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【読書記録#15】どくとるマンボウ青春記(北杜夫)

【読書記録#12】で読んだ、齋藤孝『読書力』の末尾に挙げられた、読書力を鍛える文庫本の1つとして挙げられていたため挑戦。

恥ずかしながら北杜夫先生の作品を読むのが初めてのため、いわゆる「マンボウもの」に触れたのも今回が初めてである。

wikipediaいわく、本書はその「マンボウもの」の作品群の1つで、随筆・エッセイにあたるとのこと。

本作品では自身のことを「マンボウ氏」として扱っており、マンボウ氏が戦後間もない旧制松本高校時代と医大生時代とで過ごした青春時代を記している。

時代設定は戦後間もないということもあり、時折出てくる新聞や日記などの文体が今の時代にそぐわない文語体を用いられていることがあるが、地の文は普通に読めるので安心してほしい。

エッセイということもあるだろうが、非常に機知に富んだ言い回しをされる人だと思った。戦後すぐの時代を的確に表すような生き生きとした言葉遣いがたまらない。

登場人物もみなパワフルで、人間味あふれる人ばかりだ。苦しいはずの時代をユーモア含めて精いっぱい生きたことが想像される。
最初の方こそ戦後すぐのばたばたした状況や、敗戦してしまった悔しさのようなネガティブな要素が多いが、そこも含めてのマンボウ氏の青春時代なので、必要不可欠なものであった。

最初の方にしか登場しないのだが、「ポケモン(ポケット・モンキー)」と呼ばれる人物が現れる。彼が登場した瞬間、ポケモン(ポケットモンスター)好きの自分に非常に刺さって大笑いしてしまった。これが当時本当に言われていたとしたら、先見の明がありすぎると思ったのだが真実はどうなのだろうか。(本書の初版は1968年、ポケットモンスター赤・緑の発売は1996年、手に取った文庫本の初版は2000年…。)

本書の魅力は、マンボウ氏自身の人生観というか、物事に対する考え方を述べるところが非常に多く、学びになることかと思う。

印象に残っているのは、マンボウ氏が自身の家に置く本の物量をリンゴ箱1個分に制限した過去があり、その時に惜しくも売り払ってしまったものでまた読みたくなってしまったものが多数あったという。

「良書をよんで悪書をよむな、と識者は言うが、人はくだらぬ本も読むことによって本当によい本というものを識別できるようになってゆくのではないか。

本というものは、まだ少年少女に近い若い人に言いたいのだが、一見役立たずのように見えようとも、その中に自分と無関係でないと思われる一行があれば本棚に並べておく価値があるものだ。そうした本は、何年か経って、はじめはなにげなく読み過していた他の行が、その個人にとってどのように変貌するのかわからないのである。いずれにせよ、いろんな本を手元に置いてゆくうち、当の肝心の一行がない本はすぐちゃんと見極められるようになる。それから安んじて売ればよい。」

北杜夫『どくとるマンボウ青春記』 P.180~P.181

この一連の文章の内容、まさに読書をしている自分にとってはっとなる瞬間だった。酸いも甘いも、ではないけれどいろんな作品に触れて一見時間を無駄にしてしまったようなことでも糧になる。読書だけでなく身の回りのことの多くに当てはまるな。そう感じたすぐ次の文。

こういう秘伝を書くと、アッという間に日本全国の古本屋に十円均一となって北杜夫著の本があふれそうだが、その本にせよ「良書を見わけるためのくだらぬ本」という意義はありそうで、諸君の子々孫々のため、あんがい売らぬほうが利口かも知れぬ、と無理して言っておく。むろん諸君の家が本屋さんの場合はまた別である。

北杜夫『どくとるマンボウ青春記』 P.181

こういう気の利いた文章が、読んでいて心地よかった。
ちょっとした自虐的な文章が非常にクセになる本だった。
マンボウシリーズ、興味が出てきたのでまた他の作品も読んでみよう。

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