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退職2年のひとりごと。

「てやんでえ、もうやってられっか」と言って職を辞して2年になった。肩書を失って途方に暮れている人もいるらしいが、肩書がないのはいいもんだ。老後の不安は多々あれど、それだけは断言できる。

顔を見るだけで腹立たしいような人間と向き合う事は決定的に減ったが、一方で会話を交わす相手もぐんと狭まった。妻と時折会う学生時代の友人(高校、大学)あたりが関の山で、あとは数える位の人としか話さない。人間関係の煩わしさはほぼ解消されているが、それだけでいいのかという疑念は拭い切れない。かといって「組織」なんてものはもうウンザリなのだ。

人とは会わない、外出は近所の買い物と散歩位、あとはnetflixやニュースサイトやあれこれを何時間もかけて回り唯我独尊を極めていくような老人にはなりたくない。よって頭の中では努めてアクティブでいたいと思うのだが、大病した身にはそれもままならない。もとより十全に望みを叶える「先立つもの」もない。

そういえば憂歌団の「当たれ!宝くじ」も、RCサクセションの「宝くじは買わない」も、どちらも好きなんだが、一体どうなっているのか。

クルマはいつまで乗っていられるのかも少し気になる。70歳になったら「そろそろ軽に」とか思うのだろうか。ハンドルを持たなくなった時、きっと老いは一気に加速する。

入院中に妻が知人から譲り受けたエレアコのギターも立てかけられたままだ。「自分が弾いてみたかった」と言っていたが、退院したらリハビリ代わりに少し触ってみたらというメッセージも少しあったかも知れない。もうずいぶん前、ギターを弾かなくなった時、何か大事なものも手放してしまったような気もするが、それが何だかもう掴めない。

妻が病弱な事もあり、掃除や洗濯はけっこうやるのだ。時にはやれやれと思うが、体を動かすのは悪い事ではない。買い物だってどこに何があるのかは概ね把握している。料理だけはどうにも苦手だ。

胆石はまだおとなしくしているようだ。次は11月に真打の心臓血管検査が待っている。病院がこれから誰よりも長ーい付き合いになることは確定のようで、これはもうあきらめるしかない。

老人でもあり老人ではなし。相変わらずどっちつかずでくすぶっている。世の中は腹の立つことばかりだが、精神衛生上よくないので、腹を立てないようになどとは考えない。瞬間湯沸かし器の老人にならないよう、そのワケを少し考える。ちなみに近頃は「東京ヤクルトスワローズ優勝」という佳き事があった。


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