見出し画像

「フクシマ」

「なんでまた、東京電力は原発に『福島』なんていう中途半端な名前をつけちまったんだろうなぁ」酔い潰れた除染作業員らしき男は分厚い手の平で私の肩を叩きながら愚痴をこぼした。男は原発から六〇キロ以上離れた福島市の出身らしく、原発事故後の風評被害で実家の果樹園の経営が傾き、今は雇われ労働者として浪江で除染作業に従事しているらしかった。

三浦英之(朝日新聞記者)著『白い土地-ルポ・福島「帰還困難区域」とその周辺』(集英社文庫)の中の一文。避難指示が一部解除されたばかりの浪江町で新聞配達をしながら現地の人々の「今」を見つめた一冊だ。今更ながら忘れてはならない出来事なのだが、そういう物云い自体が所詮他人事なのではないかという声が聞こえてきそうで俯いてしまう。

除染作業員らしき男の言うことをこれまでどうして考えもしなかったんだろう。泊、女川、柏崎刈羽、浜岡、伊方、ほとんどの原発にはその土地の名称がつけられている(福島のほかは島根だけが例外だ)。ヒト・モノ・カネの流れを考えても名称は重要なはずで、県の意向がそうさせたのか。これが結果的に瞬く間に「福島」は「フクシマ」として世界に発信されてしまった。200㎞ほど車で走らなければならない檜枝岐村も「フクシマ」としてパッケージされて。あってはならないことだがひとたび事が起きれば島根は一瞬にして「シマネ」になる。

この本は「フクシマ」ではなく、浪江町や双葉町、大熊町などに住む「一人一人」を追った本。ジャーナリズムXアワード受賞作品。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?