくせに、どこにそんなに隠れてたんだよ、という驚きの出会い。

「ゴキブリは1匹みつけたら30匹住んでいると思え」に似た、

「noteの記事に1スキついたら30人はそれを黙って見てると思え」的な法則の提唱。こういうことを書くと「noteの読者をゴキブリ呼ばわりするな」型クレームが入って楽しい事になると思います。


……そうだ、クレーム!

クレームがちっとも入らない。これも絶対おかしいと思ったのです。

だって、結果的にやったことはお金集めになっちゃってるわけですよね。となれば、世界のあちこちに散らばっているヤンデル氏ね勢が黙っているわけがない。あいつらぼくのことを嫌いだと言っているくせに裏アカを使って全てのツイートをチェックしているようなみみっちいやつらだ、ぼくがいつのまにか陥っていた「未必の故意的noteお金集め」を見つけたら狂喜乱舞してただちにヤフコメ的大炎上につなげるくらいのことはしますよ。

でも、今回はそれがなかった。一切無かった。このことはひどくブキミでした。

もう3時間経つけど(まだ3時間かよ)、いまだに誰も炎上をしかけてこない。

この理由をぼくなりに考えると、ぼくが「医療情報」の案件においてはひたすら内輪でネチャネチャ楽しくやってるんだってことの裏返しなのではないでしょうか。たぶん今回のnoteもツイートも、今までお世話になった人の元にしか届いていないんだ。だから炎上しないんだ。

となると、このやり方では、医療情報に興味がある人の絶対数を増やすことにつながらないのではないだろうか。

はっきり疑いが生じたんだけど、ぼくは今、クラスタ内で甘やかされているんじゃないだろうか。

そうでなければ、こんな大金が集まってくることに対してみんながこんなにおだやかなわけがないと思う。直接サポート機能とは関係ないけどなんだか知らないうちに落ち込んでいたぼくの限界みたいなものに触れた思いがある。



……ああそうか……まだあるな……。


noteのサポート機能が、ぼくみたいな人間にとってまずいところはほかにもありますね。たった今気づきました。

サポートの総額がみんなに見えにくいという点、なんだか、ぼくの書いたものとあわせて、「きたないなー」と思ってしまった。

考えてみれば、サポートを下さった方々はおそらくみんな「どうせここにサポートしようと思う人なんてそんないっぱいいないでしょ」と、今朝までのぼくみたいに、たかをくくっているはずなんだ。

ここは酔狂なわたしがあえてサポートを、的な気持ちの方々が、それぞれに孤独なままで何人……いや何十人だ、何十人もいらっしゃった。

この構造、なんだか人をダマしてる感がすごい感じられる。どうにも耐えられない。

お金集めをやるんだったらせめて、感謝している人数を可視化しないとだめなのではないか。誰かにサポートを求める前に、「あなた方がサポートをくれるならその人数といただいた金額についてはきちんと公表していきますよ」と発表するのがスジだったのではないか。

次から次へと構造的な欠陥に気づく。じゃあ直しながら前に進むか? いや、事前に説明していなければ結局ただのリリース後アップデート、ていうか、後出しジャンケン的開き直りにすぎない。




とまあそんなことを13時半くらいからずっと考えていまnoteに書きました。当分この「誰のお金で、どこで誰が何をするのか」について考え続けていこうと思います。


結論:投げ銭もほんと無理



結論2:狙ってたわけじゃないんだけどこのマガジンのタイトルまじでぴったり